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約20年勤めた会社を辞めた経緯③

移動は突然やってくる。
百貨店が閉店するのでどうなるんだろう・・・とは思っていたが2005年の9月に地元福山に転勤。
福山でリスタート。最初思ったのは約10年、岡山でやってきてこれから!という思いがあったのでいくら地元とはいえ1からのスタートでした。
同じ会社だけども営業所が変わるとこうも違うのか・・・と最初の一年はとにかく戸惑いの連続。積込一つとっても違う。毎日違う場所をひたすらこなしていた場所から大きな場所にどーんと持っていく営業所になり段取りがガラッと変わる。よくいえばおおらか、悪くいえば大雑把。これはどちらがいいのか悪いのかではなくて現場がこうだからこうなってるだけだなと思ってまず一年目はもう文句も言わず黙ってやっていることを真似して覚えて・・・そのなかで自分の現場だけは自分のやりたい段取りでやってました。そうすると他の人もやりやすい方に慣れてくるので二、三年目にはある程度効率化が出来ていったのかなーと思ってます。営業所内でもだんだんと影響力を持ち始めていくことができてよかったなと思う反面、段々と凶暴になり・・笑 『俺の言うこと聞け』みたいに気が付いたらなってました。夜間作業で危険も伴うのでどうしても乱暴な言葉使いになったりバイトには若いやんちゃな子が来たりするので負けれない!笑と。
その頃には担当も所内のメインをしていたので責任も増えていました。で、ふと鏡を見てみると人相の悪い自分がいることに気づく。がこの頃には自分でも制御できずずっとピリピリしてて兎に角負けたらダメだと思うようになってました。それでも仕事は楽しくてやりがいがありいつかは自分がここを任される日が来ると信じていました。そんな毎日を過ごしていたら夏のある日、伝票を持っていく時に厚みが少ない気がすると感じ売上を見てみると明らかに例年より少ない。それでも最初の年は少し楽ができたと楽観視してましたがよく年も同じように下がっていてこれじゃやばい・・。と考えるようになりました。このころの仕事といえばあれだけきつかった仕事も15年を過ぎたあたりからさーっと出来ている気になってて刺激がなくなっていました。多分仕事が自分の中でマンネリ化して飽きて来てたんだと思います。
その時期と売上が下がっている時期が重なって今までのルート営業ではダメだ。なんかしないと!と1人勝手に焦っていました。そんなモヤモヤしていた時期に講演会に誘われていった先でいろんな人が活発に動いていたのが衝撃的でそれからどんどん社外に出て行きました。当初は名刺を配るのが仕事みたいな意識で毎月100枚から200枚をひたすら会う人会う人に配っていました。その後どうなったか・・・
配っただけなので何も起こらず。それから気が付いてたくさん配るよりも少なくてもいいから目の前の人にしっかり自分を見てもらおうと切り替えました。その間1年くらいだったと思います。そのあとはいろんな異業種交流会に出て話を聞いたり聞いてもらったり、出ていくのが楽し過ぎたのを覚えています。
その中で出逢ったのが福山市中心市街地活性化 いわゆるまちづくりというやつです。
つづく

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