夏夏冬:秋を探しに行った親父を回想するだけの話。
「秋って知ってるか」
子供だった俺は、もちろん首をふった。すると、親父は自慢げに秋について話してくれた。
思い返すと、親父との思い出は秋のことばかりだ。
いつも不機嫌そうに眉間にしわを寄せて小難しい本を読んで、小難しい論文を書いていた親父だ。そんな親父が、決まって秋の話をするときだけは、まるで小学生のガキみたいに夢が詰まった目をしていた。
「いいか、150年前まで、この世界には秋っていう季節があったんだ。夏の後に」
「夏の後は冬でしょ? 暑くて、すぐ寒くなっちゃう」
「そうだ、今は夏の後にすぐ冬がくる。でもな、秋って季節は、その間にあったんだ」
その頃の俺は、想像もできなかった。なにしろ、昨日まで肌が焼けるような暑さだったのに、次の日曜日が来るころには雪が積もってるのが当たり前だったんだ。変冬期間と呼ばれるその一週間のことを、俺はしばらく秋だと思っていたっけな。
親父はよく秋の話をしてくれた。仕事の合間や、雨の日に学校に送ってくれるときや、母さんの見舞いに行った帰りのファミレスで。
「秋っていうのは、不思議な季節なんだ。朝や夜には、まるで冬のように冷えることがある。でも陽が出ているときは夏のように暑い。太陽が昇り始めて空気を暖めるだろう? すると、まるで春みたいにぽかぽかとした心地良さも感じるんだ」
「そんなに欲張っていいの? だって、全部の季節がいっぺんにきちゃうよ!」
「いいんだ、それが秋なんだ」
親父は秋についての研究をしていたから、まるで自分が体験してきたように、いろんなことを話してくれた。
絶滅した赤トンボという虫の話。栗や梨という不思議な果物の話。山の中に段々と水田が作られ、そこで黄金に色付いて風に揺れる稲穂の光景。
始めて恋人ができた思春期の男だって、あんなに熱っぽく語れやしないだろう。そうだな、今思えば、親父は間違いなく恋をしてたんだろう。秋ってやつにさ。
俺が十歳の時だったかな。
母さんが死んじまってから、親父はより一層、秋にのめり込むようになった。
親父はおかしくなってたんだ。秋に恋して、追いかけて、ついには取り憑かれちまったんだろうな。
だから、政府機関が募集した「時空間移動実験」に親父が参加したのも、当然の成り行きだったんだろう。
簡単に言えば、過去にタイムトラベルするっていう実験なんだが、その成功率は高くない。昔はどうだったかは知らないが、今の意味として「高くない」ってのは、間違いなく失敗してるってことだ。
観測機械や実験動物を過去に飛ばすのと、人間を飛ばすのとじゃ、勝手は違うから仕方ない。
親父はありとあらゆるコネと財産を使って、その実験の被験者になった。親父の親父がぶっ飛ぶほどの資産家じゃなけりゃ無理だったろうが、幸運にも金は余るほどあったわけだ。
そして親父はさっさと過去に行っちまったってわけさ。
これが母さんの生きてる時代に戻って病気をなんとかするだとか、そういう話なら俺も涙を流して喜べるんだが、もちろん違う。親父は150年以上の昔に行ったんだ。まだこの世界に、ごく当たり前のように巡る秋があった頃に。
ついに親父は、この世に存在しない秋に会いに行っちまったってわけだ。
親父が帰還する予定だった日は見ものだったよ。世界中の人間が落胆したんだ。過去に行った人間が、また帰ってこなかったってな。
親父が過去に行けたのか、それとも何かの事故で死んじまったのかは分からない。でも、秋を見つけられていれば良いと願ってる。
あれから何年も過ぎて、俺はいつの間にか親父の歳を追い越していた。
なんとか結婚もして、あの頃の俺と同じ歳をした子供もいる。
俺が庭で火を起こしていると、小さい船長が走り寄ってくる。誰に似たのか、こいつも昔の話が大好きなんだ。今はもっぱら海賊の船長がお気に入りだ。
「パパ、何してるの」
「焼き芋だよ」
「外でお芋をやくの? へんなの」
俺は笑った。突然、あの時の親父の気持ちが分かったんだ。
俺は小さな船長を抱き寄せ、その場に座り込んだ。
「なあ、おい、秋って知ってるか」
「あき? しらない」
「じゃあ教えてやろう。いいか、ずっと昔、この世界には夏と冬の間にもうひとつ季節があったんだ」
俺は親父から聞いた話を思い出すようにして、ひとつひとつを話した。
絶滅した赤トンボという虫の話。栗や梨という、不思議な果物の話。山の中に段々と水田が作られ、そこで黄金に色付いて風に揺れる稲穂の光景。
風は心地よく、空は不思議なほど高くなって、遠くに浮かぶ雲がいくつも並んでいる。朝と夜は寒いのに、昼は暑い。でも、春のようにぽかぽかとする時間もある。木々は紅く色付き、だんだんと近づく冬の寒さを感じながら、道に敷き詰められた落ち葉をふみ鳴らしながら歩く。
やがて、俺は親父の話をする。今はもうどこにもない季節に恋をして、探しに行ってしまった男の話を。
いつか見た親父の瞳と同じ輝きが、俺の目の前にあったからだ。
了
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