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『ターナー日記』の邦訳⑦第十二章~第十三章


第十二章

1991年12月4日。エルサと話すためにジョージタウンに行った。二週間前に出会った、あの小柄な赤毛の"中退少女"だ。訪問の目的は、"システム"にたいする戦いのなかでエルサの友だちが役に立ってくれる可能性について、もっと査定をしてみることだ。
彼らの一部は――またはすくなくとも似た状況にある人間は――すでに"システム"にたいして独自に戦争を開始していた。"組織"がかかわっていない事件が先月はあきれるほどたくさん続発していた。爆破、放火、誘拐、公共の場での暴力的なデモ、サボタージュ、著名人への殺害の脅し。二件の暗殺事件すら公になって知られている。異なる無数のグループがこれらいろいろな事件の首謀者を名乗っている――アナーキスト、反納税主義者、ワン・ストライプなどの"解放戦線"、誰もついていけないぶっとんだカルト宗教。斧で頭をぐちゃぐちゃにしたようなこれらの狂人たちは、どいつもみんな実行犯にみえる。
そいつらのほとんどはドジな素人にすぎないので、われらが人種統合済みのFBIでも見事な手並みで検挙できているが、まだまだいくらでも湧いてきそうだ。"組織"の活動によって顕在化した、革命勢力の暴力と政府の反撃の応酬がつくりだした雰囲気によって、そいつらは触発されたのではないか。
もっとも興味深い側面は、"システム"がけっして市民全員の心を支配しているわけではないという証左になっていることだ。もちろんほとんどのアメリカ人はテレビ教の大司祭に命じられるままに一糸乱れぬ行進を続けている。しかし、増大しているマイノリティが足並みを乱して、"システム"を敵とみなしている。残念なことに、彼らの敵愾心はたいてい的外れな根拠に基づいているので、連携して活動をするのは無理そうなのだが。
真実のところ、大多数の事例において、理屈がとおった根拠など彼らの活動には皆無なのだ。政治的なテロリズムというよりもむしろ、破壊行為の形をとった不平不満の大規模な暴発にすぎない。なにかをぶち壊してみたいだけだ。そこで生活することを強いられている世界の生きずらさにたいして責任がある人間にやつあたりをして。秘密警察も、今の広範な破壊行為をあまりながく抑えておくことはできない。手を焼いて、悩みの種になっている。
政治の破壊屋とただのアホどもにくわえて、大衆のなかの二つのグループが最近の出来事でおおきな役目を演じていた。黒人分離主義者と、組織化された犯罪者がそれだ。数週間前まで、すべてのナショナリストは――1970年代に黒人への嫌悪感をあらわにしていた連中は――"システム"に買収されてしまったのだと誰もが信じていた。彼らは鳴りを潜めて自分の商売のことだけを気にかけているように見えたが、いまや反撃のチャンスをみつけている。"トム"のグループの事務所を爆破したり銃撃戦をやったりしていたやつが多かったようだが、先週にニューオーリンズでなかなかの規模の暴動を計画した。大量の窓ガラスを割って、略奪を実行したらしい。彼らにもっと力をやるべきだ!

二つか三つのおおきな労働組合を所有しているマフィアと、二つの組織犯罪のグループが恐喝活動を大幅に活発化していて、無秩序と社会不安を利用している。ビジネスマンや事業主に"みかじめ料"を出さないと店を爆破するぞと言い渡すのだが、数か月前よりも彼らはずっと信じやすくなっている。誘拐も大きなビジネスになった。(俺たちが)プロの無法者どもの邪魔をしないか"システム"が心配していて警察は多忙になっているので、彼らはやりたい放題だ。
冷徹な視点で物事をきびしくみれば、この犯罪の急増をすら俺たちは歓迎しなければならない。"システム"への大衆の信頼を低下させるのに役立つから。だが、その日はいつかかならずくる。"システム"に買収された判事によって甘やかされた彼ら犯罪分子を一人のこらずひっ捕らえて、壁に手をつかせてやる。判事との茶番劇はもうおしまいになる。

