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横浜山手西洋館を歩く(其の参)/ベーリックホール、エリスマン邸

 横浜山手の西洋館を巡るのは、今回で3度目となる。
前回までの記事はこちら。

 この日は36度という猛暑日、ただ暑いだけでなく湿度も高く、下手をすると身の危険を感じるような暑さだ。
そうはいっても、折角の梅雨の晴れ間なのでギアを入れ直して周って来ました。


訪問日:2024年7月4日


暑い、暑い。
日陰が恋しい。


🔶ベーリックホール

イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄贈されました。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。

現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは、山手111番館山手聖公会根岸競馬場など数多くの建築物を残しています。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されています。内部も、広いリビングルームやパームルーム、アルコーブや化粧梁組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物です。

平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄贈を受けました。復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開しています。
現在は元町公園の施設として館内と庭園を無料で見学できるほか、結婚式場として貸し出しも行われている。

出典:ホームページより引用

居住者であったベリックさんは、家族が営んでいた貿易商を継ぐため25歳の時にイギリスより来日し、その後駐日フィンランド大使館の要請により領事となり、現在のベーリックホールで執務にあたったという変わった経歴の持ち主であるが、とても裕福な暮らしをしていたことが随所に窺える。
その後、第二次世界大戦となり家族とともにカナダバンクーバーに移住、日本に戻ることなく同地で亡くなっている。

入口を入ると、
この堂々たる風格
に目が行く。


ベーリックホール
これまでに見た洋館
の中では図抜けて
大きい。


横浜山手洋館で最大規模というだけあって、兎に角大きい。
建物の大きさにまず圧倒される。
そして敷地の広さにも。

エントランス
ドアひとつから
優雅さが窺える。
どうですか?
家に帰ってきて
ドアを開けたら
この佇まい。
リッチな気分ですよね。


エントランスから順路に沿って入ると、客間を通ってシックなダイニングが。
一度でいいからこんな雰囲気でホームパーティーに招かれたいものだ。

客間
別角度から


廊下を抜けエントランス右側の部屋に入ると、そこは広々とした空間。
なんだろう、この優雅さは、、、。
口あんぐり状態だ。

居間
ゆったり広々とした空間だ。
大きすぎて画像に収まらない。
暖炉
これも趣き深い


居間の左側は
パームルーム
(休憩室)


パームルーム
これまた優雅な休憩室。
パームルーム北側
獅子型の壁泉へきせん
1階階段前の廊下
チェック柄の床は
当時のまま
2階への階段
これ、個人の住宅?
2階廊下
元客用寝室
現在は応接室
窓の格子がオシャレ


ベリック夫人寝室
サンポーチ
サンポーチ


令息寝室


ベーリックホール如何でしたか?
広々とした緑の芝が広がる敷地にど〜んと構えた圧倒的な存在感のある建物、とても個人の邸宅とは思えないですよね?

建てた当人はここに23年しか暮らしてなかったようですが、フィンランド大使館の領事の仕事をここでこなしていたようです。
諸外国の要人たちをここに招いて歓待をしてたんでしょうな、羨ましい。


もう少し付き合ってね。

🔶エリスマン邸

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅でした。大正14(1925)年から大正15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドです。

創建当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下
見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、バルコニー、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っています。設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。

昭和57(1982)年にマンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年、元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、昔の厨房部分は、喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されています。
エリスマンは、1940年に亡くなるまで日本で暮らし、没後、横浜外国人墓地に眠っている。

出典:ホームページより引用
エリスマン邸
入口付近


入口に設置の公衆電話がシブい。
鹿鳴館と呼ばれている。
応接室


建築設計者レーモンド
チェコ人で帝国ホテル
を建築設計した事で著名
なライトの助手だった。
当時使われていた
楽譜入れがそのまま展示。
ピアノを演奏していたか?


家具については
全て復元品。
サンルーム
サンルーム
食堂
2階への階段


関東大震災前の洋館
これだけたくさんの館
があったんだ。
現存する洋館①
現存する洋館②


館内のカフェでひと休みとしよう。

さわやかタイム!
身体を冷やそう

🔷Café Ehrismann

メニューを覗く
いつものように
黄色い泡
、、、は無い。ならば、
すりおろしりんごジュース!


