冷たい人。

下書きの片隅に、ずっと残していたこのエッセイ。
今はもう大丈夫。私は私を許したから。

・・・・・

怒りの感情があふれると、人は心が震える。
憎しみや哀しみの感情も、たぶんそれは同じこと。

私の心が震えていた。誰かの許せない行動や言葉に、心がどうにもならなくなっていた。相手を傷つける言葉だけを、選んでいる私がいた。それはとてもやっかいな作業のように思えた。

結局、うまく言葉に出来ないままに時だけが通りすぎただけで。

本当は誰かに助けてもらいたいのに、叫びたい気持ちでいたはずなのに、言葉に出来ないこんな自分を、恨んでみたり、誰かのせいにしてみたり。でも、そんなとき、言葉はたいてい意味を成さない。

たぶん風のように、ただ、消えてゆくだけのもの。

”怒りは我を忘れさせる”なんて言葉は、私はそれまで半分も信じていなかったけれど、あの時の私はもしかしたらそうだったのかもしれない。

その時、この声もこの唇も、怒りでただ、震えていて、泣いているのかと思うほど、ぎこちないもので。

どうして人はそんな時、すべてが震えてしまうのだろう?

怒りや憎しみや哀しみの感情を抱いている人は、そのほとんどが孤独を感じている。この心を暖めてくれる人がそばにいなくて、ひとりきりの時間の長さに、その心が冷たくなって・・・

だから憎しみであふれた人は、心が震えるのかもしれない。ひとりになって、孤独になって、誰ももうココにはいなくて、やがてすべてが冷たくなってゆく。

この心も言葉も声も唇も・・・そのすべてが・・・。

あの人へ投げた、私の冷たいあの言葉は、今頃その人の心でさえも、冷たく凍らせているのだろうか?

冷たい人と思われただろうか。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一