エルサがおしえてくれた番地を訪問した――昔はエレガントなテラスハウスだった家の地下室の玄関だった――エルサを呼ぶと、ワンワンと泣く幼子を抱いた、あきらかに妊娠している若い女が出てきて、俺を入れてくれた。目が薄暗さに慣れてくると、地下室の全体が共同の生活空間として使われているのがわかった。低い天井を走っているパイプから毛布とシーツが吊下げられていて、角と壁面にそった六か所をおおざっぱに仕切っており、半プライベートの寝室をつくっていた。しかも、床の主要な部分にはマットレスが何枚か敷かれていた。洗濯槽では二人の若い女が調理用具を洗っており、その隣のトランプ台のほかには家具がなかった。椅子すらもない。
一方の壁際には古めかしい薪ストーブがあり、地下室に唯一の暖気を送っている。あとで教わったところでは、水道だけがこの小さな生活共同体で自由に使える公共インフラであり、ストーブの燃料は隣人のごみをあさったり、上階に行ってドア、手すり、窓枠、挙句のはてには床板を剥がしてくるという。またあるいは、地下室の階段をあがった先の、重厚なバリケードが築かれた鉄のドアのむこうにはもっと大人数で占拠している住民たちがいるのだが、彼らはときどき野外でドラッグパーティーをひらく。パーティーのあとには、下階から侵入してくる薪の調達隊を追い払える状態でなくなっているという。
地下室の住人たちはハードドラッグをやらないことにしているので、上階の人間よりも自分たちはマシだと考えている。こんなありさまだが、それでも彼女たちは汚らしい地下室が自分たちには住みよい場所だと考えている。なぜならば、暖房がしやすいし、上階よりも安全である。窓は天井近くにしかなくて、とても小さくて泥で汚れている。悪意のある侵入者が通りぬけるにはかなり小さすぎた。おまけに夏には上階よりも涼しいときている。
俺が地下室に入ったときには、七、八人が地下室のマットレスに寝そべりながら、電池式のテレビ受信機でくだらないバラエティ番組をながめてマリファナの煙草を吸っていた。気が抜けたビール、洗っていない洗濯物、マリファナの煙の悪臭が部屋に充満していた(彼女たちはマリファナをドラッグとみなしていない)。
四つくらいのちいさな男の子が二人、素っ裸のままで床に転がって、ストーブのそばをめぐって喧嘩をしていた。天井近くの使われていない暖房配管のうえで、灰色の猫が座ってくつろぎながら俺を興味深そうにみつめていた。
だが、マットレスに寝そべっている人たちは俺をちらりと一瞥したのみであり、それ以上の関心をしめさなかった。テレビ画面の光を浴びている顔のなかにエルサはいなかったが、俺を入れてくれた少女がエルサを呼ぶと、遠い角を仕切っていた毛布が急にかき寄せられて、エルサの頭とむきだしの肩が一瞬であらわれた。俺をみとめるとおおいに喜んで歓声を上げてから、毛布の後ろに引っこんだとおもうと、"おばあちゃん"みたいな服を着てすぐにまたあらわれた。ブランケットをかきわけて彼女が出てきたときに、もう一人誰かがいたのがちらりとみえて、かすかに動揺した。嫉妬かよ?
エルサは飛ぶように俺を抱擁して心からの親愛の情をあらわしてから、割れかけのポットで手づから淹れたコーヒーを勧めてきた。バス停から歩いてきてすっかり体が冷えていたので、ありがたくコーヒーをいただいた。ストーブのそばのマットレスの空いた場所にいっしょに座った。テレビの音と赤ん坊が泣く声と乱闘している二人の少年の騒音のおかげで、盗み聞きをあまり気にせずに会話をすることができた。
俺は訪問の真の理由をすぐにばらしたくなかったので、いろいろなことを話すことになった。エルサと彼女が一緒に暮らしている人たちのことがよくわかった。そのなかには悲しい話もあったし、ほんとにびっくりさせられた話もあった。
エルサ自身の身の上話は悲しいものだった。彼女はアッパーミドルクラスの両親の一人娘である。父親はワシントンでもっとも有力な上院議員のスピーチライターである(であった、というべきかもしれない――彼女は一年以上も家族に連絡を取っていなかった)。母親は左翼の財団の弁護士であり、おもな仕事は郊外の白人の住民の住宅を買い上げて、生活保護を受けている黒人の一家にあたえることだった。
15才になるまでのエルサはとても幸せだった。一家はそれまでコネチカットに住んでいて、エルサは私立の上流女子学校に通っていた(とうぜんだが、いまや男女別の学校は違法になっている)。夏休みは両親とともにビーチのある別荘で過ごした。別荘のまわりの森林と山道をひとりでずっと歩き回った思い出を語るときのエルサの顔は輝いていた。彼女は自分用のちいさなヨットを持っていて、よく沖合の小島に行っては、自分だけのピクニックをして、太陽の光を浴びて横たわりながら幸福な空想にながくふけった。
一家はその後、ワシントンに移ったのだが、郊外で白人といっしょに住むのではなく、キャピトル・ヒルの近くの黒人ばかりのアパートを借りるべきだと母親が力説した。エルサが入れられた中学校で、白人の生徒は彼女を入れてたった四人だった。
エルサの成長は速かった。彼女の天性の心やさしさと物おじしないオープンな性格が、人目を引かずにいられない肉体的な魅力と相まって、十五歳のときにはすでに並はずれて性的に魅力的な少女になっていた。その結果として黒人の男たちがエルサに休まるときをあたえないようになった。彼らは学校でほかのもう一人の白人の少女にも手を出しつづけていた。黒人の少女たちはこれをみてエルサになみはずれた執着を以て憎しみを燃やし、できうる限りのあらゆる手段で彼女をいじめた。
エルサは学校にいる間、トイレにいかないようにした。一瞬たりとも教師の視界の外にでないようにすらしていた。ほどなくして、教師はなんら実際に守ってはくれないことをさとった。ある日、黒人の教頭が彼女を部屋の角においやって服のなかに手を入れようとしてきた。
くる日もくる日も泣きながら学校から帰宅しては、別の学校にいかせてと両親にお願いをした。母親の反応は、金切り声をあげて彼女の頬を打ち、"レイシスト"呼ばわりしてくるものだった。もしも黒人の少年たちが彼女を困らせるのならば、それは少年たちでなく彼女に責任があるというわけだった。しかも、彼女は黒人の少女たちと友達になるためにもっと努力をするべきらしい。
父親も慰めをあたえてはくれなかった。教頭にされたことを話したときですら。彼には手に負えない問題であり、話を聞きたくなかった。彼はリベラリズムについて母親よりは消極的だったが、人種にかかわる問題については、徹底的に"リベラル化"された妻にしたがうように委縮させられていた。三人の若い黒人のチンピラが自宅の玄関の外の階段上で父親にからんできて、財布と腕時計を奪ってから殴り倒して眼鏡を踏みつけてきたときでも、母親は警察を呼んで強盗におそわれたことを伝えるのをゆるさなかった。黒人にたいして警察へ告訴状を提出するという考えは"ファシスト"のものだと彼女はみなしていた。
エルサは三か月のあいだ耐えてから、家出をした。今いるちいさな共同体に入れてもらってから、もともとネアカな性分なので、あたらしい境遇に慣れて満足するようになった。
それから約一月後に、俺が彼女と出会うことになった事件がおきた。メアリー・ジェーンというあたらしい少女がグループに加わったが、エルサとのあいだにいさかいが生じた。エルサがその当時にマットレスを共有していた少年は以前からメアリー・ジェーンと知合いだったらしいのだが、メアリー・ジェーンがエルサを略奪者とみなしてしまった。メアリー・ジェーンが自分の彼氏にエサを与える努力をちっともしていないことにエルサも腹がたった。あげくのはてには、絶叫、ひっかき、髪をひっぱるキャットファイトが二人のあいだにある日勃発して、メアリー・ジェーンのほうが強かったので勝利をおさめた。
エルサは二日間も通りをさまよった――そのとき俺と出会った――それから彼女は地下共同体にもどった。メアリー・ジェーンはそのころ別の女性たちにも迷惑をかけていたので、エルサはその弱みを突いて最後通牒を提出した。メアリー・ジェーンか出ていくか、さもなくばエルサが永久に出ていくか。メアリー・ジェーンはエルサをナイフで脅して返答をした。

