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ベオグラード(セルビア)初訪問


※写真は無意識に露出を上げてしまっていたので明るめに映っている。

用事があってセルビアの首都ベオグラードを初めて訪問した。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時、アメリカに住んでいて、数年にわたって悲しい映像や画像をいくつも見たので、いまは平和なのはわかっていても、一定の緊張感は拭えなかった。

ブダペストからセルビアまでの国境は約 170 km。高速にのって約 1 時間半で到達した。2015 年に難民問題で有名になった国境である。まずハンガリーを出国し、数メートル先でセルビアに入国する。

ベオグラードまでは、真っ平らな地平線とその上で雲が静止しているような風景が延々と続く。

セルビアの標識はキリル表記とラテン表記の併記である。

運転手の個人的な寄り道に付き合わされた後、

サヴァ川を渡り、

車のコマーシャルのような車線変更を耐え、午後 3 時過ぎにホテルに到着した。休憩をはさんで 4 時間ちょっとだった。

ハンガリーより緯度が低く、春分前は日没は遅いはずだが、すぐにベオグラードの街を見に行くことにした。

ベオグラードに行ってここを訪ねない旅行者はいないはずの聖サワ大聖堂(Храм светог Саве/Hram svetog Save)。

でも私の目的地はカレニッチ市場。ホテルでもらった地図では現在地がわかりづらく、こっちに歩いてきた女性に声をかけたら、英語でとても丁寧に教えてくれた。

そこから少し進んだところでフィギュアを売っている薬局を発見。この清々しい迷走感に異国情緒を覚える。

程なくしてカレニッチ市場(Каленић пијаца/Kalenić Pijaca)に着いた。季節の関係か、営業している店は僅かで残念だった。

でも漬物屋さんの隣でチェスに興じるおじさん達がいたりして、市場フェチにはお宝な光景を見ることができた。

この漬物屋さんのおやじさんも少し英語を話せて親切だった。漬物の種類はハンガリーとほとんど同じだが、ビーツの漬物を味見させてもらい、客もまばらだったので、ハンガリーでは見たことがない漬物を買うことにした。これはマケドニアの赤いパプリカの漬物レザンカ(резанка/rezanka)で、左に少しだけ写っている緑色のパプリカの漬物はフォルテサ(фортеса/fortesa)。ともに強烈に辛い。

この漬物屋さんの近くの青果店と果物店。野菜も果物もハンガリーのものとほとんど同じだが、ミカンは大きくて平べったく、セルビア産ということなので買うことにした。この店の女性も少し英語を話せて親切だった。

この市場を出て、ハンガリーの OTP 銀行が目に入った。高速沿いにはハンガリーの MOL というガソリンスタンドもあったが、Wikipedia によると、両国の経済的な結び付きは非常に強いようである。

二コラ・テスラ博物館(Музеј Николе Тесле/Muzej Nikole Tesle)には行けなかったが、ホテルのテレビが TESLA 製だった。

ベオグラードの広告や看板などはほとんどがラテン表記で、若い世代の間ではキリル表記が廃れていたりするのかホテルのフロントの女性に尋ねてみたら、そんなことはまったくなく、誰もが両方の表記の読み書きを同等にできるとのこと。小学校 1 年でキリル表記を学習し、大学ではラテン表記のほうが多用されるらしい。ラテン表記で書くかキリル表記で書くかは個人の好みによるようである。日系の方と話をする機会があり、この方は若いのにキリル表記を好むそうである(子供の頃にロシアに住んでいたのも理由の一つだそうだが)。

私は現地の庶民が食べている現地料理を試してみるのが好きなので、MAXI というスーパーでサルマ(сарма/sarma)とチェヴァピ(ћевапи/ćevapi ← 1 つだけ食べることはほとんどないので複数形)を買ってきた。どちらもわざわざセルビア料理店に行く必要はないだろうと思うぐらいおいしかった。それぞれ約 130 円と約 140 円。

