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「僕はちゃんと授業に出て勉強してます」という大学生

先日、「『指示通り』が出来ない人たち」という本を読みました。

読み終わってつくづく思ったのですが、本当にこの本を必要としている人はこの本を読めないだろうということです。この本の中に出てくる「認知能力」「メタ認知能力」そして「非認知能力」を向上させるためのトレーニングとして「読書」が挙げられているのですが、読書をしないから能力が上がらないのだし、能力がないから読書が出来ない。無限ループ。

さてさて。

大学は現在夏休みに入りました。今月初めに試験があり、その後の再試も終わって心晴れ晴れといいたいところなのですが、再試でもクリアできなかった学生が何人かいて若干(いや、かなり)ガックリしています。

私が担当している授業でペーパーテストを課している科目は2つ。そのうちの1つは教養科目なので「持ち込みあり」にしていて、もう1つは専門科目なので「持ち込みなし」にしています。どちらも60点に達していない場合は再試ですが、再試は本試験の中身と全く同じ。同じという情報は事前に通告しているので、試験を見て「ヤバそう」と思ったら自発的に再試に向けて問題を覚える努力をすればいいわけです。あるいは他の学生に聞きまくるとか。

にもかかわらず、再試の方が点数下がっている学生も数人いましたよ。なんでしょうねえ。

イマドキの高校は「最後は救ってあげる」じゃないですか。これは推測ですけど、大学生もその感覚で「最後はなんとかしてもらえる」と思っちゃってる気がします。実際、再試の途中からチラチラ、チラチラと私の方を見てくる学生がいたのです。これも推測ですけど、多分その学生が行っていた高校では、あまりにデキの悪い学生の場合、再試の途中で先生が助け舟を出してたんじゃないかと思います。そういう、「チラチラ、チラチラと試験監督である私を見てくる学生」は、毎年必ずいるので、この推測は確からしい感触があります。

再試の前に、とある学生(再試対象者)と話したら「えー、先生、僕、ちゃんと授業で勉強してたじゃないですかー」と言われてちょっとビックリしました。

その学生は実際15回分すべての授業に出席していたのですけど、私が認識し始めた3回目くらいからは少なくとも「寝ている」か「机の下でスマホゲームをしている」かの二択だったのです。「授業で勉強してた」なんてどの口が言ってるのかーーーー!! (とは私は言いませんでしたが。)

その後しばらくして上述の本を再読したあとに、フッと、「そうかあの学生もメタ認知能力がないのかも」と思いました。つまり「勉強」とは彼にとっては「学ぶ」ことではなく、「授業に出る」ということなのだと腑に落ちたのです。だから彼の「僕は勉強していた」は、彼としては「本当にそう思っている」わけですね。そうかそうか。

しかしこの学生に上述の本を勧めても読まないだろうしなあ。私の授業の単位を落としたくらいなら別に大学生活に問題はないですが、そうはいっても、メタ認知能力がないまま社会に出て、「周囲は手を焼いているのに本人は仕事ができるつもりでいる」となるのはいろいろ大変な気も…(考えすぎだろうか)。