「それで、どうなったんだ?」

俺は聞いた。

「彼女を売ったわ」

エルサは簡潔に答えた。

「彼女を売った? どういう意味だ?」

おもわず声が高くなった。
エルサは説明をした。

「地下室の全員がわたしの側に付いてもメアリー・ジェーンは出ていくのを拒んだから、わたしたちは彼女をユダヤ人のカピーに売った。彼はテレビと二百ドルを彼女の代わりにくれた」

「ユダヤ人のカピー」というのは、あとでわかったのだが、カプランという名前のユダヤ人であり、白人の奴隷を売買して生計を立てている。彼は家出少女を買うためにニューヨークからワシントンへと定期的にやってくる。おもな仕入先は"狼の群れ"であり、その一つから俺はエルサを救い出した。そういう略奪グループは街角で少女を捕獲しては一週間くらい拘束して、もしも彼女たちの失踪のことが新聞に書かれていなければ、カプランに彼女たちを売っぱらう。
そのあとの少女たちになにが起こるのかは誰にもたしかなことが言えないが、ほとんどはニューヨークのある種の閉鎖的なクラブに閉込められていて、そこで金持ちがあやしい変態的な欲望を満たしているという想像ができる。噂では、最終的に悪魔崇拝者のクラブに売られて、身の毛もよだつ儀式のなかで無残に手足を切断されるものもいるという。それはさておき、地下共同体のだれかが、カプランが町にいて少女を"買ってくれる"と聞いたことがあったので、出ていくのを拒否したメアリー・ジェーンを縛り上げてから、カプランを探して売りに出したのだ。
俺は自分がものに動じない男だと信じていたのだが、エルサが話したメアリー・ジェーンの運命がおそろしくなった。

「どうして…」

怒りをはらんだトーンで訊ねてしまった。

「白人の女の子をユダヤ人に売るなんてことができたんだ?」

あきらかに俺の不興を買ってしまったのに気付いたエルサは決まりがわるそうだった。あれは気分がわるいことだったし、メアリー・ジェーンのことを考えると時おり罪悪感にとらわれるが、あのときは共同体の問題にかんする最適の解決法だとおもえたと打ち明けてくれた。こういうことはいつでも起こっていて、当局はすべて把握しているはずだが干渉してはこない。だからじっさいのところ、だれかのせいというより社会の罪なのだと、申しわけ程度に彼女は弁解を述べた。
俺は嫌悪感で首を振ったが、俺がもっとも興味のある話題の端緒がこの会話によってひらけた。

「カプランとそいつの汚らわしい商売の存在をゆるしておく文明なんて、一片ものこらずに焼き尽くされるべきだ」

俺は言った。

「なにもかも、かがり火に投げ込んで、あたらしくやり直すべきなんだ」

最後の言葉は、地下室の全員にきこえるように無意識に声を大きくしてしまった。テレビの前のマットレスにいた毛深いやつが起上がって、ゆっくりとこっちにきた。

「なにかできることがあるか?」

答えは期待していないようだが、彼は聞いてきた。

「ユダヤ人のカピーはすくなくとも数分前に逮捕されたが、おまわりはいつもあいつを釈放しちまう。あいつは政治的なコネを持ってる。ニューヨークにいる大物のユダヤ人を顧客として抱えてるんだ。あいつが提供しているクラブを訪問するために定期的にニューヨークに行く下院議員が数人いるとも聞いたことがある」
「その議員どもをぶっとばしてやるべきだ」

俺は答えた。

「もう誰かがやってるさ」

彼は笑った。おそらく、"組織"がやった迫撃砲による攻撃のことを言っているのだろう。

「そうだな。もし爆弾があったら俺も自分でやってる」

俺は言った。

「どこかにダイナマイトはないか?」

彼は肩をすくめてテレビの前にもどっていった。俺はエルサから情報を引き出そうとこころみた。爆破事件を起こしたのはジョージタウンのどのグループだ? そいつらのメンバーと俺はどうすれば接触できるんだ?
エルサは力になろうとしてくれたが、なにも知らなかった。彼女にとっては特別な関心がない分野の話だった。ついに、さっきこちらに来た男に助けをもとめた。

