『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』後編を見ました

番組概要(NHKのサイト)↓

前編の感想↓

先週につづいて、後編を見ました。

前編もなかなか情報量が多かったけど後編はそこにさらに情報が増えていき…。私はまだ原作を読んでいないのでなんともいえませんが、これってたぶん本当は前後編で収まるボリュームの話ではなかったのでは…?他のかたのレビューを読んでいると、特にメインの事件周りのことは原作をお読みになっている人は脳内補完できるけどドラマの内容だけではちょっとそこまではわからないんじゃないかな…とか、前編よりも後編のほうがシーンの終わりが結構思い切って投げっぱなしにされているのが目立つなと感じる点がちょいちょいあってそこが少し気になりました。枠が決まっている中での制作だったと思うので、仕方がないとは思うのですが…!

ただ、それはさておき、描かれていた場面のひとつひとつは間違いなく映像作品として、そしてあらゆる立場の人にとって、大きな意味のあるものだったのではないかと感じました。

特に、前編・後編を通して強く伝わってきたのはコーダという立場の難しさについてです。「俺は”聴こえるだけ”なんだぞ!」という言葉は、ある面から見ればただ当たり前のことを言っているだけなんだけど、だたそれだけのことをはっきりと言うまでになぜ荒井尚人というコーダは葛藤してきたのか、という点が具体的に語られているのが今までの類似作品とは一線を画しているところではないかと思います。

益岡さんが、優生保護法のもとに奥さんが受けた不当な手術のことを話した後、尚人に対して「ご両親に感謝しないとね」と言った時…尚人はうっすら微笑んではいるようには見えたけど、「そうですね」と言葉を返すことはなかった。ここもまた前編の手話通訳試験の時の「あなたの手話、きれいね~」と同じで、どう解釈するかが人によって全然違うところだと感じました。

子供を持つことを望んでいたのに本人の意思に関係なくその権利を奪われるのは断じて許されることではないし、益岡さんの場合は特に、(手術を受けたのは当事者は奥さんだったけど)まさに直接的にその不当な仕打ちを受けた経験があるからこそ、ろう者の両親から生まれて今こうして生きている尚人に対して「感謝しないとね」という言葉をかけたくなるのは当たり前のことだし、そんなに大げさな意味合いではなく、話の流れで自然と出てきた言葉なんだと思います。

ただ、本当は尚人がそこまで背負い込む義務はないはずなんです。
なぜなら、彼はもともとは”ただ聴こえるだけ”であって…自分の意志でろう者の夫婦のもとを選んで生まれてきたわけではないのだから。

どういう事実があったにせよ、「感謝するべき」かどうかは、尚人が決めることなんですよ。他人から背負わされるものではなくね。

…そう言ってくれる人は、今まで彼の周りに一人でもいたんだろうか?

それに近い発言としては、益岡さんが「(通訳を拒んでいたとしても)子供だったんだから、仕方がないよ。どうしようもなかった」というふうに、自分が通訳を拒んだせいで結果的に父が死んだのではと思い悩む尚人を慰めてくれていました。優しい人!

しかし、ここでも気になるのは「もし子供じゃなかったら、どうにかしようがあったのだろうか?」ということです。もし当時も今と同じ大人だったら、通訳を拒んだり、親と関わることを自ら放棄することは許されなかったのだろうか?家族だから?

ひいては…「たまたま」デフファミリーのもとに生まれた聴こえる人間の生き方を、たとえ親兄弟だったとしても、その当事者でないろう者側が決めてもいいことなのか?

もちろん彼の兄のような人ばかりではないのはもちろん百も承知なのですが、「お前は聴こえるんだから、通訳をするのが当たり前だ」…さすがにそこまではっきりとは言わないまでも、どこか共通認識として、コーダが胸の内に”いや、自分はただ聴こえるだけなんだから、そこまでしてやる義理はない”という気持ちを持っていたとしても、それは聞き入れなくてもいいというバイアスが”聴こえる社会”側だけではなく”聴こえない社会”のほうにもあるからこそ、荒井尚人は二つの社会の板挟みとなってここまで葛藤しながら生きることを強いられてきたのではないか。それを「コーダっていうのは、そういうものだから」と片付けてしまってもいいのか…。

聴こえない家族というのは、コーダという立場からの視点で見たときにはそういう複雑な側面を持っている場合もあるということが示されていたように思います。それを考えると、この作品はやはり、「聴覚障害やろう者、手話、ろう文化についてあまりよく知らない聴者にもこれらのことを知ってもらう」ことだけを目的にして作られたドラマではなかったのではないかと。

ろう者の登場人物や手話が出てくるドラマだけど、このドラマがあくまで主体として描こうとしている当事者はそちらではなくコーダであり…聴者も、そして今までのろう者や手話を多く扱った作品ではすべからく当事者であったろう者でさえも、当事者としては語れない部分まで今回は描いているわけですよね。

私は普段、ろう者のキャラクターを主人公に物語を描いていますので、どうしてもろう者が主に聴者から受ける不当な扱いや偏見について考えたり描いたりすることが多いです。それもあって、それこそ立場が変わればろう者もコーダという”もっとも身近な聴者”に対して苦痛や抑圧を与える立場になりうることがある…という点についてはなかなかカバーできない部分だったので、いろんなシーンを見ながらすごく考えることが多かったし、自分の見えていない部分を指摘されたような感じもありました。

このデフ・ヴォイスの原作はシリーズ化されているということなので、ドラマもぜひシリーズ化してほしいです…!コーダの視点から見た世界をもっともっと映像で見てみたい。し、『法廷の手話通訳士』っていうタイトルだけど法廷のシーンはあまり多くなかったので、シリーズになってもっと法廷シーンも見れたらいいなーなんて…

それか、サスペンスもいいけど、それこそ益岡さんとのやりとりとか…手話通訳士としての荒井尚人の日常を軸にした感じのドラマが私は一番見たい!これは完全に好みの問題なんですけどね。。年々、心があまり殺伐としたものを受け付けなくなり、気が付くとほのぼの系に寄っていってしまう…。

年末に良いドラマが見れてほんとよかったです!
2024年もこういう作品にまた出会えたらいいなぁ。

読んでくださってありがとうございました。

詠里

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