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横浜山手西洋館を歩く(其の肆)/234番館、テニス発祥記念館、旧68番館

大好きな横浜。
山手西洋館巡りも4回目となった。

そろそろ、終わりに近づいてきた。
猛烈に暑いが、頑張ってコンプリートしようじゃないか!


これまでの記事はこちら。

訪問日:2024年7月4日



気持ちは軽く、足取り重く(^^♪

🔶山手234番館

234番館は道路に面している。
街路樹があり全景はこのような
感じだが、夏の強い日差し除け
としては良きロケーション。

昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられました。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された経緯があります。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてパネルを展示しています。2階は貸しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用されています。

出典:ホームページより引用
4世帯のアパートだった。


展示のみで234番館
とは直接関係性はない。
日本コロンビアの前身
「日蓄」は蓄音機の父
「フレデリック・ホイットニーホーン」
が設立。国産機を製造販売。
ホイットニーホーンは234番館
からほど近い、山手町9番地に
住んでいたようだ。

詳しくは下記を参照ください。

ニッポノフォン35号・日本蓄音器商会製 大正中期に日本で作られました。オーク材の9枚パネルの菊花デザインの木製ホーンは音がとても柔らかです。 現在はカッコイイ!と言われますが、当時は不格好と言われていたそうです。

出典:ホームページより引用


ベーリックホールで使われていた食器棚
1階2世帯、2階2世帯
4世帯の住居人変遷。
1980年まで使われて
いたようだ。
ドアがAからEまで振られている。
4世帯+使用人部屋のドアと
思われる。
暖 炉


234号館裏側へ回ると
個人邸宅ではなく、アパート
としての雰囲気が漂っている。





さあ~て、ラストスパート、歩くよ~。


🔶横浜山手テニス発祥記念館

日本庭球発祥之地
記念碑

 日本で最初の洋式庭園として、横浜居留地に住む外国人が開設したのが山手地区にある山手公園。その一画、横浜山手テニス発祥記念館前のテニスコートの片隅に立つのが日本庭球発祥の地碑(碑文は「日本庭球発祥之地碑」)。実は、ここが明治9年(1876年)に、日本で最初にテニスが行なわれた場所です。
1878年(明治11年)には、「レディース ローン テニス アンド クロッケークラブ」(現在の横浜インターナショナルテニスクラブ)が結成され、5面のテニスコートが造られた。
そのため、山手公園は日本における庭球発祥の地とされている。
園内の「テニス発祥記念館」は、横浜インターナショナルテニスクラブ創立120周年を記念して建てられたもので、テニスの歴史パネルなどが展示されている。




横浜山手テニス発祥記念館

いやー、歩いた、歩いた。
炎天下の中、20分近く歩いただろうか。

入室すると、ガイドの方が懇切丁寧に1時間近く案内して頂いた。
大変ありがたい。
日本でのテニス発祥の話だけでなく、そもそものテニスの歴史も学べますよ。

右:テニスが始まった当初
のスタイル竹製でこんな形
だった。
左:詳しくは下記に。
500年前Racketは
アラビア語で「手のひら」
テニスはフランスで
ジュ・ディ・ボーム
と言われていた。
残念ながら旧式の手巻きボール
は下部が少し写り込んだだけ。


1875年頃イギリスで
発売されたローンテニスセット


テニスラケットの変遷
ラケットとボールの変遷
テニスボールの変遷
旧テニスボール
コートとネットの変遷
面白いことにネットは
中央がダランとした
時期が長く続いたようだ


🔷テニスの起源

テニスの起源は古く、紀元前エジプトでの宗教的な行為として行われた球技に由来する。
現代式テニスの原形フランス発祥イギリスに渡りローンテニス
として始まった。天然芝のコートが多いことから、ローンテニスと呼ばれ、グラスコートは別名ローンコートとも呼ばれる天然芝のコートのことである。
ローンコートは、球足が速くバウンドも低いのが特徴で、テニス4大大会でもっとも歴史が古く権威があるウィンブルドン(全英オープン)のコートに使われていることでも有名です。
芝の維持管理に手間がかかるため、現在では、世界的にも数少なくなっているコートです。

