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やさしい雨とやさしい心。

正直、気持ちは、どこまでも沈んでいた。仕事での誰かの嫌な言葉はいつものことなのに、昨日に限っては、どうにも心が抑えられなかった。

相手の言葉は正しかった。当然、私は言い返す言葉はなく、その代わりに、終始、不機嫌な態度でいた。夜、家に帰ってから、みっともない自分の行動に、ひとりきりの反省会。あーあ、と思う。

今朝、目覚めて窓の外を見ると、雨が降っていた。

雨をぼんやりと眺めながら「冷たい雨だなぁ」と思った。なんとなく昨日の自分を打ち消したくて、朝から近くの温泉に行った。湯船にゆっくりと浸かっていると、昨日のことなんて、どーでもよくなるから不思議だ。

ふと、露天風呂に入ろうと思って、ドアを開けると、まだ、雨が降っていた。屋根の下の椅子に腰かけ、空を見上げ「優しい雨だなぁ」と思った。

そして少し不思議に感じた。同じ雨なのに、今朝は「冷たい雨」と思った。そして、今は「優しい雨」と思う私がいる。

そうか。

この心が冷たいと、雨も冷たくなるのか。そして、この心が優しいと、雨も優しくなるのかと、今更ながらに私は気づいた。それはなんて単純なことなのだろう。

たぶん、人の心も同じだ。相手の心が冷たいと思うときは、たぶん、自分の心も冷たくなっている。相手が優しいと思うときは、たぶん、自分の心も優しくなっている。

この世界は複雑なようで、本当のところはこんなふうに、とても単純にできているのかもしれない。無駄に複雑にしているのは、きっと、この心なんだ。

ずっとこんなふうに優しい気持ちのままで、生きていたいけれど、心は流されてゆくものだから、嘆くことなくゆっくりと、歩くのがいいのだろう。

誰かが冷たいときは、自分の冷たさに気づいてゆこう。誰かが優しいときは、そのときも自分の優しさに気づいてゆこう。そうすれば、この人生は、もっと生きやすくなるのかもしれない。

もしも涙が止まらないときは、もしかしたら、大切な誰かの涙も止まらないのかもしれない。そのときは、誰かに向かって恨んだりしないで、青空に向かって、夜空に向かって、その想いを解き放そう。

そうすれば、誰かの同じ悲しみも、空に解き放れてゆく。そんな奇跡みたいなことが、起きるのかもしれない。

こうして僕らが生きていることも、実は奇跡的なことなんだ。そう思いたい私がいる。ただ、この時を大切に。同じ心を大切に。

僕らはこうして同じ奇跡を、それでも生きているのだから。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一