「ハリー、29番通りのむこうにいる人たちじゃないかしら? あの人たちは「豚どもと戦う"第四世界自由戦線"」だと自称している」

ハリーは露骨にエルサの質問をいやがっていたが、急に立上がって俺たち二人をにらみつけた。それから答えもせずに地下室の外に飛びだしていった。彼の背後でドアが大きな音を立てて閉まった。
洗濯槽のところにいた女性の一人がやってきて、今日はエルサが昼飯を用意する日であり、まだジャガイモをストーブに乗せて焼く仕事すらやっていないことを彼女に伝えた。俺はエルサの手を握って彼女の安息を祈り、地下室を出ていった。
かなり無理のあるのことをやろうとしたと思う。"はみ出し者"のコミュニティに足を運ぶだけで、"システム"にたいする違法な暴力活動にかかわっている人間のところへ恭しく案内してもらえるなんて、信じられないほどに子供っぽい思い込みだった。ワシントンで活動している警察の覆面捜査員がみんな同じことをこころみているにちがいない。きっと俺も捜査員だとそこらじゅうにお触れが出ている。あの特異な場所で反システムの戦いをしている戦士とコンタクトがとれるかもしれない可能性がこれで打砕かれた。
もちろん、だれか他のやつを送って"第四世界自由戦線"なる連中を探させてみることもできた。それがいったいどんな奴らかは知れたもんじゃないが。しかし、今はもうそれにどんな意味があるのかを疑問視している。エルサを訪ねてみて非常によくわかったのは、彼女の生活圏にいる人々には"組織"との建設的な協力体制がきずける可能性があまりないということだ。
彼らには規律が欠けているし、目的意識もまったくない。あきらめてしまっているんだ。彼らがもとめているのは日がな寝そべっていちゃついたりマリファナを吸ったりすることだけだ。政府が彼らへの福祉手当を倍増してやれば、爆弾魔すら闘志を阻喪するだろうと確信している。
エルサは基本的にいい子だし、ほかにも根はまともな人間がたくさんいるのだろうが、彼女たちはこの悪夢の世界に溶け込むことができなかったので落伍者になってしまった。ある意味では、俺たちはどちらも現状の世界を拒絶して、おなじくそこから身を引いた。"組織"の人間とエルサの友達とのちがいは、俺たちにはうまく対処する能力があったが、彼らにはなかったことだ。俺やヘンリー、キャサリン、"組織"のほかの人間が、やるべき仕事がたくさんあるのにただテレビの前に座って世界がおわるのを待っているなんて想像することができない。人間の質のちがいがある。
だが、そこにはある種の質よりも俺たちにとって大切なことがある。ほとんどのアメリカ人はまだなんとかやっている。あるものはぎりぎりで踏みとどまり、またあるものは得意満面で。そいつらが落伍者になっていないのは、確かな感性が欠けているからだ――俺たち"組織"がエルサと彼女の最良の友達とのあいだで共有していると俺が信じる感性――この腐りきった社会の悪臭を嗅ぎとって、俺たちが猿ぐつわをはめられていることを自覚することができる感性。世間の器用なやつらは、不器用な人間のおおくとおなじように悪臭を嗅ぎとることができないか、あるいは気にしていないのだろう。ユダヤ人はどんな豚小屋にでもそいつらを閉じ込めておけるし、残飯をたっぷりと与えてくれるかぎりはそいつらも順応するのだ。進化の法則によって彼らは訓練された生存者となったが、べつの視点でみると彼らはふるい落とされたのだ。
人間の文明とはなんて脆いのだろう! 人間の本質はなんて薄っぺらいのだろう! そして、充満している大衆のなかに生の規範を持っている人間がどれだけすくなくて、ただ生活の糧をもとめてあがいていることか!
一パーセントか二パーセントの最良の個人――同胞のなかでもっとも精力的で聡明でしかも勤勉な国民――の存在がなければ、この文明もほかのいかなる文明も長く持続することができないと確信できる。おそらくは何世紀にもわたって徐々に崩壊し、人々にはそのひび割れを補修する意志も活力も才能もなくなるだろう。最終的に、一切はその未分化の、文明以前の状態に還ってしまう――ジョージタウンの落伍者たちと大差のない状態に。
それなのに、活力も意志も才能も不足しているのは明白だ。アメリカにはまだ文明の車輪を回し続けている卓越した成功者がじゅうぶんにいる。しかし、このすばらしい成功者たちは、自分の努力によってずっと運転してきた機械が道をはずれて奈落へと猛スピードで転がり落ちていくのに気が付いていないようにみえる。自分たちがえらんでいる道の先にあるものの醜悪さと自然の摂理への違反とに無頓着だ。究極の脅威にたいしても。
俺たちの種族をジャングルから連れ出して真の文明の建設へとむかう最初の数ステップを導いたのは、少数の人間のなかのそのまた少数の人間にすぎない。やるべきことを直感によって知る感性とそれをやりとげる能力とを持合わせていた、祖先のなかのそういう一部の人々に俺たちはすべてを負っている。その感性がなければ、どれだけ能力があっても真に偉大な功業を成遂げることはできないし、能力がなければ感性はただの空想であり、挫折でおわる。"組織"は、人類の大集団から、この稀少な組合せの融合がなされた、いまの俺たちの世代の人間をえらびだした。今こそ、勝ち抜くために必要なことをなんでもやらなければならない。

第十三章

1993年3月21日。今日はあたらしいはじまりの日だ。春がはじまる最初の日でもあるのは偶然の符合だ。俺にとっては生きる屍と化していた470日間からの生還みたいなものだ。時間があまりにも長くかかったが、キャサリンとまたほかの相棒たちといっしょに戻ることができたので、戦いを再開することができる――このような思いが胸にあふれて、言葉にできないよろこびが湧きあがってくる。
この日記を最後に執筆してからとてもたくさんのことが起きた(キャサリンが俺のために日記を守り抜いてくれたのは何にも代えがたい歓びだ!)のだが、どうやってここで要約したものかが悩みの種だ。よし、最初の事件を最初に書こう。とある日曜日の朝四時ごろ、外はまだ真っ暗だった。俺たちはみんなすやすやと眠っていた。最初に思い出せるのは、キャサリンが俺の肩を揺さぶって起こそうとしていたことだ。ブザーがどこかで鳴り続けているのがかすかに聴こえたが、寝ぼけていたので目覚まし時計が鳴っているだけだとおもった。

