泣いていた夕暮れの校庭。

電車の窓から見えるどこかの小学校の校庭を見ながら、私はふと、あの日のことを思い出していた。

それはちょうど私が高校3年生の頃のこと。とりあえず大学も決まって、暇な時間を持て余していたときのことだった。友達と隣町まで電車で遊びに行って、その帰り道、「じゃ、また」と言って友達と別れたそのとき。

まだ少し明るい夕暮れの中、ふと、遠く小学校からチャイムの音がどこか寂しげに聞こえてきた。私はなんだかとても懐かしくなり、知らないうちに自転車を、そのチャイムの鳴る場所へと、気持も一緒に走らせていたのだった。

昔、通っていた私の小学校。なんて懐かしいんだろう。もう何年ぶりになるのだろうか?そうだな、そのとき私は高校3年だったから、6年ぶりと言う計算になるか。

自転車を止め、あの頃のいつもの裏口から入って校庭に立った。(今は勝手に入れないだろうけど。)そこにはもう誰もいなくて、ただ、終わり近い冬の風が吹いているだけだった。

あの時感じた不思議な感覚は、どう言い表わせればいいのだろう?校舎もジャングルジムも、あの頃と少しも変わっていなくて、本当に懐かしく思えたのに、すべてがただ、小さく見えたのだった。ブランコや、鉄棒、サッカーのゴールまで何もかもが小さくて。

グランドでさえ小さく感じたその不思議な感覚に、私は思わず言葉を失っていた。あんなに広かったはずの校庭がなぜ?どうして?運動会の徒競走でさえ、そのグラウンドの広さに、走り終わる前に息が切れてしまうんじゃないかと思っていたほどだったのに。

私は、何かを確かめるように、学校のかつて自分がいた教室を覗きこんで見た。黒板、机や強大なコンパス、定規さえ、やっぱり何もかもが小さく思えた。なんということだろう。なぜか涙が出そうになった。

どうしてこんなに小さく思えるんだろう?
今思えば、それはとても簡単なことだった。

私が大きくなったのだ。

私の手も体も、その視線も、あの頃と違って大きく、そして高くなったのだ。確かにココは、私がかつて6年間も泣いたり笑ったりして過ごした場所のはずなのに”もう、君の場所じゃないんだよ”と冬のたそがれが私にそっけなく話しかけているみたいだった。

私の居場所が、またひとつなくなってしまった。

そう思うと、私はどうしようもない気持ちになり、誰もいないことを確認してから、そっと空を見上げ、やがて頬を小さく流れるくらいの涙がこぼれた。

あの頃、流されるままに望まなかった大学に行くことを決めてしまい、どうでもいい不安だけが、私のほとんどを占領していた。たぶん、あの頃、私はどこか投げやりな気持ちになっていたのかもしれない。

”ココはもう、私のいる場所じゃない”そう思った私は、すべての思い出たちと別れるように”もう、ココから帰るべきなんだ”とひとりつぶやいていた。

やがて家へと帰るために、ゆっくりと自転車を押しながら私は歩いていた。その時、学校の校門近くの鉄棒に、なぜか心が引っかかってしまった。

”今なら出来るかもしれない”
そう心が思っていた。

実は、私は小学校の頃、ずっと逆上がりが出来なかった。小学5年生の時でさえ、私は出来なくて、クラスのみんなの笑い者になっていた。体育の先生も厳しい人で、(あだ名はヒゲゴリラだった。)私はよくひとりだけ残されて、その鉄棒で練習をさせられたのだった。

いつもココで、私はひとり泣いていた。

随分と私を苦しめた鉄棒は、もう、あの頃の威厳はどこにもなくて、錆びついて小さくて、まるで縁側で日向ぼっこをしている老人のようだった。

最後の願いを叶えるために、私は鉄棒につかまると片足を思いっきり蹴り上げた。私の体が宙にふわりと浮かんだ。くるりと夕暮れが回った。

なんだ、逆上がりなんてこんなに簡単だったんだ。そこにはもう、誰もいなかったけど、その6年後の私の逆上がりに、あの頃のみんなが、ヒゲゴリラさえ、屈託のない笑顔でたくさんの拍手をしてくれてるような気がした。

まわりのすべてが輝いて見えた。
涙がまた、こぼれそうになった。
ただそれだけのことなのに、
うれしくてうれしくて。

私は、ようやくあの頃の夢が叶ったような
気がして何かを許されたようなそんな喜びを
ひとりかみ締めていた。

いつしかもう、深い夕闇が
すぐそこまで迫っていた。

・・・帰らなきゃ・・・

私は自転車にまたがると、
もう一度だけ、小学校の校庭を見つめた。
もう、ココに来ることはないだろうなと思った。

ペダルを力強く漕ぎながら、
最後に私は、あの鉄棒に別れを告げた。
縁側の老人は、私にやさしく
微笑みかけているような気がした。

もう、遠いあの頃の
とても小さな懐かしい風景。

あの時の夕暮れの寂しさを
私は今も忘れられないでいる。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一