作家のトルーマン・カポーティ氏が1968年に人種問題や警察について語った事

作家のトルーマン・カポーティ(1924年生まれで1984年没。米国南部育ち)

彼が1968年の「プレイボーイ」誌インタビューで人種問題や警察などについて言及している所を抜粋して訳してみました。以前ツイッターに投稿した文を再度翻訳・編集してここに掲載したいと思います。原文はインタビュー集「Truman Capote: Conversations」で読めます。

警察を「罪のない一般市民を追い詰めるサディスティックな集団」と形容するのが流行りのようですが、僕は米国の法執行機関の実態を十分に知っているので、そうではない事を知っています。もちろん極一部の警察は、一部の弁護士、医者、保険営業販売員などと同様に無責任な人達ですよ。
ただ日々頑張って命がけで僕達を守ってくれていて、給料が十分に与えられていない警察に対する不当なプロパガンダは正当化できません。単独で見れば警察の暴力事件はあるでしょうけど、犯罪率の増加と都市部での暴力事件の方が社会にとって急を要する問題だと思います。

この社会では本当の力といえるのは3つしかなく、それは経済力、政治力、そして軍事力です。「ブラック・パワー」という言葉が出てきた時、僕は黒人達が政治力に繋がるような経済力をつけたいと受け取りましたし、建設的な目標に思えました。
残念ながらその言葉(ブラック・パワー)を使い始めた人達は、「目標達成のために殺人や放火をいとわない」意味での「軍事力」という解釈をしました。

だから「ブラック・パワー」というのが、黒人暴徒達が街を駆け抜けて破壊行為をする事であるなら、それは黒人コミュニティーの正当な政治的・経済的な望みを前進させるものではありません。むしろ逆効果なのです。
彼らが手榴弾で制度を壊して新しいものを作ると思っているなら、残念ながらそれは希望的観測にすぎないのです。いずれにしても、僕は彼らの基本的な前提を否定せざるを得ません。過去に酷い出来事があったのにも関わらず、僕は米国が絶望的な程に人種差別的な国家だとは思っていません。

人種差別は米国だけにある問題ではないのです。アフリカでさえも部族間での差別もあります。そして人種がそれほど問題になっていない国では、堅苦しい階級差があります。例えばロシアですね。もちろんそれで僕達の状況が正当化されるわけではありませんが、人種差別や搾取そのものは米国だけの特異な現象ではなく、人類共通の現象だという事を表しています。

子供の頃僕が気にかけていた人物は、二人を除き黒人でした。彼らが侮辱されたり酷い扱いを受けたりした時には物凄く傷つきました。もちろん僕が見てきた白人と黒人の関わり合いは割と慈愛深いものでしたが、歩いている時に黒人達が歩道の溝によけて白人が通るまで待つ事が理解できませんでした。

「白人で人種差別感情がない人が一人もいない」という論調は誤っていると思います。でも何かに対してマイナスな感情がまったくない事は、果たしてそれほど重要な事でしょうか?どれほど愛している人であっても、何か「これは嫌だな」と思う事は必ずあるわけです。


グッゲンハイム助成金は申請、いや懇願して手に入れるような物ですが、(黒人作家)リロイ・ジョーンズ氏がそれほど白人と白人が作り出した物が嫌いなら、なぜ彼は「汚らしい白人」の資本主義的なお金を何千ドルも手に入れようと懇願したのでしょうか。暴動を起こしておきながら、お金を恵んでほしいだなんて、ただの偽善者ですよ。


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