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自分神話の醍醐味・4(建甕と磯長)

・みなさん、「自分神話」書いていますか?
今日は、萌部 建甕(もえべ・たけみか)と太子堂 磯長(たいしどう・しなが)のお話しをいたします。
2020年2月7日。自分紀元669年。天祐3年。
中書令・太子堂 磯長と外務大臣・萌部 建甕が大失敗を犯し共に有罪となり内閣は終わった。

問題はそこから、
太子堂家の家格は、聖徳太子を尊崇する一族で、京軍県太守の家柄。初代・太子堂 八十(やそ)は護堂 光子と成婚し、2代目は太子堂 鹿角(ろっかく)3代目、中孚(ちゅうふ)、4代目麁(あら)、5代目がこの太子堂 磯長です。京軍は衛国の中心に位置することから、緊那羅神を信奉する性質を有しています。家格は、40代までに成功しない場合、速めに隠居して次の代が出世するようにするところがあります。
ですから、磯長は失敗後、中央政界からは引退し、6代目の太子堂 御気永(おきなが)にその地位を託しました。ので、現在、御気永は尚書令です。


・一方の萌部氏の家格について説明いたします。萌部の家格は荼枳尼大神を尊崇し、安城県の太守の家柄です。現に、萌部 建甕は安城県太守であり、また衛国丞相です。萌部氏は初代・萌部 建勝(たけかつ)、2代目、建伴(たけとも)、3代目、建巌(たけたか)、4代目、建康(たけやす)、5代目、秀建(ひでたけ)、6代目、建将(たけまさ)、7代目、建親(たけちか)、8代目、建貞(たけさだ)、9代目、建賢(たけかた)、10代目が萌部 建甕(たけみか)である。この家系は大器晩成型の人物が多く、建甕もその通り、辛抱を重ね、中央政治復帰して、自ら丞相にまでなった。

神話ですねぇ。

https://religion-eikyou.jimdofree.com/ritual/my-myth/


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