喉が渇ききって
一口飲んでしまった。
りんごのすりつぶし
も入って実に爽快。
カフェからの緑
木々は元気そのもの
窓一面緑🟢
アイスワッフル添え
バニラアイスが
ねっとりと美味しい


もう一館、行ってみる?
ちょっと疲れたね。


今回は、ここまで。
バテバテなので、残りは次回お目に掛かりましょう。


ぬ、ぬ、ぬ

ちょっと待てよ。
食に関する記事があまりにも少ないではないか!

イタリアレストラン「Rigoletto」に向かう予定だったが、とんでもない暑さに食欲が落ちてしまい、さっぱりした中華を食べたくなった。
かた焼きそばも自宅で食べたことだし、ここは冷やし中華を食べて帰ろうじゃないか!

中華街へようこそ



またしても、懲りずに横浜中華街へ。
たまには店を変えてみようと『華正樓新館』へ向かう。
入るなり、レジに居た女性に尋ねた。
「冷やし中華ってやってますか?」

「当店では扱ってないんですよ。ごめんなさい。」

あちゃー、日本式の冷やし中華は中華街ではもしかしたら、お目にかかれないかも?と嫌な予感がよぎる。
この暑さの中だ、あれこれお店を選んでもいられない。
『萬珍樓』の店先メニューを覗き込んだ。
あったー、やっぱり萬珍樓だ。
洋館に来るたび3回目の訪問。

🔷萬珍樓本店



上半身びしょ濡れ状態だったので、クーラーの冷気がとても心地良い。
一気に汗がひいていき、臨戦態勢が整った。


お~、命を繋ぐ黄金の水だ

これこれ、これを頂いちゃいましょう。
たまらんね~。

冷やし中華
醤油だれ、ごまだれ

見ての通り、具材満載の冷やし中華だ。
ふたつの味が楽しめるが、ベテラン店員さんの話だとふたつを混ぜて掛け合わせるのが美味しいとのこと。

酸味がなく、まろやかでとても上品な冷やし中華だ。
具材ひとつひとつが楽しめる。
海老、くらげ、烏賊のそれぞれの食感、細かく刻んであるチャーシューも食べ易くしてある。

あ〜美味しかった。

ちょこっと寄っていきましょ。

🔶横濱媽祖廟まそびょう

橫濱媽祖廟

横浜媽祖廟まそびょうは道教の神様を祀る廟で、正式な名称は「横浜大天后宮」です。2006年3月17日に落慶開廟しました。道教では歴史の中で実在した人物が亡くなったあと天に昇って神になります。媽祖は道教の神々の中で位の高い女神であり、最も人気のある崇拝神の一人です。

出典:ホームページより引用
境内を臨む


天上聖母
出典:ホームページより引用

媽祖は西暦960年中国北宋時代に福建省沿岸の小さな漁村にある林家に生まれた実在の人物です。
生まれて一カ月間、泣き声も上げず「林黙娘」と名付けられました。小さい頃から才智に長け、16才で神から導かられ、法力を持つ銅制の札を授けられたといわれています。それから神通力をつかい各地を巡回し悪や禍を退け、人々の病を癒す彼女を「通玄の霊女」と尊敬の意を込めて呼ぶようになりました。
28才の9月9日に修行を終え、天に召された後も赤い衣裳をまとって海上を舞い、難民を救助する姿が見られたので、人々は廟を建て護国救民の神様として祀るようになりました。これらの功績が国中に広がり、歴代の皇帝も「天妃」「天后」「天上聖母」などの称号を贈り敬意を表しました。
媽祖は航海の安全を護る海の神のみならず、自然災害や疫病、盗賊から人々を護る女神として、中国大陸や台湾はもとより華僑が住む世界各地で信仰されています。

出典:ホームページより引用

媽祖は、生き神様として崇められ今も中国の人たちの間で崇拝されている信仰のシンボル。
目を瞑り、仏像のごとく穏やかで慈悲深い顔をしていらっしゃる。

世界にはいろんな神様がいるんだね。


これにて、山手西洋館を巡る(其の参)は終了です。
続いて、其のよんがありますのでお付き合い頂ければ幸いです。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。


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Eijyo
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