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祭りnote

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僕の祭りへの想いや撮影のノウハウをまとめていきます。このnoteを読んで少しでも祭りの撮影に興味をもっていただけると嬉しいです。
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#石川県

今日も祭りを撮っていたい。

長かった祭りシーズンを終えて、暦の上では冬を迎えました。 GWが過ぎた頃にコロナ禍は明け、今年から祭りが完全復活したという地域も多かったと思います。7〜8月の猛暑を果たして乗り越えられるだろうかと不安もありましたが、こうして無事今年の祭りを振り返られることに安堵の気持ちでいっぱいです。今回のnote(というか今年初noteでした笑)では、主に撮影した写真と共に、今年の祭りを振り返りたいと思います。 今日もどこかで祭りが行われている僕は石川県の能登を拠点にしているフリーラン

能登が熱く燃えた日。3年ぶりの「あばれ祭」

3年ぶり。それは言葉では簡単に言い表すことができないくらいに重く、長い期間のように感じました。特に若い世代の方々は、進学や就職などで能登を離れてしまったり、生活環境が変わった方も多いことでしょう。過疎で祭りの担い手不足に悩まれている地域もある中で、いかに人を集めるかということは今後これまで以上に課題となるかもしれません。 石川県能登町宇出津(うしつ)地区で、3年ぶりに開催された「あばれ祭」は、毎年7月第1金・土曜日に行われます(※2022年は第2金・土曜日に開催された)。こ

熱い祭りが帰ってきた。ラッパ音が響き渡る「おかえり祭り」

早朝、港町に響き渡るラッパ音。久しぶりに聞く高らかな音色は、強烈に僕の心に突き刺さりました。この瞬間をどれだけの人が待ち望んでいたことだろう。大好きな「おかえり祭り」がようやく帰ってきたようで、僕は感動せずにはいられませんでした。 美川おかえり祭りについて石川県白山市美川地区の「おかえり祭り」は、毎年5月第3土・日に開催される、藤塚神社の春季例祭。数年前には担い手不足などにより、祭りの存続さえも危ぶまれていたのですが、今回3年ぶりに開催されました。 名物の「ラッパ隊」と旗

能登に伝わる厄除け神事。400年の歴史がある「面様年頭」

新年を迎え、早3週間。しばらく雪の日が続いたので、少しずつ冬の寒さにも慣れてきました。暖冬でほとんど雪が降らなかった数年前と比べると、今シーズンは「冬らしい冬」を感じています。雪の日の写真はタイミングが合わず、まだ満足いくほど撮れていませんが、残りの雪シーズンも楽しめればと思います。 さて、2022年に入り、アマメハギ(石川県輪島市)と弥栄太鼓初打奉納(石川県能登町)の神事などを撮影してきましたが、今回は輪島市で1月14日と20日に開催された「面様年頭(めんさまねんとう)」

稲作を守る田の神様に感謝。奥能登に伝わる神事「あえのこと」

今年も残すところ約3週間。朝方に奥能登を車で移動していると、道路や家々の屋根に雪が残っている日がありました。今冬、北陸では例年よりも雪が多く降ると予想されています。雪かきなどは大変ですが、雪の日のスナップはとても楽しいので、来たる積雪を待ちたいと思います。 さて、今回は奥能登地域に伝わる「あえのこと」という神事の撮影に行ってきました。昨年同様に今年も数えるほどしか祭りの撮影は行えませんでしたが、あえのことは一年の締めくくりとしても有難い撮影機会です。開催されることを楽しみに

新年の厄除け神事「面様年頭」

年始の大寒波が過ぎ去り、道路の雪も一気に溶けてきました。一時は車で外出することも躊躇うほどでしたが、今は平常運転に戻ってきています。週末の天気予報にまた雪マークが出ていますが、今度はどれだけ降るのやら。 先週の「弥栄太鼓初打奉納」を撮ってから約1週間経ちました。今日は石川県輪島市の伝統神事「面様年頭(めんさまねんとう)」を撮影してきたので、今回も写真中心に紹介したいと思います。 面様年頭は、輪島市の輪島崎町(輪島崎神社)と河井町(重蔵神社)で行われます。2018年に「来訪

深夜、港町に鳴り響く「弥栄太鼓初打奉納」

2021年一発目のnoteです。気付けば「令和3年」ということで、月日の流れを感じます。このnoteでは、今年も写真日記を中心に日々の備忘録を書いていければと思いますので、よろしくお願いいたします。 さて、1月7日あたりから「数年に一度レベルの大寒波」が押し寄せて、北陸や新潟などの雪のニュースを見られた方も多いかと思います。石川県も地域によって差はありますが、僕の感覚ではここ数年では一番といって良いくらい本当にたくさん降りました(まだ降ってます)。今は家の周辺を雪かきするの

