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【武蔵卒】サボる時期だってあるんです

自己紹介

こんにちは!
私立武蔵中高出身、都内大学生のsouです。
自身の中学受験の経緯をつらつらと書いていくので、拙文ですが読んでくれる皆さんの参考になれば幸いです。

公立小学校出身です。小4から中学受験大手塾Yに通い、受験校は1月に栄東、栄東東大選抜、市川。
2月に武蔵、攻玉社、小石川を受験しました。全校から合格をいただき(武蔵は補欠合格)最終的に武蔵中学に進学しました。

小4「中学受験!?」~中学受験の決意~

中学受験を決意したのは小4の春のことです。きっかけは「公立中学に行き受験勉強をして高校受験をしすぐに大学の受験勉強をして大学受験をするのと、中高一貫校に入って5年間自由に過ごして受験勉強をして大学受験をするのどっちがいい?」という母親からの質問でした。僕が選んだのはもちろん後者でした。

というかこの質問ずるいですね笑。

両親はとても自分を自由にさせてくれる人でいつも自分の選択を尊重してくれたり色々なことを自分に決めさせてくれたりする人でした。おそらく母親は中学受験をさせたかったのだと思いますが、最終的には選んだのは僕だという形にさせてかったのかなとも思います。振り返ると、このやり方は諸々好きなようにやりたい自分にとても合っていたなと思います。

中学受験を決意すると、今度は塾選びでした。「週2回で宿題が多いこの塾と週3回で宿題がきついわけではないこの塾、週2回だけど時間が長いこの塾どれがいい?」という形で親が中学受験塾についてリサーチした情報をもとに選びました。

さて、こういった形で中学受験に進み始めた僕ですが、4年生の時は週3で塾に通い、学校の放課後、土日は友達と遊んだり家でゲームしたり割と自由に過ごしていたと思います。算数国語に関しては、小学校の勉強の延長線上、理科社会に関しては塾の授業を聞くだけで、家での勉強というのは塾の宿題を1時間ほどするぐらいで、何もしない日もありました。算数国語は幼稚園の頃から小3まで公文に通っており、常に3学年先の進度で学習していたのでそこでの勉強が非常に役に立っていたのだと思います。

塾に通い始めたものの、特別勉強時間を増やすわけでもなく、しっかり遊び、なんとなくで乗り切った小4時代でした。そんな僕が壁にぶつかるのは小5の頃です。

小5 「挫折…?」~志望校選び、塾サボる~

志望校について考え始めたのは小5の頃からでした。男子校がいいのか、共学がいいのか、制服がいいのか私服がいいのか、どんな校風がいいのか、グラウンドや校舎など様々なことを考えながら御三家を始め多くの学校の文化祭や体育祭の学校行事へ両親が連れて行ってくれました。塾の先生が面談等で雰囲気などいろいろ教えてくれたのも覚えています。自分は、あまり人数が多くないところ、厳しくなくとにかく自由に色々できるところという点を意識していました。武蔵の文化祭を見に行った時、「ここだ!」と思いました。という感じで自分の中での志望校は武蔵になりました。問題傾向としてもほぼ全てが記述式であり、知識よりも思考力重視であったというのが、読み書き、国語が得意な自分にとてもあっていました。

5年生になると塾の時間が延び、宿題も増えました。算数は小学校で学習することよりもかなり難しくなり理科社会は覚えることが増え、特に社会は歴史の勉強が始まりました。あまり勉強をしないでも乗り切れていた4年生と違い、成績も伸び悩みました。元々、勉強することが嫌いで、宿題等もしっかりやらないことが多かった自分にとっては苦しい時間の始まりでした。

そんな中、秋頃に塾をサボるようになりました。

自分で塾に電話して親には内緒で欠席したのです。これを1ヶ月ぐらい続け、最終的にはバレて親には怒られ、心を新たに頑張ろうとすることになるのですが、やはり知識を詰め込む5年生の1ヶ月の遅れは少し大きいものでした。塾の先生は「サボってた分取り戻そうな!」と明るく授業内で励ましてくれたり、いろいろと気を遣ってくれました。