「まだ起きる時間じゃないはずだ」

俺はうめいた。

「下の階の警報ブザーよ」

緊迫した様子のキャサリンが早口でささやいた。

「だれかが外にいる」

俺は覚醒にひきこまれたが、まだ足を床に着けてもいないさきに耳を打つ轟音がして、厳重に板張りされていたはずの窓から火花を発するなにかが侵入してきた。すぐに窒息性のガスで部屋がいっぱいになって、俺は呼吸ができずにあえぎ苦しんだ。
そのあとの数分間は記憶がやや曖昧になっているが、どうにかして俺たちは明かりもつけずに全員がガスマスクを装着した。キャサリンとキャロルに二階の窓を任せて、ビルと俺が階下にいそいだ。さいわいなことに、まだだれも建物に侵入を試みてはいなかったが、ビルと俺が階段を降りきったときに、だれかが外から拡声器を使って俺たちに手をあげて外に出てこいと命令をしている声が聴こえた。
のぞき穴をとおして素早く確認をした。大量のサーチライトが一斉にこの建物を照らしていて、外の闇がまるで昼間のように明るくなっていた。光のむこうに何があるかは眩しすぎてあまり確かめることができなかったが、数百人の兵士と警察官が装備を整えて外に待機しているのはすぐにわかった。
脱出をこころみても無駄なのはだれがみても明らかだったが、俺たちはとりあえず短時間の一斉射撃を敵に浴びせた――半ダースほどのすばやい射撃を各方向に――二階の窓から、一階の窓から、正面から、後ろから、ただ外の人間が建物への強行突入をはかる気をなくすように。そのあとは壁の後ろに待機した。窓とドアは猛烈な応射であっというまに蜂の巣になっていた。そして、失うわけにいかない装備をできるかぎり脱出トンネルへと運ぶ作業に専念した。車庫のセメントブロックの壁は、どの方向からの小火器の射撃にたいしても防護になる。
ビル、キャサリン、キャロルがリレー方式で、暗いトンネルの先へと装備を運んだ。俺は工場内にとどまって、持ち出すべきだと判断した装備をあつめた。45分にもわたって三人が半狂乱になって働き、ながいトンネルの先の排水路へと武器と通信機器を小山のようにあつめた。
三人がもっぱら荷運びをおこなったが、彼らが銃撃にさらされることはなかった。俺はずっと耳元で銃弾のうなりを聴いていたし、跳弾によって壁が削りとられたコンクリートの破片を浴びた回数はすくなくとも一ダースにおよぶ。どうして俺は死なずにすんだのか、いまだにわかっていない。襲撃者たちに包囲をつづけさせるために、ドアごしに何度か五分くらいずつ撃ち返すことまでできた。
最終的に運び出すことができたのは、小型の火器と弾薬のすべてと、バルク爆薬と重い兵器の約半分、そして通信機器のまるまるすべてだ。ビルは自分の道具をいつも道具箱に整頓して入れておく習慣があったので、道具を持ち出すことができた。しかし、俺の検査用の機器は工場中に散乱していたので、その大半を遺棄することになってしまった。
自動車の整備ピットのなかで急いで話し合った結果、俺が工場内にとどまって脱出トンネルへの入口に爆発物を仕掛けるあいだにビルと女性たちが車を盗んで物資を積みこむことにした。俺は三人に三十分をあたえる。それからフューズに点火して自分も脱出する。
キャサリンが一人ではなれて脱兎のごとく二階に上がって、俺たちの私物を――俺の日記もふくめて――いくつか抱えてきたが、全員早くトンネルに入れと追いやった。
一階のドアと窓の板はこの時点でだいぶボロボロになっていたので、サーチライトからの光が工場内へとおびただしく射し込んでいて、動き回るのはきわめて危険だった。冷や汗をかきながらいそいで仕事をして、20ポンドのトリトーナル火薬を整備ピットにもってきて、まさにトンネルの入口の真上に設置した。
それから床を這って壁にむかった。そこでは小型の容器に約100ポンドのトリトーナルが収納されていた。導爆線をその容器から整備ピットまで引いてやれば、工場全体が爆発でふっとんで全てのものが瓦礫に埋まってしまう。警察が瓦礫をとりのぞいて俺たちが逃げおおせたことを知るまで、二日はかかるだろう。
だが、壁にたどり着くことは結局できなかった。というのも――何が起こったのか、いまでも正確なところはわからない――整備ピットの爆薬が予定より早く起爆した。跳弾が点火薬に当たったのかもしれない。まだ投げこまれていた催涙ガスのグレネードがフューズを点火させたということもありうる。なにが起こったにせよ、衝撃によって俺は完全に気を失った――死ななかったのが不思議なくらいだ。意識を取りもどしたときには、病院の緊急治療室の手術台にいた。
それから数日間はかつてないほどに苦痛に満ちた時間だった。思い出すだけで恐怖がよみがえる。俺は緊急治療室からそのまま、FBIのビルの地下にある取調室に移された。そのビルには七週間前に俺たちがやった爆破のがれきがまだたくさん残っていた。
俺はまだ状況を理解していなくて、そのうえ傷がこっぴどく痛んでいたのに非常に手荒にあつかわれた。背中に回された手首にはきつい手錠がかけられていて、命令にたいして口ごもったり返事が遅れたりすると、蹴りつけられたり殴打をされた。取調室の真ん中に立っていることを強要されたまま、六人のFBIの調査官が全方位から大声で詰問をしてきた。たとえ彼らに協力してやりたくても、自分でも何を言っているのかわからないことを途切れ途切れに呟くのがやっとだった。
そんな激しい責め苦のなかでも、調査官の質問をとおして仲間は無事に逃げおおせたにちがいないことがわかると、高揚感で胸が熱くなった。俺を取り囲んでいる男たちは、飽きもせずにおなじ質問を繰り返していた。

