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ヨガとジェンダー

日本のヨガとジェンダーについて書かせてください。

私はストレートアライです。どうしても他のジェンダーの方の目線には行き届かないこともあろうかと思う。ずっと前からジェンダーについて書きたかったのだけど、精一杯想像力を高めても意図せず人を傷つけることもあるかもと、今までずっとこの話題を避けて二の足を踏んでいた自分に嫌気がさしました。

怯えるばかりでは何も始まらないし、私でも何かできることはあると思う。そもそも自分自身のことですら理解するのに毎日試行錯誤なんだから何を今更戸惑うことがあるんだろう。臆病風は台風で吹き飛ばして更地にするよ。

LGBTQという言葉が聞こえるようになって「そうか~外国ではそんなにジェンダーが増えたんだなあ」と思う人がいたら、目を開いて周りをもっと見てほしい。外国だからではなくどこの国にもどの時代にもいろんなジェンダーの人がいた。けど私たちが見ないふりして蓋をしてただけだし、本人も隠していただけ。だから結局マイノリティーと呼ばれ、アングラのまま。LGBTQと言われているけれど、本人たちの意見をまとめると現状だと大体90弱くらいのジェンダーがあるようです。潜在的にはもっとあるでしょうね。

どんなにジェンダーの種類があろうと、唯一どの人にも共通して言えるのは、そのジェンダーは自分で意図をもって選んで生まれたわけではないということ。カルマの結果と言ってもいいし、何かしらの宗教を信仰している人はそれに則って考えたらいい。でも、今回の人生での自分のジェンダーを決定づけた原因は、いくら掘り下げても何の意味もない。わかったところで何の解決にもならないし。例えば「あ~あなたは前世大きな狐を7匹もシバいたことが原因で今回このようなジェンダーで生まれましたね」なんて言われたってどうすりゃいいんだ。「ああそうですか」しか言えないよ。

性の形はどうであれ、この世界にいる。私も、あなたも。それだけは疑いようのない事実だ。

改めて考えると「私」という言葉の使い方一つですら迷う。「私」を大辞林で調べると”現代、一人称としてもっとも普通の語で、男女ともに用いる”と書いてあって、そうかそうかと思いかけ、ちょっと待てここでも結局男女という二元性でモノ言ってるやん!と自分の浅はかさに後から気づく体たらく。まじで自分の意識改革、というかポンコツぶりをちゃんと正していきたい。(かくいう私は「私」という呼称を大部分の人生で使って生きてきて、今のところしっくり来ているからこれを使いますね)

自分の中にある偏見をちゃんと認識する

身体的性ではなく、個人の性自認、性的指向、性表現を尊重する時代。
けれどそれは「女性なら女性らしい恰好をして、異性を好きになりその異性と添い遂げ、子供を持つ」という考え自体を否定することではない。
そう思い定める人がいても決して悪いとは思わない。だけど、その考えを他者に押し付けることはしない、というだけ。 

偏見を取り払って物事と向き合うことが大切だ。

でももっとその前に大切なのは、無意識の偏見に気づくことだ。

周りにはセクシャルマイノリティーはいないから自分とは関係がない、と思わないでほしい。セクシャルマイノリティーに対しての偏見なんて全くもってない、とは即座に断言しないでほしい。

まず自分にも偏見があることを認める。ここからみんなで一歩を踏み出さないと、世界が変わらないんです。

安心感を作ることも必要

私は男性に対して恐怖心を一切もたないかというとそんなことはない。なんといっても体格差があり、いざとなったら簡単に組み伏せられるから。たくさんの日本が生み出してきた男女にまつわる歴史を学んできたから。そして実際に芯から震える体験もしたから。

性犯罪にあった人や、性トラウマを持つ人に、さあこれからはどこでも全ジェンダー平等ですよ、仲良くしてくださいね、なんてもちろん言うつもりはない。
安心して逃げることができる、ここだけは大丈夫と思える閉ざされた空間を用意することも絶対必要だ。

女性専用のヨガスタジオがあってもいい。それが安心なら。だけどヨガは女性だけのものじゃない。男性のものでもない。この世界には男女以外にも沢山のジェンダーがあるってそろそろ気づかないと。ヨガをしたい人に対しては誠実に平等にヨガは存在しているのだから。もっともっと日本のヨガは開かれた場と学びであってほしいよ。

男性だって、女性だって、それ以外のジェンダーだってそれぞれ違った観点で不安になることがある。その不安は最大限取り除く。すべて平等に対応するというのは物理的にも無理があるし、すべてを全く平等にすることに意味も持たないと思う。
ただし心遣いだけは全ての人に平等に渡せる。お金がなくても場所がどんなに狭くても、知恵さえあれば心遣いは可能でしょう?みんなで一緒に知恵を絞って全ての人がヨガの恩恵を安心して得られるようにしたいです。

ヨガから始めよう、ジェンダーと向き合うことを


ヨガが素晴らしいのは、なんといっても「あるがままのものをあるがままに見る力を養う」ところだ。
何も相手のことがわからなくても、過去の思い出を目の前にいる別の人に上乗せせずに、そのまんまの相手とそのまんま一緒にいられるようになることだ。
ヨガは心にこびりついた無意識の過去の想いや考えを、しかもこびりついてなっかなか取れない偏見や欲望や不安という名の心の澱を、丁寧に見つけて外していくことだから。

男性、女性、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニングなど。
ジェンダーだけじゃない。
所得、人相、外見、職業などなど。
そういったカテゴリーを通してではなく、相手そのものを見ることができる人をヨーギーというんですよね。

偏見は、自分への劣等感を慰めたくなる時に優越感を満たす道具として現れる。だからこそ自分の中にある偏見に向き合わなきゃいけない。そこに偏見があるのなら、それは同時に自分で自分を見下げているということなのだから。他者への偏見は、結局のところ自傷行為となんら変わりがないのだ。

同じ部屋の中にいる人が、どんなジェンダーの人でも、障がいを持っていても、全く意味不明で性格も考えも身なりも行動も全然理解できなくて、匂いも苦手で、絶対にこの人とは仲良くなれないなと思っても。

別に好きにならなくていい。話しかけなくてもいい。けれど、一緒に座って、呼吸をしよう。そして着替える、トイレ、靴を履く、そんなクラスの時間以外の時に、ちょっとだけその人がいつも通りでいられるようにしよう。

自分にとっては当たり前のことが、実は他人にとっても当たり前じゃないことなんてザラにあるよね。その認識をごまかさずにきちっと持って生きたい。
直接会ったり、触れたりすることがこんなに貴重なこの世の中で、出会った人とヨガの価値観で接して、自分の瞳でちゃんと見つめたら、明日はどんな風が吹くだろう。

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