ほぼ同時期には、父親が特に何も行事をやっているわけでもない武蔵に連れて行ってくれ、武蔵のさりげない日常風景を眺めました。「ああ、そういえば自分はここに行きたかったんだな、頑張ろうかな」と改めて思いました。テストの成績が悪かったことや、塾をサボっていたことでも怒らなかった父親が、無言で見せてくれた武蔵の風景が自分をやる気にさせてくれたのだと思います。勉強はいかに手抜きをして力を得るかを教えてくれた先生や、歴史や年号を歌やフレーズで簡単に覚えられるようにしてくれた先生など個性豊かな先生がいる校舎で、受験勉強をできたことは勉強嫌いな自分でも授業を受けるだけである程度力がつきとても良かったと思っています。

小6「努力!」 ~過去問と自習室~

6年生になると、志望校別の対策コースが週に一回始まりました。武蔵受験に向けた、思考方法、知識、問題への慣れ等の対策をするものです。努力が苦手な自分ではありましたが、やはりここまでくると受験をとても意識することになります。適度に放課後には友達と遊びんだり、家でゲームをしたりしながらも、勉強時間は塾の時間とは別に1日2時間ほどは確保していました。自宅ではあまり勉強に集中できないので塾の自習室を活用するようになりました。息抜きで友人とマックへ行ったりしながらも、他にやることがないので放課後から夜21時過ぎまで塾の自習室で勉強するようになったのです。

夏頃から様々な学校の過去問を解くようになり、基本的に受験勉強は過去問が中心になるようになりました。宿題以外の勉強方法や計画は自分で立て、自習室の活用はわからないことが出るとすぐに塾の先生に相談することができ、解いた過去問の答え合わせを頼むこともできたので、非常に役立ちました。

受験本番! ~武蔵不合格~

受験校は塾の先生や親と相談しながら、偏差値、出題傾向等を考慮しながら決めていきました。結局、練習校として1月に栄東、栄東東大選抜、市川を受験し、2月に第一志望の武蔵、第二志望として都立小石川、第三志望で攻玉社を受験しました。全ての受験は母親と共に行き、かなり緊張しながら受験していました。1月校で受験には少し慣れることもできました。

順調に1月校は全て合格しました。しかし2月2日の夕方に母親と見に行った武蔵の合格発表の掲示板には自分の番号はありませんでした。今でもかなり鮮明に覚えています。2回ほど見返したのですが自分の番号は無く、帰りの車で流れていたゆずの「栄光の架橋」を泣きながら聴いていました。翌日は、そんなボロボロのメンタルで小石川を受験し、全ての受験は終わりました。最終的に小石川の合格はもらうのですが、それまでは第一志望に落ちた自分は市川と攻玉社でどちらにいくのか悩み、塾の先生も涙目になりながら相談に乗ってくれました。そんな中気分転換に家族で行ったスキー旅行の帰りにポストに武蔵からの補欠通知が来ていました。しかし番号的には後ろの方で、例年なら回ってこないだろうという番号でした。嬉しさと悔しさとで複雑な感情を持ちました。第二志望であった小石川への進学をほぼ決めていた頃、武蔵からの繰り上がり通知の電話があり電話をとった母親が泣きながら受け答えしてくれていたのを覚えています。もちろん自分も嬉しさで泣いてしまい、その後電話をした塾の先生までもが泣いていました。

ということで補欠で繰り上がり合格をいただいた私立武蔵中学に進学しました。

終わりに

まとまりのない文章でごめんなさい笑。
中学受験を決意したところから合格し進学するとことまで、覚えている範囲で印象に残っていることを中心に抜粋しながら書きました。

振り返ってみて、合格に向けて大きかったのは両親のサポート方法にあったような気がします。いい意味で勉強に関してはあまり干渉をせず、大事な選択は全て自分にさせてくれ、自由にそれを尊重させてくれたこと、多くの情報を集めてくれたり様々な学校へ連れて行ってくれたこと、などです。親身に相談に載ってくれた中学受験のいわば専門家である塾の先生の存在も大きかったと思います。両親のサポート方法についてはもちろん個人にあったやり方があると思うので、自分にはとても合っていたということです。


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