「ほかの人間はどこにいるんだ。あの建物にはおまえのほかに何人がいた。そいつらはどうやって脱出したんだ」

どうやら、整備ピットの爆薬がトンネルの入口を跡形もなく破壊することに成功したらしい。質問の反復は平手打ちと蹴打によって中断されて、俺がとうとう床に崩れ落ちるまで打撃がつづいた。そのまま意識がなくなったのは幸いなことだった。
ふたたび気が付いたときには、倒れたところのむき出しのコンクリートの床にまだ寝たままだった。照明が点いていたが、室内には他にだれもいなかった。エアハンマーの連続音と、廊下で修理工が働いている物音とがドア越しに聴こえた。体中がずきずきと痛んだ。とくに手錠が苦痛だったが、頭はほぼスッキリとしていた。
はじめに頭に浮かんだのは、毒のカプセルがもう手元にないことへの悔悟だった。秘密警察はあたり前のこととして、車庫で気絶している俺の身柄を確保したときにすぐにネックレスをとりあげていた。爆発のまえの時点で用心のためにカプセルを口内に運んでおかなかった自分の過ちを悔いた。もしかしたら、病院で目覚めてすぐならばまだネックレスを持っていたのかもしれない。くる日もくる日も、後悔がよみがえらないときはなかった。

次に頭に浮かんだのも、後悔と自己批判だった。二日前にエルサのもとを軽はずみに訪問したのがいまの絶体絶命の窮状を招いた原因ではないかという、ほとんど確信にちかい疑念に強くさいなまれていた。エルサのところにいた誰かが俺をアジトまで尾けてきて、チクったに違いない。この疑念はのちに、俺を助けだしてくれた人たちの手によって間接的に確証が得られた。
全身の痛みと陰鬱な思考に耽っていられたのはたった数分だけであって、すぐに第二の尋問がはじまった。部屋に今回やってきたのは、FBIの職員が二人と医者が一人、そして三人の男だった。三人の男のうちの二人は大柄で筋肉質の黒んぼだった。医者はみたところ七十歳ほどで、腰が曲がっていて白髪だった。下卑た口元にぞっとする薄笑いを浮かべていて、時おりいやらしくにやついて、煙草が染みついた歯と金冠をみせた。
医者がそそくさと俺の様子を診て、だいぶ元気になっていると宣告した。FBIの職員が俺を立ち上がらせてからドアの近くに陣取った。邪悪な金歯の男によって尋問の幕が上がった。
彼はヘブライ語かと言いたくなるほど変なアクセントとかすれた声でしゃべって自己紹介をした。拍子抜けするほどに穏やかで、手慣れた様子だった。イスラエル軍諜報部のサウル・ルビン大佐というらしい。外国政府の代表が俺になにを聞く必要があるんだとおどろく暇もなく、ルビンは説明を始めた。

「Mr. ターナー、君たちのレイシストとしての活動は国際大量虐殺条約に違反しているので、君は国際裁判所で君の国とわたしの国の代表によって裁かれることになるだろう。だが、そのまえにわたしたちは君から情報を引きだす必要がある。そうすれば、君の仲間の犯罪者たちにも裁きをあたえることができる」
「もちろん、昨日の夜の君はとても協力的といえなかったが、僕の質問に答える気がないならば君にとっては非常に厳しいことになるのを警告したい。わたしはこれまで四十五年にわたって、非協力的な人たちから情報を絞り出すことについては莫大な経験を積んでいる。最後はみんな、わたしが知りたいことをなんでも教えてくれた。アラブ人でもドイツ人でも。だけど、強情だった人たちはとても不快な体験をした」

それから短い間をおいて、

「そうだな、たとえば1940年代のドイツ人――とくに1946年のSSの人間――はじつに強情だった」

自負心を刺激するらしい回想によってルビンの顔に一段と悪趣味な笑みが浮かんだので、俺は身震いをおさえることができなかった。かつて陸軍の情報部員だったメンバーが何年か前にみせてくれた、おそろしい写真のことを思い出した。そこに写っていたのはドイツ人の囚人であり、軍事法廷で"戦争犯罪"の有罪判決が下って処刑が実行される前に目をくりぬかれ、歯を抜かれ、指が切り落とされて、睾丸が潰されていた。やったのはその多くが米陸軍の制服を着た、猟奇的な尋問者だった。
目の前にいる、おぞましい目つきをしたユダヤ人の顔を拳で叩きつぶすことができるなら他に何もいらなかったが、手首にはめられた手錠がそんな贅沢をゆるしてくれなかった。ルビンの顔面に唾を吐きかけて同時に股間に蹴りをお見舞いするだけで我慢することにした。残念なことに、ずきずきと痛み続けるうえにこわばった筋肉のせいで狙いがそれてしまって蹴りはルビンの太ももにしか命中せず、やつは二歩よろめいて後退した。
それから二人の下っ端の黒んぼが俺を拘束した。ルビンの指示にしたがって二人は残虐で徹底的でかつ精確な殴打を俺にくわえた。おわったときには、全身でくまなく焼けるような苦痛がうずいて床で身もだえをしていた。哀れなうめき声をかすかにあげながら。
尋問タイムの次には、さらに輪をかけてひどい仕打ちを受けた。公開の"見せしめ裁判"が俺のために計画されていたからだ。アドルフ・アイヒマン方式だろう。ルビンは俺の目をくりぬいたり指を切り落としたりはしないことにしたようだ。そんなことをすれば俺が見苦しくなってしまうから。しかし、やつが俺にやったことは苦痛に満ちていた。

