母の手術
母の手術
今日、母が手術をする。
先週の日曜日に腕を折ってしまったからだ。
子どもたちと遊んでいた時に、ころんでしまい、手をついたそうだ。きっと子どもたちと夢中で遊んでいたのだろう。
母は落ち込んでいた。
40年以上、保育者として生きてきた母にとって、そんなことで怪我をしてしまう自分にショックを受けていたのだと思う。
これまでにも、老いを感じることは多々あっただろう。
しかし、子どもたちと夢中になって遊ぶことすら、自分にはもうむずくかしくなってきてる。それは母にとっては決定的な出来事だったのかもしれない。
「もう、もどってこなくてもいいけど。」
母がポツリと言った。手術の際に、全身麻酔をするという話をしていた時だったと思う。
その言葉を受け止める事ができずに、私はその場を濁した。母の口からそんな言葉を聞くなんて思いもしなかった。
落ち込んでいるせいもあるだろう、母自身もそれほど考えて言ったわけではないだろう。
しかしである。
25年ほど前、祖母が亡くなった時のことを思い出した。
だいのおばあちゃん子だった私は、足を骨折した祖母をお見舞いに病院まで出かけた。そこにいた祖母は、私の知っている祖母ではなかった。
足を折ってしまったせいで、寝たきりの状態が続き、お腹に水が溜まり、体調は悪くなっていく一方だった。ほんの数ヶ月前まで、元気だった姿はそこにはなかった。
あまりの体調の悪さに、生を望むこともなく、かと言って死を受け入れることもできない。
そんな祖母の姿を見て、私は、この人はもう死んでいくのだ。そう感じた。
それはとても悲しかった。大好きな祖母が死ぬことが感覚として分かったからだ。
それから少しして祖母は亡くなった。
祖母の亡骸を見て、ボロボロと涙がでた。やはり祖母はあの時、死の中を生きていたのだ。そう思うと涙が止まらなかった。
私は、忘れていた死という存在を実感したのだと思う。母の言葉に、祖母の姿が重なったのだ。死の中を生きる姿が。
必ず、母にもどってきてほしいと思う。私は今、とても怯えているのだ。
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