仏教思想「そういうものに私はなりたい」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

なんてすばらしい詩なんだ。
仕事に追われる日々で、ある時突然思い出した。
顧客とのMTGで、「視座を高く」「今後のIT業界のトレンド」とかいう話をされて、ぼーっとしていた時に忘れていた詩を思い出した。

私には夢なんかない。目標なんかない。
正直もうこの世から解脱して、早く全ての雑念から解放されてしまいたい。
昔から仏像が好きで、一人で鎌倉に行って仏像見たりするんだけど、私って仏教思想がそもそも好きなんだって気づいた。
自分を見ていてくれる絶対的で気まぐれな神様を信じるんじゃなくて、自分の中での修行の果てで悟りを開き辿り着く境地があるという思想、面白くない?極楽は全体的にとてもいい香りがするらしい。すごいね。素敵。苦しいことも何にもないのかな。

宮沢賢治のこの詩はかなり仏教思想っぽい。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
って部分、現代人はさっぱりわからないんじゃないかな。皆に木偶の坊と呼ばれたくないし、褒められたいし、苦にもされないなんて注目もされてないってことだからつらいし、泣いちゃうし、そういうものになんか絶対なりたくないって人が大半なんじゃない?

でも私間違いなくそういうものになりたいんだよね。他者の評価に振り回されて、自分が自分の欲望に振り回されて、ブレブレの人間のままだと、死にそうな人に「怖がらなくてもいい」なんて言ってやれないじゃないか。

でもこれ、単純に解脱した高潔な人間を目指そうっていうストイックすぎる詩じゃなくて、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
って言ってるんだよね。
つまり、弱い人間のままでいいってこと。つらければ泣いていいし、オロオロしてもいいの。傷ついて、くじけて、ただ高潔でいようとする努力の果てで理想の自分に辿り着きたいっていう詩だと思う。

自分でも何言ってるかわからなくなってきたので、おしまい。

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