ハチワレは気付いてしまったのかもしれない。彼とちいかわの間にある絶望的なすれ違いの未来に。
いやーセイレーン編が終わってしばらくは平和な話が続くのかとおもったらいきなりぶっ込んできましたね。
パラレルワールド編の怖さは今までの拾魔編やセイレーン編とは異なり、「あの子」編やモモンガ編と類型の「この世界の根本に関わり、日常回を蝕む設定の解放」がもたらす怖さです。元の世界に戻ったハチワレの中にも、このでかつよのとき抱いた感情は残り続け、その歪みはいつしか取り返しが付かないほど肥大化していき──バッドエンドやん、こんなの。
この構造を正確に紐解くには、ちいかわとハチワレの間にある決定的な違いと、ちいかわ全体のテーマを明らかにせねばなりません。というわけで、突然のちいかわ考察語りにお付き合いください。
*なお、言わずもがなですがこの記事はあくまで個人的な見解を元にした考察です。
力を追い求めるハチワレ、友達と暮らしたいちいかわ
「ちいかわ」におけるちいかわ族の目的ははっきりしておらず、彼らは鎧さんと呼ばれる上位存在による庇護を受けながら、一定の労働をこなし、報酬として通貨を受け取っています。
特徴的なのは資格検定システムで、これは一定の検定(試験)をクリアすることで、通常のちいかわ族では成しえない特権的な仕事に就くことができるというものです。まるで刑務所だ。
一方で、それを除いては「こうなりたい」という明確な目標があるちいかわ族は少なく、皆思い思いの生活を自由気ままに送っています。一定の労働をこなせば食事は与えられるし、住居や衣服なども何一つ困ることもありません。まるで刑務所だ。
さて、ハチワレは三人目に登場した主人公ですが、彼は穴ぐらに住み、勤勉で努力を惜しまず、上昇志向の強い少年です。
ハチワレには明確な目標があります。彼は強くなり、討伐と呼ばれる危険生物撃退ミッションをバンバンこなし、皆から認められるようになりたいのです。最新話付近ではラッコに弟子入りし、稽古を付けてもらっているほど。草むしり検定も受かり、順風満帆の生活です。
一方でちいかわは、ハチワレとは違うスタンスを持ちます。劇中で、彼は一貫して「強くならない」ことを選ぶ描写がされています。
これは魔法の杖を使った親友が突然変化して「でかつよ」になってしまった回。この時、ちいかわも杖を使えば二人を撃退して「でかつよ」になることもできたかもしれませんが、杖を破壊します。もっとも、これは怪異だったので判断する間もなく二人を助けるために行動した節が大きいですが。
その後の話で、謎の人形によって妖精に変えられてしまった三人。ちいかわは元凶たる人形を破壊する前に、妖精になって初めて味わった「強さ」を思い出し、葛藤します。
しかし、彼は最終的に仲間と共に過ごす「ちいかわ」としての日々を選び、人形を破壊しました。
「あのこ」とは対照的です。
力を選ばなかった子と、力を選んだ子の対比。全く同じコマ割りで描かれているこの悪意意図ッ! わかりますかねッッ!
「でかつよ」になる方法
「あのこ」がどうやって作中で「でかつよ」になったのかは作中では語られていませんが、ちいかわ族が「でかつよ」になるルートはどうやらいくつかあるようです。
ちいかわ達主人公も、災厄的に「でかつよ」になりかけることが何度かあります。また、特定の手段を踏むことで「中身を入れ替える」ことができることも複数回示唆されています。
しかし、皆さん忘れているかもしれませんが、非常に興味深い描写が一度だけされていました。スーパーアルバイター編です。
このシーンでは、明らかに数秒前まで「ちいかわ族」だった者が、でかつよに変化を遂げていることがわかります。
そして、その次の話で「スーパーアルバイターの制度」がなくなるという会話がされます。
とどのつまり、この事件は「スーパーアルバイター」であったちいかわ族が「でかつよ」になってしまったというわけです。なんということでしょう! あまりにも強い権限を与えられると、魔法の道具なしに、ちいかわ族は「でかつよ」になれるのです。
このことから、「ちいかわ」と「でかつよ」の間の境界は極めて曖昧であることが分かります。では、「ちいかわ」とはなんでしょうか。「でかつよ」とはなんでしょうか。
(余談:ラッコ師匠は大丈夫なんだろうか? しかし、鎧人間たちが現在のシステムを厳格にコントロールしていることは描写から見て取れますね)
ちいかわとは、弱者讃歌の物語
はたして、ちいかわという作品は何をテーマとしているのでしょうか。それは、第一話がすべて物語っています。
ちいかわのテーマとは、「ちいかわであること」なのです。それはすなわち、弱者讃歌の物語。弱者が弱者のまま生きていける、そんな世界を肯定しているのです。
現実はそう甘くはありません。社会的責任。勤労の義務。きらびやかな SNS に、毎日繰り返される他人との比較。誰もあなたを庇護してくれません。知らず知らずのうちに、誰もが「強者になること」への重圧を浴びながら生きています。漫画の主人公は努力と修行をして、強くなって敵を倒さなければいけないのです。
でも、そんな世の中だからこそ、弱い人が、弱いままでも肯定される、そんな世界を望んだっていいんじゃないか。
ちいかわのストーリーの節々には、そんなメッセージが込められているように思えます。
じゃあ、でかつよって何?
社会的強者こそがでかつよです。でかくて強い。しかしその生態はどこかアンバランスです。完璧な人間などいないのだから、当たり前です。
あるいは、ちいかわ族と比べてあまりにも個体差が大きいことから(凶暴なものもいれば、知的なものも、友好的なものもいる)、弱者ではないすべての者が「でかつよ」なのかもしれません。俺が、俺達がでかつよだ。
ちいかわで印象的なのは、「でかつよでありながら、ちいかわになりたいと戻る者」が一定数描かれることです。それはナガノさん本人の願望なのかもしれませんし、あなたがでかつよだったらきっとその気持ちが分かるはずです。人は誰しも一度は弱者だったんですから。
言わないよねェッ!!
さ、本題です。
弱者のまま生きることをテーマにする「ちいかわ」において、明確に「強くなりたい」願望が描かれるハチワレは、いわばアンチテーゼです。
そして、とうとうパラレルワールド編で、彼はその願望を身体に反映させ、でかつよになってしまいます。
念願の力を手に入れて喜ぶハチワレ。そして、それを否定するちいかわ亜種。両者の間には、いや、ハチワレとこの作品のテーマの間には、決定的な隔たりがあるのです。
「もしもさッ……強くなっても、力を手に入れても、友達のままでいてくれる……?」
ハチワレは──聞くことができなかった。もしもあの時、聞いていれば、たとえ道が違っていても、いくらでも分かり合う機会があったはずなのに……。(DEAD END)
まとめ
ちいかわは弱者讃歌のストーリー
ハチワレは明確な上昇志向を持つ作品へのアンチテーゼ
そして描かれた二人のすれ違い
そして、作品はどこへ向かうのか……。いずれ「でかつよ」を目指すハチワレを阻むのは、鎧人間たちの築いたシステムか、それとも親友か……。あるいは、児童向け作品として売っていきたい版権管理会社か……。
令和最大のコンテンツから目が離せませんね!おわり!
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