(読者への注意:アドルフ・アイヒマンとは第二次世界大戦時のドイツの中位の役人である。戦争から十五年後のBNE39年に彼は南米でユダヤ人に誘拐されてイスラエルへ運ばれた。そこで、入念に仕組まれた二年間のプロパガンダの主役に仕立てられた。そのキャンペーンの目的は、"迫害された"ユダヤ人のために用意された唯一の安息の地であるイスラエルのために、世界の非ユダヤ人の同情を惹起することだった。悪魔のように残酷な拷問を経てから、アイヒマンは防音ガラスの檻にいれられて四か月間の見せしめ裁判に陳列された。そこで彼は"ユダヤ民族にたいする罪"によって死を宣告された)

何日間もつづく拷問のすえに俺は完全に気がくるってしまって、ルビンの予想通りに、やつが望むことをあらいざらい吐いた。人間の身には他にどうしようもなかった。
拷問タイムのあいだ、臨席して傍観していた二人のFBIの職員がときおり少々青ざめていた――しかも、ルビンが二人の黒人アシスタントに命じてながい角棒を俺の直腸に突っ込ませて、俺が串刺しにされた豚のように悲鳴をあげてのたうち回ると、職員の一人は具合がわるくなったようにみえた――それでもけっして異議をさしはさもうとはしなかった。それは第二次世界大戦のあとに起こったことと同じなんだとおもう。つまり、アメリカのドイツ系将校が、ドイツ陸軍にいた人種的な同胞にたいするユダヤ人の拷問者の仕事を平然とながめたり、またドイツ人の少女にたいする黒んぼのG.I.のレイプなどの残忍な所業を問題があるとみなさなかったのとおなじだ。彼らは自分の人種を憎悪するようにユダヤ人に洗脳されていたか、自分の給料がもらえるかぎりは言われたことなら何でもする、ただのなにも感じないろくでなしだったのではないか。
ルビンの苦痛に満ちたうるわしい指導を受けてもなお、"組織"の尋問技術のほうが"システム"のよりはるかに効率的だという確信しか俺にはなかった。俺たちのやり方は科学的だが、"システム"のやり方は残酷なだけだ。ルビンは俺の抵抗力をくじいて質問への答えを引き出していったが、幸運なことに、重要な質問をたくさんし損ねている。
一月近くの悪夢によってやつが仕事を完了したときには、俺が知っている"組織"のメンバーの名前、隠れ家の位置、だれがどんな作戦にかかわっているかをあらかた話してしまった。FBIビルの爆破をどうやって準備したかについてつぶさに語り、議事堂への迫撃砲による攻撃で俺が果たした役割について教えた。そして、俺の部隊のほかのメンバーがどうやって包囲をすり抜けて脱出したのかについても、当然の義務として精確に説明させられた。

こうした情報暴露は"組織"にとって確実に問題を引き起こした。しかし、秘密警察が俺からなにをおそわるかについては正確に予測できていたので、見込まれる被害を回避することができた。どうやってかというと、完璧なすばらしい隠れ家をいくつも放棄して、あたらしい隠れ家を急いでつくることになったのがもっぱらである。
だが、ルビンの尋問技術では質問にたいする直接の回答という形でしか情報が引き出せていなかった。俺たちの通信システムについてはなにも聞いてこなかったので、それについては何も知りえなかった。

(あとで教わったところでは、FBIの内部にいる俺たちの合法部隊が、俺への尋問でどんな情報が漏洩したかを逐一"組織"に知らせていたので、無線通信のセキュリティについての信頼は揺らがなかったそうだ)