田の神様に感謝する「あえのこと神事」

今年は祭りのない夏でした。 一年に一度しかない祭りを撮影することは、僕にとって一年の成長を測る物差しとなっています。何をもって「成長」というかは、僕の場合「自己満足度」によるのですが、自分自身で「良い」と思える基準を高めていくことで、少しずつレベルアップを図ってきました。 コロナ禍によって、日常にあった祭りがどれだけ尊いものか痛感しました。僕はとにかくスナップ写真を撮り続けることで、次の撮影機会へ準備万端の状態にしていました(笑) そして迎えた「あえのこと」。今年の2月

フォトグラファーが祭りと向き合ってみる。

はじめて見た能登の祭りがあまりにも衝撃的でした。 僕は祭りを追いかけるために勤めていた会社をやめて、石川県・能登へ移住しました。はじめて見た能登のお祭りは『あばれ祭』。「お祭り半島」とも呼ばれている能登にあって、夏祭りの先陣をきって行われるキリコ祭りです。 「キリコ祭り」はあまり聞きなれないかもしれませんが、日本遺産にも認定されている祭りです。巨大な燈籠(キリコ)を担ぎ出し、威勢の良い掛け声や太鼓・鉦の音に合わせ、町内を練り歩きます。大松明の周囲を激しく乱舞する光景は、ま

祭りの写真だけで食べていけますか? part.1

よく聞かれる質問だ。 僕は独立して能登へ移住してから一旦収入がゼロになった。当時27歳、会社やめる前の手取りはぶっちゃけ17万円、貯金はほとんどなかった。今振り返ると「よく思い切ったな」と思う。 現在の話にもつながるので、僕がいつ祭りの写真を撮り始めたのか掘り下げて書いていきたい。 僕は東京の大学を卒業後、IT企業に就職した。ITといっても様々な業種があると思うが、僕はソフトウェア開発へ進んだ。小さい頃から「ものづくり」に対する興味が強かったことと、リーマンショックなど

祭りの写真だけで食べていけますか? part.2

「祭りの写真は安売りしない」 売れないフォトグラファーが何を言っているんだと思われるかもしれない。それでもこれは祭りを撮り始めた頃からずっと大切にしてきたことだ。 僕は2014年にフリーランスとなり、石川県・奥能登の片隅で広告事務所を立ち上げた。仕事内容としては撮影・デザイン・WEBなどになるのだが、今年(2018年)に「祭りの写真」で果たしてどれだけお金を稼ぐことができたのか確認してみた。すると石川県内の同世代(30〜34歳)男性の平均年収の4分の1程度だった。年間80

過疎化の能登で絶滅危惧種の祭り写真家の話

「地方創生」という言葉がある(あった)。 奥能登の田舎で生きている僕にとって、それは未来に希望がもてる言葉だった。しかし何年かたって、状況は変わっただろうか。おそらくお金は動いている。きっと国がどれだけお金をかけて施策したとしても、現地(田舎)で生きている人間が創生を実感することは、まだまだ先の話なのかなと思う。 以前、奥能登のとある宿泊施設の方と雑談していると「お客さんが来ない」ことを嘆いていた。どうやら僕が生まれる前に「能登ブーム」というものがあったようで、全国から能

あばれ祭中止に思うこと。

次々と祭りの中止が決まっていく。 新型コロナウイルス感染が拡大してしまっている現在は「不安」しかなく、当たり前のようにあった日常が戻ってくるのかもわからない。この状況で奮闘されている医療従事者の方々には、心から感謝の気持ちを伝えたい。本当に終息を願うばかりだ。 能登を代表する祭り 「あばれ祭」が中止に。 僕は今年の3月から、祭りや神事の撮影を自粛しているため、結局もっそう祭り(2月16日)を最後に撮ることはできていない。世の中の状況から少なくとも春から夏にかけて、祭りは

祭りと組写真について考える。

「写真で伝えるストーリー」 写真を撮る楽しさと、組み立てる楽しさ。祭りを撮ったあとは、どれだけ遅くに帰っても、朝がくるまでにチェックする。レタッチするのも好きだし、フォトセットを作るのも好き。 祭りにおいて、目の前にある出来事をどう捉え、どのように撮っていくか。表現というと言葉は大袈裟かもしれないけど、写真を組み立てていくことで「祭りのストーリー」が完成する。ストーリーを考えながら撮影することに加え、アウトプットする写真を組み立てるという一連の流れは、僕にとって祭り写真の