見出し画像

うちに帰るからね…。

あの頃、昔の年末のこと。まだ、母が私を覚えていた頃のこと。(今、母は認知症でずっと病院にいる。)夜中にかかったその電話は、母からのものだった。思い当たらない突然の電話は、どこか不安に思わせるものだ。

「どうしたの?こんな夜中に」
子供達も寝静まった時刻だった。

「だってね、死んじゃったのよ・・・」
3ヶ月ぶりに聞く母の声は、まるで少女のような涙声で、その内容から、私は頭が混乱してしまった。

「死んじゃったって誰が?」
私は恐る恐る小声で尋ねた。

「Yおじさんよ・・・突然の事だったの」

”Yおじさん”と言われて、すぐにその人のことを、私は思い出せなかった。無理もなかった。その人とは、自分の結婚式以来、もう10年も会っていなかったからだ。

Yおじさんは、母の近い親戚で当時65才だった。私がまだ子供だった頃の記憶では、明るく元気な人柄で、はげた頭はいつも汗をかいていて、太った体を短い足で支えているといった感じだった。

幼い頃、よくうちに遊びに来ては「わはははー、いやぁ、よかったよかった!」が口癖で、いつも大声でしゃべるので、私はとても苦手だったけど、家族をいつも笑わせてくれる、そんなやさしい人だった。

「私にとってはね、弟のような人だったから」
母の消え入りそうな声が切なくて、私は何も言葉を返せないでいた。

Yおじさんは、亡くなる前日まで元気で、普通に食事をして、お風呂に入って、いつもの時間に寝床について、そして急に苦しみ出して、救急車が着くまでにはもう、死んでしまっていたのだそうだ。

心不全だったらしい・・。

病気ならある程度覚悟が出来たとしても、突然の死は、残されたものにとって何も心の準備が出来ていない。母の様子からそれが伺えた。

正直言って、私にとってYおじさんは、長い間ずっと疎遠になっていた。それにおじさんが亡くなったのは、もう、そのときすでに1カ月が過ぎていた。だから、わざわざこんな夜中に電話で連絡する必要は必ずしもなかった。

なかったが、私には、母の言いたいことがわかるような気がして、でも、私はなかなか、次の言葉が言い出せないでいた。

「私はね、今、とても落ちこんでいるのよ…」

母から”落ちこんでいる”なんて言葉。私は生まれてはじめて聞いたような気がした。母ほどの年齢になると、年を重ねるにつれ、誰かの死に目に会うばかりで、残されたものの寂しさは、なんとなくわかるにしても、本当のその哀しみは、私の届かない深さにあるのだろう。

あのとき母に、近いうちに電話しようと思っていた。今度の正月は私達家族は帰らないことを。いや、”帰れない”と言ったほうが正しかったのかもしれない。交通費だけで、実に数万円かかってしまう。小学1年になる息子に学習机や、その他にもいろいろと買うものがあるし・・・残業代も出なければ、給料カットされている現実に、私にとって、お金はいくらあっても足りないくらいのものだった。

金銭的な問題を、母に言えるはずもなく、これ以上、余計な心配もさせたくなかった。「帰らない」を言葉にするには、今はタイミングが悪すぎる。次の機会に話そうかと考えていたら・・・

「今度、お正月になったら、子供達を連れて帰るからね」

思いとは裏腹に、私の口はそう言っていた。なんの迷いもなくごく自然に出た言葉に、私は自分に驚いていた。母の一瞬の無言の時間が、まるで泣いてるみたいな気がして、思わず胸が熱くなっていた。

「うん、うん、待ってるからね。子供達にも会いたいよ、必ず帰ってきてね」母のうれしそうな声が、私の心にやさしく染みこんでくる。

そうだった・・・自分のお金の心配ばかりで、母を心配することを、いつしか私は忘れていた。なんてつまらない言い訳を、私は考えていたのだろう。

あの頃、母の残りの人生は、まだずっと先だと思っていた。でも、現実はすぐ近くまで来ているのかもしれない。時間はいつも人生を、待ってはくれない。あのとき、はじめてそう思った。

”うちに帰るからね…”

母の電話は、たぶん、私からこの言葉を聞きたかったからなのだろう。そして、その言葉を、本当は母に言いたかったのだと、今ならそう思える私がいる。

どうしてこんなことを思い出したのだろう。
こんな夜更けの一人の時間に…。

Yおじさんは、今頃、天国で笑いながら
私に大声で言っているのだろうな。

”わはははー
いやぁーよかったよかった!”と。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一