"システム"が俺たちの戦略を理解するのに役立っただろう、"組織"の体制、原理、長期的な目標についての知識もルビンには引き出せなかった。そういうわけで、ルビンが絞り出せた情報は戦術的なことだけだった。そうなった理由は、"組織"を一掃するのが容易い仕事だという"システム"の傲慢な思い込みだとおもう。俺たちは大きな問題だとはみなされているが、致命的な脅威だとは考えられていないのだ。
尋問タイムがおわってから、また三週間はFBIの施設に監禁された。どうやら、俺が提供した情報に基づいて拘束された"組織"のメンバーの識別に俺が役立つだろうという魂胆があったらしい。しかしながら、今回拘束された人間は一人もいなかった。とうとう俺はフォート・ベルボアに設けられた特別刑務所に移送された。200人近くの"組織"のメンバーと、ほぼ同数の合法部隊の人間とがそこに収容されていた。
俺たちをふつうの刑務所に入れると"組織"が解放しにくるおそれがあるので政府は警戒していた――それに俺の勘では、ほかの白人の囚人に思想を吹きこむのではないかとも警戒していた。だから、国内のどこで捕まえたメンバーであっても、全員をフォート・ベルボアにつれてきて独房の施設に閉込めた。まわりは有刺鉄線、戦車、機関銃を備えた見張り塔と二つの憲兵中隊に囲まれている――全体が陸軍基地のまんなかに配置されている。そこで俺はさらに14か月間を過ごした。俺の公判のためにどんな計画がすすめられていたのかはわからない。
おおくの人間は独房というものをあきらかに残酷な処遇だとみなしているが、俺にとっては僥倖だった。俺はいまだに鬱々としていて精神状態が正常でなかった――一部はルビンの拷問のせいで、それからその拷問に屈してしまった罪悪感のせいで、監禁されていて戦いに参加できないせいで――ゆえに俺は自分を立ち直らせるために一人きりの時間がすこしばかり必要だった。それに黒人に悩まされなくてすむのがもちろん最高だった。通常の刑務所ならばどこであれ黒人が看過できない災いになっただろう。
俺がさらされていた恐怖と苦痛を体験したことがない人間にはそうした経験の持続する影響と重大さを理解することができない。肉体はもう完全に癒えたし、尋問がもたらした抑鬱とびくびくした興奮の特異な合併症状からもすでに回復した。それでも俺は以前とおなじ人間でなく、より気短になり、より生真面目になり(陰鬱ですらあるかもしれない)、使命を完遂する意志がいままでよりも硬くなった。
そして死への恐怖がすべて消えた。命知らずになったわけではない――むしろもっと慎重になった――が、俺に恐怖を感じさせるものはなくなった。いままでよりも必要とあらば自分にたいして厳しくなれるようになったし、他人にたいしても厳しくなれる。めそめそと泣いている保守主義者などくそくらえ。"行動できる保守主義者"か、俺のそばでうろちょろして革命の邪魔になるやつだけだ! そういう利己的な利害共有者のいいわけにこれ以上は耳を貸さない。拳銃に手をのばすだけだ。
俺とフォート・ベルボアにいるほかの連中は全員外部との接触が絶たれていて、本や新聞などが許可されるときはなかったが、それでもたがいへの限定的な情報の伝達方法を程なくして習得した。そして守衛を通じて、外部からのニュースの口頭連絡網を築いた。守衛は全員がとりつくしまのない連中だというわけではなかった。
俺たちがこぞって聴きたがっていたのは、いうまでもなく、"組織"と"システム"の戦争についての話だった。"システム"にたいする活動が成功したというニュースがあれば、俺たちはかならず勇気づけられた――"蛮行"というのがニュースメディアの隠語だった――おおきな活動についてのニュースが二、三日待ってもとどかないときは意気消沈した。
時が過ぎるうちに"組織"の活動についてのニュースを聞く頻度が目にみえて低下してきて、メディアは日に日におおいなる自信をもって、"組織"の残党が一掃されて国家が"正常"にもどる日は目前であるという予言を発表しはじめた。俺たちは不安になったが、フォート・ベルボアに入ってくるあらたな囚人が少なくなっている事実によってその不安が落ち着いた。俺がここに来た当初は、平均で一日に一人が運ばれてきたが、去年の八月までには一週間に一人までその数が減少していた。
1992年9月11日から12日にヒューストンの大爆破事件が起こった。二日間で十四ものおおきな爆発が起きて町が震撼し、ヒューストンの工業施設と海運施設が大量の焦げた瓦礫にかわって四千人をこえる死者をのこした。
はじまりは九月十一日の夜明け前に、イスラエル向けの航空爆弾を運んでいた満載状態の輸送船がヒューストンの船が密集した水路で轟音とともに爆発したときだった。四隻の船が巻き込まれてもろともに水路の底に沈んでしまったので、水路が完全に封鎖されてしまった。そして付近の精製所に火が放たれた。一時間以内に水路沿いでまた八つの強力な爆発が起こって、国内で二番目に活発な港が四か月以上は使い物にならなくなった。
そのあとの五つの爆発がヒューストン空港を閉鎖させて、都市の最大の発電所を破壊し、戦略的に重要な高架道路と橋を崩壊させて、もっとも交通が多い高速道路を二線も通行不能にした。ヒューストンはあっという間に壊滅状態になって、数千人の兵士が連邦政府によって投入された――怒りと混乱におそわれた大衆への支配を維持することで"組織"に対抗するために。
こうした活動によって俺たちの味方が増えることはなかったが、政府にとっての助けにもならなかった。そして俺たちの革命が窒息死しつつあるという見解を完全に雲散霧消させてしまった。
ヒューストンの次にはウィルミントン市、それからプロヴィデンス市、ラシーン市。ヒューストンよりは攻撃が少なかったが、ずっと大きな攻撃だった。それがより重大な革命のフェイズがあたらしくはじまる前の最後の秋だったのははっきりとしている。それはまた後の話だが。
昨日の夜に、フォート・ベルボアの俺たちにとっては何にも増して一番重要な活動がおこなわれた。真夜中にさしかかる直前に、二台のオリーブドラブ色のバスがいつもどおりに俺たちの収容所の囲いの門の前に停まった。通常ならば六十人ほどの憲兵が深夜のシフトのために運ばれてきて、晩のシフトの人間を運んでいく。今回は様子がちがった。
一本の見張り塔から聴こえる機関銃の発砲音で目覚めたときに、脱獄作戦が進行中であることにうっすらと気付いた。すぐに囲いのなかの四台の戦車の一台の105mm砲がさく裂して、機関銃の音がかき消された。それから小火器が断続的に発射されて、叫び声と走る足音がたくさんした。やがてとうとう、俺の居室の木製のドアが大型のハンマーで叩かれて内側へふっとび、俺は自由になった。
俺たち運がいい百五十人ほどの人間は二台の憲兵のバスに詰めこまれて脱出した。他の数十人は四台の鹵獲した戦車の外側にへばりついた。その戦車のうっかりものの乗員たちは俺たちの救出部隊の最初の餌食になっていた。のこりの人間は自分の足で出ざるをえなかったが、叩きつけるように降っている土砂降りの雨のおかげで陸軍のヘリコプターが離陸できなかったのはさいわいだった。

あわせて18人の囚人と4人の救出隊が殺されて、61人の囚人がまた捕まった。だが、戦車が追跡者を食い止めてくれているあいだに――ラジオのニュースによると――442人が基地の外側に待機しているトラックにたどりついた。
まだ緊張はこれでおわりでなかったが、今朝四時までにワシントン地区であらかじめ選ばれた二十軒以上の"セーフハウス"へ分散して入ることで追っ手をけむに巻くことになんなく成功した。数時間の休憩ののち、普通の労働者の服にすばやく着替えて、偽の身分証明カードを受取った。それは細心の注意をはらってかつ完璧な出来で俺のために用意されたカードだ。新聞と弁当箱を携行しながら、出勤する人々のなかに交じって、俺に割り当てられた合流地点へとむかった。
二分も経たないうちに、男と女を一人ずつ乗せたピックアップトラックが、俺の足もとの縁石のそばに停まった。ドアが開いて、俺も乗りこんだ。ラッシュアワーの往来でビルが車を運転した。俺は最愛のキャサリンをもう一度腕に抱くことができた。


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