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警察とうちの奥さん。

ある日のこと、わが家に警察から一本の電話がかかってきた。

その電話を、たまたまうちの奥さんが取った。その当時、数カ月前に無くなったうちの奥さんの自転車が見つかったとのことだ。あちゃーだった。だって、新しい自転車はすでに買っちゃったし、何よりその頃、わが家は遠方に引っ越してしまったので、今更どうにもならなかった。

だいたい、うちの奥さんは、ママチャリに鍵をかける習慣がまったく無かったらしい。前に住んでたマンションの自転車置き場に置いてたものが、ある日、忽然と無くなっていても、当然といえば当然のことだった。

当時、単身赴任していた私に「盗難されちゃったぁー!信じらんないー!」と、奥さんは電話で言ってきたけど、私にしてみれば、それこそ「鍵をしないなんて信じらんないー!」だった。

よく3年も住んでいて、それまで盗られなかったものだ。それにしても(当時)あと4日後に引越しすると言うときに限って盗難だなんて。もう随分とくたびれた自転車だったし、これは運が悪かったのだと、そのときはそう思うしかなかった。

その頃は引越しで忙しく、防犯登録はしていたけれど盗難届けを出すことも無く、また、引っ越してからもすぐに自転車が必要と言うこともありドタバタと新しいのを買ったのだった。

正直、その警察からの電話があるまでは、とうにその自転車のことは記憶の闇に葬られていた。

「どこにあったんですか?」とうちの奥さんは、電話の相手に尋ねた。「えーとですね、真夜中に自転車を乗り回してた女の子が補導されたのですが、その自転車があなたのだったと言うことです」と言うことだった。

私は電話のやり取りを、近くでテレビを見ながらぼんやりと聞いてたのだけど、何を思ったのか警察に向って奥さんは、こんなことを聞き始めたのだ。

「あのう、本当に警察の方ですかぁ?」

後でわかったのだけど、この電話番号にかけてきたことを、彼女は不審に思ったらしい。あのう・・・相手はそれこそ警察官だし、自転車に防犯登録もしてたし、わかるっちゃわかると思うのだけど、まぁいい。話を続けよう。

彼女のずれた攻撃は続く。
「警察って証明してくれないと、ここの住所は教えられません!」

過去に何があったんだ?そこまで警察を信じられないのか?そこまで人を疑うくせに、なぜに自転車には鍵をかけなかったんだ?いろんな矛盾が私を駆け巡る。

まぁ、そんなことはどうでもいい。
面白いので私は黙ってそれを聞いてた。

警察も、案外そんな質問には、もうすでに慣れているのか、すぐにこう切り出してきた。「・・・そうですね。ここの警察署の電話番号を教えますから、そこに電話してもらって、私の名前を伝えてください」との返事だったらしい。

うむ、なるほど。電話帳で調べれば、警察署の電話番号は確認できるし、そこにいる人が警察の者であることは間違いないだろう。

で、かけ直すうち奥さん。相手の名を告げると、交換の女性が内線電話につないでくれる。さっきの相手の男性が出る。やっと信用できた奥さんは、黙ること数秒。

「・・・うふふふ、どうもすみませーん!」と10才くらい若い声で、何かをごまかそうと必死だった。(本当にイタズラと思っていたみたいだ。信じられない。)

ま、そんなこんなでその電話で、簡単な取調べみたいなことをされて(どこに駐輪してたのか?とか、何年くらい使ってたのか?とか)そして、最後に、一番重要な問題が残った。

その自転車をどうするか、だった。

盗難された自転車は、もともとは買い物用に奥さんが使っていたもので、すでに前も後ろもカゴは無くなっていたらしく、ひどい姿が想像できた。かといって、警察に向って”もう、いらないですから”とも言いにくい。

まさか引き取りに来て下さいなんて、言われるのだろうかと心配になってきた。(以前住んでた場所までは、車で軽く2時間以上はかかる距離だ。)

9980円の日替わり特価で買ったかつての自転車。しかも古くてサビだらけ。おまけにカゴははぎ取られ、今は恐らくマイナス千円くらいの価値でしかない自転車を、それこそ往復5千円くらいかかる諸費用を使って取りにいかなきゃならないのかと思うと、その真夜中に乗り回してた女の子に向かい「どうして昼間にしなかったの?」と、バチ当たりな考え方さえした。

で、相手の警察官の男性は、その疑問にこう答えてくれた。「見つかった自転車は、そちらまで届けますので」。

”えー!警察ってそんなに親切だったっけ?”と今にも言わんばかりの奥さんの表情が受話器を持ったまま固まる。そして実際にそう言わないだろうかと思う私の表情も固まる。

ま、とりあえずは、そんな私たちの不安はこうして払拭されたのだった。

そしてその翌日、軽トラックの荷台に載せられた奥さんの自転車が運ばれてきた。うちの奥さんは、てっきり警察の服を着た警察官が来るものと思っていたらしい。でも、実際に運んでくれたのは、作業服を着た若いおにーちゃん、二人だった。(恐らくは、そういう仕事を請け負っている人たちなのだろう。)

「こちらの自転車で間違いないですね?」と
若いおにーちゃんの笑顔がこぼれる。

そしてうちの奥さんは
難しい顔してこう答える。

「ほんとにあなたたち・・・警察の人?」

こうして数カ月ぶりに戻ってきたわが家の自転車は、まるで捨てられた子犬みたいに見るも無残に汚れていた。

そして彼女は、そんな変わり果てた自転車に
はじめて真新しい鍵をかけたのだった。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一