ブダペストに戻る日の朝、少し時間があったので、ベオグラードの街を散策した。

20 世紀の作家ボリスラヴ・ペキッチ(Борислав Пекић/Borislav Pekić)の銅像と思われる。

ポピーシードのペイストリー。ハンガリーでは mákos beigli と呼び、これより幅が少し狭く、クリスマスシーズンに店頭に並ぶ。

黄色いバスは日本からの寄贈で、バスの胴体にセルビアの国旗と日本の国旗が描かれている。

一つ奇妙なことに気づいた。街中にクリスマスのデコレーションがある。クリスマスツリーもあれば、サンタクロースの置物もある。ブダペストへの帰路に運転手に尋ねたら、「2 か月前に撤去されているべきで、あと 2 か月はこのままでしょう、これが私達(セルビア)の政治家です」という答えが返ってきた。そうか。そっちか。セルビア正教の習慣ではなく。

戦争関連と思われる記念碑。

郵政省。外観が「未来世紀ブラジル」とか「1984」とかを彷彿させる。

郵政省のすぐ裏にある聖マルコ聖堂。

セルビア国会議事堂。

セルビア歴史博物館。

ベオグラードのいたる所に同じようなキオスクがあり、早朝でも営業している。24 時間営業かもしれない。ベオグラードは夜中に女性が一人で歩いていても大丈夫なほど治安が良いらしい。

残念ながらドナウ川には辿り着けず、ホテルに引き返した。

ミラン王通り(Улица краља Милана/Ulica kralja Milana)。

ベオグラードのマンホールは無機質なものがほとんどだが、ホテルの近くに絵になるものが一つあった。

ブダペスト側からのベオグラードへの到着を象徴する建物。到着時に写真を撮れなかったので帰路に撮った。

アイヴァル(ајвар/ajvar)とカイマク(кајмак/kajmak)もセルビア名物で、ハンガリーにはない。どちらもパンがいくらでも進む。今回初めて名前を聞いたが、世界で知られていないのが誠に不思議である。どちらも手間がかかるのでセルビアでも手作りする人は少ないらしいが、いつか挑戦してみようと思う。


セルビア人は本当に親切で、ブダペストよりもアジア人ははるかに少ないのに英語を話せる人も多く、じっと見る人もいない。スーパーでも商品を陳列している女性にドレッシングがある場所を聞いたら、作業を中断して笑顔でそこまで連れて行ってくれた。

一方、ベオグラードはおそらくヨーロッパ随一の車優先社会で、歩行者地獄。車の信号が青になってしばらくしてから歩行者の信号が青になる。最初は滑り込みアウトで渡っていく人が多く、謎だった。横断歩道がないところを盗塁ダッシュで渡っていく人もいる。ブダペストでは乳幼児連れやお年寄りが横断歩道で立ち止まっていればほぼ必ず止まるが、ベオグラードでは 2 台続けて全速でおじいさんを無視していった。信号のない横断歩道を若い女性が普通に渡っていて、渡りきる寸前に車がクラクションを鳴らして度肝を抜かれた。車の運転も荒い。ブダペストでは金曜日の午後はクラクションが多めだが、ベオグラードでは時間と場所を問わずブーブー鳴らしている。隣の車が姑息なことをしたわけでもないのに譲らない。コメディー映画のように 2 車線で 4 台の車が数センチずつ前に行こうとしているのを見て呆気にとられた。それが渋滞の原因になって、更にイライラが増殖されている。死亡事故は毎日のように発生しているらしい。

このギャップが理解できない。

一国の国民をステレオタイプで一括りにすべきではないと言われるかもしれないが、ベオグラードの人々は「良い意味でも悪い意味でもすべてに無頓着だが、こだわるもの(車線等)については非常に頑固」という印象を受けた。フィギュアを売っている薬局は迷走しているわけではなさそうである。

出発前の緊張感はすぐに解けた。今度はゆっくり観光で訪ねたいと思う。

2019 年 3 月 14 日追記:週末にでもアイヴァルを作るつもりでナスも買っていたが、長男が SPAR というスーパーで発見!(写真掲載の是非については不明)左側の CSÍPŐS が辛いほう。


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