『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』前編を見ました

「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」前編をやっと見れました!

すでに他のかたが感想いっぱい書いておられるので、たぶん何を書いても誰かとかぶってしまうと思うのですが💦

まず、字幕が選択式じゃなくて、最初から固定でのってるの、いいですね!聴こえない人だけのためではなくて、私のように音声から情報を拾うのがあまり得意でない人間にもありがたかった。サスペンスとかミステリーはとくにね…音声でダーッと説明されても、途中から暗号のようにしか聴こえなくて全然内容が入ってこなくなってしまうので、文字で出てくれるのがほんとにありがたいです。

自分の場合はそもそも普段から字幕の洋画ばかり見るし、弟が私よりもう少し音声から情報を拾いにくい度合いが強くて、テレビの国内放送にも常に全部字幕オンが当たり前の環境でしたから、画面に常にセリフや文字が乗っていることに対しての抵抗がなかったというのもあるのかもしれないです。他の方の感想を見てると少し戸惑っておられる人も見受けられますね。日本語に対して日本語の字幕がついているという状態って、聴者主体の社会の中ではあまり一般的ではないことを実感します。

でも、この作品においてはそれはあくまで多くの聴者の感覚で言えば情報過多というだけであって、誰のためにこうなっているかというと、「文字による情報が必要な人」のためだと思う。

つまり、「情報保障」ではないかと!その概念のもと、伝え方を考えてある映像作品であることが伝わってきました。

内容についてはあんまり書くとネタバレになっちゃうのであれなんですが、コーダ、そして手話通訳士という、ろう者と聴者の間に立つことを求められがちな立場の人間の視点から見た世界であるというのがまた、なかなかない切り口な気がします。良い面もそうでない面も、どちらも誇張され過ぎずにフラットに描かれている。

手話通訳士の試験会場(ここの試験のシーン、短いけどすごく見入ってしまいました。ああいう感じなんですね…)から出てきた尚人に、なかなか受からなくて、今回で4回目だという別の受験者が言った「きれいねー、あなたの手話」という言葉

本人はもちろんそんなつもりはないと思うが、この言葉以外の発言も含めた全体からそこはかとなく漂う「上から目線」、そして、言っているのが「聴者」であるということ…

それ、いろいろと大丈夫か…?

ひねくれすぎ?うーん、でも、私はこのセリフは額面通り受け取って、「へえ、荒井尚人の手話って、きれいなんだ~」と思う人と、なんらかの違和感やモヤモヤを感じる人に分かれると感じました。

手話を軽蔑していることを隠さない若者とか、家庭からも社会からも孤立し手話も日本語もどちらも「不自由」な状態で生きざるを得なかった菅原さんとか、強烈でわかりやすく工夫されたシーンも他に色々ありましたが、個人的にはこういう、なんの煽りもなくさらっと入れられてたこのシーンが一番すごいと思う。ことばになる前の思考が、内語が、滝のように溢れてきます。

思うんだけど、菅原さんの癇癪って、内語をことばにする方法を身につける機会を徹底的に奪われ続けてきたことに対する「怒り」でもある気がする。

日本語には必ずしも「誰が」「誰を」「誰に」、つまり、対象を明確にする必要がないという狡猾な特性がある。聴者に対して向けられていた「怒り」を「癇癪」などという自己完結的な言葉にすり替えて「え、自分らは関係ないですよ」とかわされ続けた、その蓄積であって、彼をそこまで追い込んだのはまぎれもなく聴者主体の社会だということを突きつけられているのは私も含め聴者のほうなんですよね。

そういう暗部というか、聴覚障害をテーマにしていてもなかなかはっきりとは触れられてこなかった部分に触れている作品でもあると思います。

ストーリーに関係ない部分で言うと、普段よくニュースなどでお見かけするろう者の皆さんが次々登場されるのが、見ていてテンションがあがるポイントでした。特に菅原さん役の那須さんがニュースやバラエティーの時とは別人で、役者さんって本当にすごいな!と月並みですが思いました。

いつか、ろう者の俳優さんに相澤真白を演じてもらいたいなぁ。すきあらば自作語りで恐縮ですが…こう素晴らしいものをまざまざと見てしまうと夢はふくらむばかりですね。

後編も楽しみです…!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?