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誰か他の人との距離

自分の体の幅の見極めが出来ないのか、
わりとしょっちゅうぶつけます。
オットからは、
「自己認識よりも実物が大きいのでは」
と言われております。

つまり空間認識能力が低いのでしょうねえ。
車の運転もあまり得意ではありません。
狭い道で対向車が来ると、もう心臓バクバクします。

車庫入れはまあまあ出来ます。
入れるべき場所に、引かれた線と並行に、
ピタッと一発で入れたときなど、
「私は天才かもしれない」と思います。
(ただし滅多にない。)

車間距離はあけがちです。
高速では前の車から十分に離れて走るので、
よく割り込まれます。
(割り込んでくる人は「割り込んだ」とは認識してないかも。)

たまに思うのですが、
人と話すときの距離と車間距離とに
相関はあるのでしょうか。

だいぶ前の上司は「人との距離」の感覚が近くて、
隣に座って話すときに、膝同士が付くんじゃないか、
と思うほど近づいてくる方でした。
それがなんとなく嫌で、少し離れると、また詰められる(苦笑)。

車の運転をしていても、
前や後ろの車が近くにいるとどうも落ち着かないのです。

数年前に、新人の子がしょっちゅう私のところに来て、
相談だとか世間話だとか、あれこれしてくれたことがありました。
自分では、どんな話でも「うんうん」と熱心に聞いていたつもりでしたが、
あるとき「えいこさんはどこまで行っても近づけない。
なんだか透明な壁があるみたい。」
と言われて、それでなんとなく疎遠になりました。

「そんなことないよ」と反論もせず、
引きとめもせず、遠ざかるままにしていたのですから、
結局は図星だったのかもしれません。

混んだ電車に乗るときは、
物理的に他人との距離が近くなるので、
少し気合を入れるようにしています。
透明な、シャボン玉の泡みたいなものに、
自分が入り込んだイメージをするのです。
他人と距離が近くなっても、
その泡の中にいる私は守られている、とイメージしています。

そうやってバリアを張っているのですから、
やはり透明な壁を作って他人を寄せ付けていないのかもしれません。

今やっている仕事でもっと上を目指すなら、
他人に心を開いてもらう必要があるし、
他人に心を開いてもらうには、
まずは自分が心を開かなくては・・・。

と思ったりもしますが、言うのは簡単でも、ねえ。