変わるもの 変わらないもの

 最初にこのテーマを提示された時、「一体何を言っているんだろう? この世の中に変わらないものはない。それとも たとえ変わらないものは ないのだとしても、古今東西 人々が信じる"変わらないもの"とは、どういうこと、ものなのか?  "変わらないもの"が変わる瞬間とは、どういう場合なのか?哲学的に考察してみろと言うことなのか?」などとすぐには得心がいかなかった。

  そもそも このテーマを考察し、提示されたあなた方は、古い時代のスタンダードの情緒的な安定感安心感を「やっぱり時代が変わっても良いものは変わらないなぁ」などと思わず口に出してしまう人たちなのか?

まず「変化」とは何か?

 数十億年前にこの地球が誕生して マグマや地熱による莫大な熱エネルギーが 分子の運動エネルギーを引き起こす。混沌とした分子、粒子の不規則なぶつかり合いから数万回に一回のあるアルゴリズム(規則性)が生まれ その希少なアルゴリズムが何万年の間に 複数回発生するケースが数千回繰り返される中で 環境に偏りが起きて 最初のアルゴリズムが 極くごくわずかに変化する。

 近接した距離で複数回発生した同じ変化のアルゴリズムだけが残り、変化をしたが距離が遠く、密度が少なかった変化後のアルゴリズムは消えていく。

  アルゴリズムは千差万別、さまざまに変化し、残るものは残り、消えていくものは消えていく。

 アルゴリズムにはもちろん意思がなく、生き残るために変化の方向を決定しているわけではない。

 残った変化し続けるアルゴリズムが近接して莫大な回数、偏りを持って分子、粒子のぶつかり合いを繰り返す。気の遠くなるような時間の中である日、今までとは違う有機的な反応が発生する。「兆し(きざし)」である。

 そして有機的な反応の偏りが起きる。膨大な時間をかけて有機物の反応は変化し、新しい有機物の反応の規則性が連続して発生する。「生命の初まりの始まり」である。

 やがて 生命は 海を埋め尽くし 陸へ上がり 地球への巨大隕石の襲来や、氷河期などの破壊的な危機を乗り越えて生き残り、約一万年前 原人が生まれ脳の比較的大きなホモ・ネアンデターレンシス(ネアンデルタール人)は滅び それよりも脳の小さなホモ・サピエンスが生き残った。

進化とは

 多くの場合突然変異によるものではなくて、生命の様々な変化の積み重ねの中で、同時期に変化していく環境を生き残った生命の変化が継承されていくことである。

  恐竜たちのように 強いもの 大きいものが生き残るのではなく、ネアンデルタール人たちのように賢いものが生き残るのでもない。変化して環境の選別に打ち勝った者だけが生き残るのである。

 今 人間は

 地球上全域に存在し、深海や、最高峰の山岳地帯を征服し、地球外の宇宙にも覇権を伸ばそうとしている。さながら、地球の生態系の支配者のように振る舞っているが、地球の生態系を破壊したり太陽がなくなって太陽の光エネルギーがなくなり、太陽系の重力がなくなった状態では、生命を維持することができない。

 たとえ宇宙に飛び出して地球外コロニーを築きあげても、自身の生命維持のための免疫システムをまっとうに維持できるかどうかは疑問だ。

新型コロナの

 各国政府の対感染症政策と 各国の感染者の増加減少傾向の時系列的な数値結果を見ると、潜伏期間を考慮しても 具体的には同期していない。

 大規模な新型感染症等の生命存続の危機に対しては、実は人智はあまり機能せず、人間の生命体としての免疫システムに頼るしかないのが現実だ。

 人間も含めた全ての地球上の生命、そして物質は、今を含めた全ての瞬間に変化し続けていて、それは太陽系内でも銀河系内でも、変わらず変化し続ける。

では「変わらないもの」とは何だろうか?

 地球上のすべてのものが変化し続けるのに「変わらない」と判断するのは、対象(客体)に対する主体の判断基準の粗さ、あるいは対象に対する情報入力の少なさが原因である。

 普段行き来する街角で以前の建物が取り壊され、新しい建物に建て変わっていても、前に何の建物があったのか思い出せない場合がある。その程度の注意力では 以前の建物の老朽化の変化に気づくはずもない。

 一般消費者に世代を超えて支持され続ける、その業界のスタンダード商品に「変わらない」おいしさを感じるのも錯覚のひとつである。

 日清の「カップヌードル」やカルビーの「かっぱえびせん」等は永く支持され続けているが、その裏で製造メーカー側は緻密な嗜好調査を行い、パッケージ、デザイン、調味料や味付けを常に細部にわたって改善し続けている事はよく知られた事例である。

 優れたクラシック音楽の嗜好も時を超えることはできない。すでに無機質な生存空間しか残されていない数百年後のスペースコロニーで暮らす人類にとって、自然や季節はディスプレイ画面上の画像でしかなく、ビバルディの「四季」を聞いても、その自然の描写力や 季節の移ろいを 感じることもない。

 変化し続ける環境の中で「変わらない」物事に惹かれる人間の心にあるのは、変化についていけず、置いてけぼりを喰らう自分自身への不安ではないか?「世の中変わっていくけどこれだけは"変わっていない" なんとなく安心するなぁ」と言う心の状態である。

すべての生物は本来変化を嫌う

 前回と同じ、昨日と同じ行動は 結果が予測しやすい。同じ行動なら同じ結果を得やすい(環境が全く同じなら) しかし同じ環境が継続する事は無い。ごくわずかかもしれないが、変化し続けている。ある大きさまで変化に気づかないのは生存していく上で、リスクが大きすぎる。

樹木の上に住む原猿たちは、自分たちの森の食料がなくなると、肉食獣がいて危険な平原を越えて、向こうに見える森へ行かざるを得なかった。

 二本足で立って高速歩行できる若い原猿たちが、高い視点から遠くの森へ狙いを定め、肉食獣を避けて、新天地の森へたどり着き、その森の既存の原猿たちを追い払って食料にありつき、生き伸びることができた。

人間も例外ではない

 スマートフォンに主導権を握られることなく、社会と家庭にあふれる様々な情報から取捨選択し、世界情勢、アジア圏、日本、地方公共団体 その経済状況は? 就業先 家庭はどう変化しているのか?自身に関わる変化はどの部分か?そしてその変化は1週間後 1ヵ月後 3ヶ月後 半年後 1年後 2年後どうなっていくと考えられるか? 常に注意し、頭脳を働かせておくことが必要だ。

 そして自分自身と家庭、就業先、その周りの経済圏の状態は、2年後、1年後、半年後、3ヶ月後、1ヵ月後、1週間後どう変えていきたいのか? 

そのために何をどう変えるよう行動したらよいか?

自分なりの優先順位を持って変化

していくことが必須になる。

願わくば貴社が

視聴読者ファンの皆様に、現実逃避の情緒的なあるいは一時的な安心感を与える情報に供することなく、変化する現実社会に即した情報を提供して、視聴読者ファンの皆様のより良い未来の実現を可能とし、私がその一助として機能できることを願ってやみません。機会を与えてください。よろしくお願いいたします。

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