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郵便ポスト#6 <小説> 全12回(予定)

目安時間: 6 分


 1974年

 

 あの頃ワシは、ここから百メートルほど離れた、酒屋の入口にいた。今はコンビニエンスストアになっている所、あそこだ。今のように、改札を出入りする人を見るのではなく、単に酒屋の前を行き来する人々を見ていた。犬の散歩をする人。通り過ぎていく、蕎麦屋の出前のバイク。デコボコのアスファルトで大きく揺れながら走るタクシーや、路線バス。近所に住む人々が買い物する商店街は、それなりに活気があった。

 そういえばワシの中身である郵便物の集荷は、今のように一日四回ではなく、朝と夕方の一日二回じゃった。赤い車でやってくる集荷の担当の人も今とは別の人。汗臭いということも無かった。

 時代は、東京オリンピックによる高度経済成長から、10年が経ち、若干の落ち着きがでてきたかな。いや、オイルショックだ。まだまだ、忙しない世の中じゃった。

 プロ野球界では大きなニュースが重なる。九年連続日本一になっていたジャイアンツがV10を逃す。そして長年、ジャイアンツのチームの中心として活躍した「ミスタープロ野球」と呼ばれた男が引退。

 もう一つあるぞ。この年、日本一になったのがC市を本拠地としている今のCマリーンズだ。当時は、愛称はマリーンズではなくオリオンズと言っていたな。しかも本拠地としていたのは、今ではイーグルスが根付いている仙台。これも今となっては時代を感じる。

 この年に、新しく駅舎が建て替えられて、完成した。駅前の広場や、ロータリーが整備され全てが完成したのは、もう少し後、さらに数年後のことだったぞ。

 郵便ポストのワシは、新しい駅舎が完成するより前に、酒屋の入口から今の位置に移された。より多くの人の目に着きやすく、より人の通りが多いことから、利便性向上が目的だった。慣れ親しんだ酒屋から離れることに寂しさもあったが、再開発により、街全体が綺麗になっていく様は、なかなかの興味深いもので、毎日が新鮮な気分だった。

 完成した駅舎の足場やシートが外される。目新しいクリーム色の外壁が露わになる。新しい駅看板、時刻表、券売機。敷かれてまだ数人しか歩いていない床のタイル。駅の売店も綺麗になっていた。

 移ってきたばかりのワシでさえ、目の前の光景にワクワクした。高架になったことで踏切を渡らず、駅の構内を通り、東から西へ、西から東へと自由に行き来ができる。ワシはせめて気持ちだけでもと思い、背伸びをした。少しでも駅の反対側の西口を見るためだ。行ったことのない見たことのない西口。

 これまでも酒屋にいたときから、想像はしていた。噂だけは耳にすることはあったさ。やれ、どっちが栄えている、どっちが廃れている。こっちにはケーキ屋さんがある。そっちにはスーパーなんかないだろう。パチンコ屋はあるぞ。郵便局はこっちだ。といった決着のつかないやり取りは、酒屋の中から、聞きたくなくても聞こえてくるのだ。

 高架の線路の下に位置する駅の東と西をつなぐコンコース。当時のワシの位置からは、チラッとだけ西の様子を見通せたのだ。

 今では遮るようにカフェができてしまった。駅の構内のスペースをより大きなビジネスチャンスにしようと小さなお店が増えた。立ち食い蕎麦屋。男性サラリーマンをターゲットにした格安の床屋。

 カットが二千円だぞ。安すぎだ。オープンしてしばらくは、ワシも注目していたぞ。二千円でカットができるわけがない。カットを終えて出てくる男性サラリーマンを一人一人をチェックした。しかし、仕上がり具合は、それなりにちゃんとしていた。何も問題ない。本当に二千円らしい。

 ワシの最初の予想では、量だと思っていたんじゃ。つまり二千円分のカットが終われば、はい、そこで終了。きっと中途半端にカットされた、おもしろ男性サラリーマンが次から次へと、店から出てくると期待していたのだ。でもその予想はハズレた。

 まあ、それはさておき、そんな駅の構内にある小さなお店たちは、昔は全く無く、当時はもっと広々としていた。 酒屋から移ってきて一週間ぐらい経った頃だった。一週間、全く気付かなかったのだが、姿がチラッと見えたのが、最初だった。ワシは一週間、駅の西側に対する好奇心から、暇があれば、何か見えないかと背伸びをして覗き込んでいた、気持ちだけ。当時は、ワシも若かったから、頑張れば、ちょっとでも足が浮いて、西側の様子が見ることができると信じていた。しかし、現実は、コンクリートに足は固められている。

