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「自分」-「スポーツ」=「?」

こんばんは。本日もお疲れ様です。

今年の冬は例年よりも寒かったですね。
私の住んでいる街も、
朝になると雪が積もっていることが
何度かありました。
子供の頃は雪が積もると雪合戦ができると
大はしゃぎしていましたが、
今では雪が積もると出勤も億劫に
なっています(笑)。
この寒さもあと少しで
落ち着くとのことですが、
体調管理には引き続き
気を付けたいと思います。

今日のテーマは以前投稿したものと
内容が似ているかもしれませんが、
この頃考えるようになることについて
改めて投稿したいと思います。

僕は中学校に入学してから
本格的に陸上競技に取り組みはじめ、
種目や立場は大きく違いますが、
社会人になった今でも走っています。
僕が走る理由は、
細かいことを言い出すと数えきれないほど
ありますが、
一言でいえば走ることが大好きだからです。
自己記録という目に見える結果が出ることで、自分自身が進化していることを感じられるし、走ることが僕にとっての大切な自己表現に
なっています。周りから見れば甘いと
言われるかもしれませんが、今まで走ることに
のめりこんできたと思っています。

今でも家族や友達、そして日頃から
応援していただいている方々のおかげで
元気よく走ることができています。
しかし、もしかしたら今まで走ることに
情熱を注いできた日々が
何かをきっかけに突然終わってしまう
かもしれません。
目標の達成、怪我、自分自身の環境の変化、
きっかけは人それぞれです。

僕は現在自分にとって大切な期間である
休養期間に入っています。この休養期間は
休みになるので、軽いジョギングは
行いますが、がっつり練習することはなく、
極端に言えば好き放題飲み食いをしたり、
友達と会遊んだりすることに
多くの時間を使っています。
走ることはもちろん好きですが、
リフレッシュできるこの期間も大好きで
すごく満喫しています。
この記事を書いている今も、
先ほどまですき焼きをたくさん食べ
ビールもたくさん飲み、少し良い気分に
なっているかもしれません(笑)。

このように好きなものをたくさん食べることは
ものすごく幸せなことです。
しかし今までスポーツをしてきた人間が
何らかの理由で辞めてしまい、それからずっと
遊ぶことに走る人間になってしまったら、
スポーツを続けてきた意味とは何なのか
僕は考えることもあります。
もし僕が仮にこのまま走ることを
やめてしまえば
自分の人生どうなってしまうだろうとか
自分に何が残っているのかなと
考えることがあります。

大学生の時、多くの方々と同じように
4年生になると就職活動を続けてきました。
その際部活動を続けてきた話をするのですが、
その際よく聞かれた質問としては、
「部活動を通して何を学びましたか?」
ということが挙げられます。
確かな記憶ではありませんが、
「忍耐強さです」「続けることの大切さです」
という答えをしたような気がします。
当時の僕は正直なことを言ったつもりだし、
それについては間違っていないと思います。
ただし、就活と部活は同時並行で
行っていましたし、走ることから
距離を置いていなかった当時の僕は
走ることで得たことを大きな視野でみることが
できていなかったと思います。
他に得たことが本当に無かったのか。
それ以上に大切なことを忘れてなかったか。
当時の自分はもしかしたら
分かってなかったと思うし、
今の自分も当時の自分と同じことを言うかも
しれません。

社会人になり良くも悪くも
様々な経験をさせていただきました。
無理難題を突き付けられたこともあります。
それを克服する際に、
スポーツをしてきたことで
得た考えとか行動に基づいて動くことで
課題解決できたとするならば、
それはスポーツが僕にもたらしてくれた
大きな財産の1つなのかなと思います。

前に進んでいようとも去年の自分と比べて
自分はこのように成長できたというのは
なかなか難しいことなのかなと思います。
難しいことなのかもしれませんが、
自分からスポーツを引いたら
何が残るのかなとか、
スポーツが無くても自分はこれが出来るよと
言えるものがちゃんと分かるように、
これからはそのようなことも意識して
頑張っていけたらと思います。

最後難しい言い方になりましたが、
今回は以上です。


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