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炭鉱と砂糖とお菓子

炭鉱、石炭を掘り出すための鉱山。
甘いお菓子とあまり関わりがないように思える。
だけど、福岡県のお菓子を追っていると筑豊地方の炭鉱のことがちらほとら出てくる。

山田まんじゅう(嘉麻市)、ひよ子・千鳥饅頭(飯塚市)のことを書いていて、もう少し筑豊地方の炭田のこと知りたいなぁ、と思い、指のむくままネットの波に乗っていた。

1872年(明治5年)、鉱山解放令が公布され産業革命期に入ると、炭鉱開発が急速にすすめられる。
1901年(明治34年)、八幡製鉄所が創業。
筑豊炭田は、福岡県北九州市、中間市、直方市、飯塚市、田川市、山田市、遠賀郡、鞍手郡、嘉穂郡、田川郡の6市4郡にまたがる日本一の炭鉱地帯となる。
1950年代後半から石油が台頭、1976年(昭和51年)には筑豊炭田のすべてが閉山。

くろがね羊かんは、八幡製鉄所で作業員が胸のポケットにさして、作業の合間にかじっていたという。
疲れを回復させるため、あえて甘め。

山田まんじゅうのカタチははボタ山をイメージしている。

亀屋延永の名物羊羹、黒ダイヤ・白ダイヤは石炭と石灰石をイメージ。

直方の成金饅頭は、重労働で疲れた鉱員に甘い菓子が好まれていたので大売れ。

そして、この地域には江戸時代に長崎の出島から小倉までを結ぶ主要路、長崎街道の宿場町もある。
長崎街道を通って砂糖と南蛮菓子レシピがもたらされたので、シュガーロードとも呼ばれ、昔から多くの銘菓を生み出してきた。

2011年よりクロセレクションとうプロジェクトがあり、筑豊・嘉飯のパティシエ、和菓子職人たちが石炭の「黒」をモチーフにした黒いお菓子をいろいろ作っているようで、これがものすごく気になる。

はぁ、お菓子を食べに福岡行きたい。

ものすごく気になる。

こうやってお菓子を1つ、また1つと追っていると、どんどん食べたいものが出てくるから困る。


最近、筑豊炭田が気になって『信さん・炭坑町のセレナーデ』という映画を見た。
昭和30年代の福岡県の炭坑町が舞台である。
筑豊地方のお菓子に興味がわかなければ出会えなかった作品。
炭鉱があった頃の風景が目に浮かべば、菓子もまた愛おし。
今度行った時には、菓子屋巡りとともに炭鉱遺構巡りでもしてみましょうか。


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