 西口の正面に本屋があるのは、この場所に移されて工事用の足場や柵、シートが片付けられて視界が見通せるようになってすぐに気がついた。

 目があったのだ。いや、目があったような気がした。ワシの正面。西口の本屋の前に、ワシを一回り細くしたような赤い郵便ポスト。スレンダーな彼女を見て、ワシは一瞬で、一目惚れをした。

 ずっとこっちを見ている。ような気がした。郵便物の集荷で担当の人が来た時も、中を開けられているときもワシは彼女の目が気になった。

 袋を取り出す。無事に取り出し、赤い車へと運ぶ。それを無事に運ばれる様子を確認するのも、ワシ『ら』の重要な仕事だ。そんな時でも、情けないことにチラチラと、見られていないか気にしてしまった。ずっと見てくれている、それを確認して安心する。

 逆も然りだ。背伸びして見ていると、向こうは向こうで、同じ担当の人が郵便物の集荷をする。

 その間、ワシはじっと見守る。赤いスレンダーな彼女を。頬を赤らめているようにも見えるし、自分の考えをしっかりと持った自立したタイプにも見える、そんな赤なのだ。同じ赤であるはずなのに、ワシは彼女の赤にも興味が湧いた。

 毎日毎日、背伸びをする。毎日毎日、お互いの仕事ぶりを見守る。

 しかし、それだけ。

 足を見れば、現実に戻る。コンクリートに固められて一歩も動けない自分が情けない。もしも生まれ変わることができたら、郵便ポストだけは避けたい。そう思うのだ。

 ある日、風の強い日だった。グッと力を入れていないと、バランスを崩しそうな強風が、朝から吹いていた。そんな日でも集荷担当の人が、赤い車に乗って、ワシの中身を持っていく。ワシは無事に運ばれることを、彼女の視線を気にしながら見守っていた。

 当時はもちろん電話は普及していたが、パソコンとかメールとかはない。今よりも取り扱う郵便物の量は断然多かった。時期や時間帯、日にもよるが、郵便物の量が一時的に増えることもある。また投函されたハガキや封書は、中に備え付けられた集荷するための袋に入るのだが、どういうわけか袋に入らずにはみ出ることがあった。

 担当の人がワシの扉を開ける。郵便物の入っている袋を引き出す。強い風が吹く。すると一枚のハガキが飛んだ。

 東口から西口に突き抜ける高架下の駅の構内を風によって流されていく。追いかける集荷の担当の人。ハガキは手が届きそうになると飛んでいく。追いかける集荷の担当の人。追い付く。手が届きそうになると飛んでいく。繰り返されいつの間にか集荷の担当の人は西口の彼女の前。彼女はずっとそんな一部始終を見ていた、そんな赤い表情に見える。そこで担当の人はハガキを回収する。

 ワシは見てしまった。集荷の担当の人が、飛ばされたハガキを手に取り、立ち止まる。そして目の前の赤い郵便ポストの彼女の頭を優しく軽いタッチで二回叩いた。

 ワシは見逃さなかった。赤くなる彼女が、ちょっと照れるような感じで集荷の担当の人に笑ったように見えた。

 夢はそこで覚めるのだ、いつも。

 夢だけでなく、いつも西口の彼女の郵便物の集荷の様子が気になって仕方がなかった。集荷の担当の人が彼女の扉を開けて、中身を持ち出し、赤い車へと運ぶ。ただそれだけ。仕事以外の何か、そんな特別の思惑なんて感じられないのだが、何かを勘ぐってしまう。人と郵便ポスト。全くありえないとわかっていながら、本当に彼女を信じていいのか疑心暗鬼になるのだ。

 ただし、ワシは一度も彼女とあいさつとか、会話をしたことがないのだ。ただ東口のこの場所から、西口の彼女のことを、できもしない背伸びをしながら見つめる。集荷の仕事をしながら、実際にはどうなのかわからないのに、彼女が自分を見ていると思いこんでいる。やりきれない気持ちが集荷の担当の人への疑いへとつながる。

 ワシだって、行動できるもんなら、行動したいさ。



<つづく>

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