Eijyopedia


早川松山作
浮世絵
山手公園でテニスをする
外国女性
上記浮世絵をステンドグラスに
岩崎隆作


🔷国歌「君が代」の起源

国歌「君が代」

国歌としては、1869年(明治2年)、軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントン日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことを始まりとしている。 1880年(明治13年)、法律では定められなかったが、事実上の国歌として礼式曲「君が代」が採用された。国歌として定着したのは1930年とされる。

歌詞は10世紀初頭における最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌を初出としている。世界の国歌の中で、作詞者が最も古いといわれている。

パリオリンピック開催中で流れる「君が代」とはどれほど違うものか、是非一度下記YouTubeよりお聴きください。

Eijyopedia




ヒマラヤ杉は今や全国に植栽
されているが、元は横浜山手公園
に植えられたのが始まり
だ。


さあ~て、ガイドの方に大変長い時間お世話になってしまった。
お礼を言って、最終地68番館は目の前なので足元軽やかに歩を進めます。


いよいよフィナーレ

🔶旧山手68番館

旧山手68番館

旧山手68番館は、昭和(1933)年に建てられた外国人向けの貸家で、昭和61(1986)年に山手公園に移築されました。
現在は、山手公園管理センターとして利用されています。
テニスコート6面の受付、休憩スペース、更衣室、シャワーがあります。

展示スペース
コートでは炎天下でプレーが。



山手公園
日本で最初の洋式公園
記念碑

いやはや、それにしても実によく歩いた。😝
横浜山手西洋館を歩く(其の肆)はこれにて終了です。



編集後記

はてさて、
横浜市緑の協会のサイトに掲載される9館はこれで全て周りきることが出来ました。
因みに全館無料開放されていますし、期間によってはイベントも開催されていますので、是非時間作って歩かれることお薦めします。


 今回は、山手イタリア庭園に出向いたのを端緒としてぐるっと周ってみました。
ガイドの方の説明によると、横浜という土地は敷地面積が限られていたこともあって、現在の関内周辺は埋め立てて造られた土地であるということを初めて知りました。
『関内』という地名も横浜開港 (安政6年、1859年) の翌年、幕府によって堀割 (現在のJR根岸線沿いの首都 高速地下部分) が設けられ、堀が囲む地域を「関内」、その 外側を「関外」と呼んだこと に由来するそうです。

移住してきた西洋人に土地を占拠され、そこで彼等は優雅な暮らしをしていたと認識しておりましたが、それは全く大きな間違いであることがわかりました。
実は西洋人は関外、中でも山手の地域に、言い方悪いけれど、封じ込め隔離したというのが真相のようです。
長きにわたる尊王攘夷運動、そしてペリーによって開港直後のことでしょうから、見慣れない西洋人に対する偏見や脅威といった民衆意識はかなり高いものがあったでしょうし、対応した行政機関もこうするしかなかったのでしょうね。

関東大震災前は、50余の西洋館がこの横浜山手には存在したようだ。
しかしながら、震災で倒壊した建物が多く、現存し公開されているのは巡った9館ですが、非公開の西洋館がそれ以外にも10館現存しておりますので、列記だけしておきます。
ご興味ある方はこちらにも足を向けてみてください。

1、横浜山手214号館(旧スェーデン領事公邸)
2、横浜共立学園本校舎
3、カトリック横浜司教館
4、カトリック横浜司教別館
5、カトリック山手教会聖堂
6、フェリス女学院中高等部1号館
7、岡田邸
8、山手資料館
9、山手聖公会
10、フランス領事官邸建築遺構

こちらにもいずれ散策してみたいと思っております。

西洋館は、横浜だけでなく神戸、長崎にも残されていますし、実は開港が一番早かった函館にも建物や街並みが残されているようです。
個人的には、函館だけ訪れたことがないので、行ってみたいですね。

今回のシリーズでは、其の壱記載の山手イタリア庭園の『外交官の家』、其の参記載の『ベーリックホール』がお薦めワン、ツーといったところでしょうか。


長い記事にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。



We have completed the article
about walking
around
Yokohama Yamate Western Museum.



#一度はいきたいあの場所 #横浜山手西洋館#日本テニス発祥の地#テニス#君が代#国歌

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