失くした雑音
風邪は気のせいだったようですね! 一晩経てばすっかり元どおりです。いえ嘘をつきました。すっかりではないですが快方に向かっています。まさに締め切りを前にしてのことなので、これは嬉しい誤算です。風邪を引けば何にも遠慮することなくごろごろと休むことができて残念だという気持ちがないといえば嘘になりますけれども。
そういえば先日、ワイヤレスのイヤホンを紛失しました。いえ嘘をつきました。紛失したと思いました。いつも置いている場所になくて、部屋を探しても見つからず、結果的に外で作業をしたときにおき忘れたのだろうと推測したのです。
外で作業をするのは喫茶店であるとか、カフェであるとか、ファミレスですね。雑音を排して集中するためには、ワイヤレスのイヤホンというのは必須でした。ところで周囲の音を雑音と評するのは勝手なものだなと自分で書いていて思いました。例えば図書館で騒ぐ人は雑音です。図書館では静かにするものと規範が定まっており、多くの人がそれを守ることで一種の空気感を生み出しています。その空気感こそが図書館という場所の象徴にも繋がっているのです。それを乱すことは図書館という場に相応しくないので、邪魔である、つまり雑音となります。
しかしカフェやファミレスではその規範はありません。別に騒ごうが盛り上がろうがおしゃべりしようが、それはそれです。うるさいとか邪魔だと言うのはこちらの都合ですし、そもそも飲食を目的とした場所でノートを広げておいて「うるせえな静かにしろよ」と言う方が非常識的な存在のように思えます。
だから周囲の音を雑音、と表現することはあまり良いことではありませんね。僕は駆け出しとはいえ文章を生業としています。ですので上手く言い換えるとして、ここでは「好ましいとは思えない音の連なり(個人の意見です)」としましょう。
本題に戻りますが、カフェやファミレスなどの、自宅と職場・学校等以外の第三の場所は、仕事を進めるには良いところです。ノマドワーカーなんて言葉も流行しましたね。外で小説を書くというのも、一種のノマドワークです。
そういった場所で物事を考えると、やはり好ましいとは思えない音の連なり(個人の意見です)が障害となることもあります。
その時に活躍するのがワイヤレスのイヤホンでした。これが耳栓の代わりになり、音楽を流せば自分の世界にも浸り、好ましいとは思えない音の連なり(個人の意見です)を物ともしないで集中できるのです。
これがないと全く不便で、耳に物を詰めないで集中することなどできません。好ましいとは思えない音の連なり(個人の意見です)は全くうるさくてマジで雑音なのです。
なので早々にAmazonで新しいものを購入しました。使い心地的には以前のものに劣るけれども、まあ上手くやっていけるだろうと思っていた矢先、失くしたと思っていた以前のあいつが出てきました。まさかそんなところにいるとは……というところからの登場です。
二つ並んだワイヤレスイヤホンを前に、少しの無念さを感じます。無駄な出費となってしまったか……。
ご支援は執筆の燃料とさせていただきます。