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郵便ポスト#4 <小説> 全12回(予定)

目安: 9分


1994年



 年が明け、年賀状のピークが過ぎると、ワシの仕事も一段落し、通常の業務に戻る。その年、パチンコ屋の外壁に、大画面のモニターが取り付けられた。映し出されるのはパチンコ屋の自店の宣伝。 新機種の情報ばかりで、パチンコをやらないワシには全く興味がなかった。

 ただし時折、地元企業のCMやローカル番組が放送される。郵便物集荷のアイツが来ない暇な時間は、ずっとそのモニターをワシは見ていた。その中の一つの番組がC市を本拠地としたプロ野球Cマリーンズのミニ番組だった。万年Bクラス、観客も疎ら。営業を考えるとC市だけではなく近隣の市町村まで営業活動を広げなければならない。噂では、球場に少しでも多くの人に、足を運んでもらうために、相当な数の無料のチケットも配っているようだ。

 颯太少年は引き続き、月水金と夕方、ワシの前を通り、そのまま改札を抜け、電車に乗って出かける。そして夜二十一時五十分の電車に乗って帰ってくる。颯太少年の母親も、二十一時三十分には黒い軽自動車で駅のロータリーに現れ、ファーストフード店で、颯太少年のためにハンバーガーを購入する。そして颯太少年を迎え、走り去っていく。恐らく、颯太少年はパチンコ屋に、そんな大画面のモニターが設置されたことなんか、まだ気が付いていないかもしれない。

 何度か、積もらない程度の雪が降ると、季節は春に近づく。気がつくと、寒さに鋭さがなくなる。

 颯太少年の月水金の生活が変わる。月火木土と増えたのだ。普段、学校へ行っていることを考えると、休みが日曜のみ。しかし月に一回の日曜日はそのままじゃったから、週によっては、二週間ぐらい休みがないことになる。ロータリーにいるワシからすると、ほぼ毎日颯太少年を見かける。

 ワシは颯太少年が心配になった。父親は見かけなくなる、颯太少年が友達と歩いている所も見かけない。それに規則正しいパターンで一人で電車で出かけるだけで、それ以外の所へ出掛けている様子が見られない。ワシの見えないところで遊びにいっているのだろうか。母親とでさえ、どこかへ出かけている感じがないのだから。心配どころか、少し颯太少年がかわいそうになった。

 季節が、はっきりした春になる。ワシも、仕事がなければどこか公園でも行ってみたいと思う、そんな陽気。

 プロ野球が開幕する。パチンコ屋の大画面に、Cマリ―ンズのミニ番組が映し出される。「熱血マリーンズ応援宣言!」。これが番組名。若いリポーターの女性が監督にインタビューしている。今シーズンの豊富や、注目の選手など、ごくありがちな内容。しかし、時間が短いミニ番組でも、毎日、繰り返し放映されると少しずつ、興味のないチームでも、興味がわいてくるものである。

 ある日曜日。その日曜日の朝は、颯太少年は現れなかった。現れたのは十時ぐらいだった。青い横長のリュックではなく、普通の小学生がスポーツとかで使いそうな黒いリュックを背負い、一人でワシの前を通り過ぎた。

 帽子は見慣れない野球帽。黒い生地に白い糸でSと刺繍されていた。はてジャイアンツのものでもなく、Cマリーンズのものでもない。

 そして颯太少年は改札を通らずに立ち止まる。振り返り、遠くを見やる。キョロキョロ、誰かを探すような表情で、少しリズムをとるように揺れる。リュックを背負ったまま、肩を回し、小さくスローイングをするマネ。そしてゆれる。次に右に左にステップしながら、両手を組み右肩から左肩へ動かしバッティングのマネ。

 そこへ二人の大人を先頭に、十五人位の野球のユニフォームを着た少年達がやってきた。二人の大人のうちの一人が、改札の前に立つ颯太少年に、気づく。手招きをした。颯太少年は、機敏な動きで走り寄る。そして二人の大人の前で立ち止まり、帽子を取った。何か大きな声と共に深々とお辞儀をした。

 二人の大人は颯太少年の肩をさわり笑顔で話しかける。緊張した顔で、少し笑顔も見せながら、「ハイ」という表情になったのは、ワシの所からも見えた。颯太少年は一人、私服のまま、野球のユニホームを着た十五人位のチームの一番後ろに並んだ。見ると颯太少年が被っていた黒い生地で白い糸でSと刺繍された帽子は、このチームの帽子だとそこでわかった。

 同じ年代の少年に混ざると颯太少年は決して体の小さな少年ではなかった。むしろ大きい方でしっかりとした印象。体格だけ見ても、このチームではすぐに中心の選手になれるのではないかと思うぐらいだ。

 颯太少年が混ざると、野球のユニホームを着た少年たちは一斉に茶化した。ユニホームを指さし、明らかに、なんでお前、ユニホームじゃないんだよ、と言っているような雰囲気が伝わってきた。颯太少年は、負けずに何かを言い返していた。

 チームが盛り上がり、少し雰囲気が乱れたのか、先頭の大人の二人が少年たちを注意した。そして落ち着きが戻ると、みんなが改札を通り、駅のホームへと消えていった。

 颯太少年が野球のユニフォームを着た少年たちと出かけた。それがワシには凄くうれしかった。その時は、颯太少年がどこへ何をしに行ったのかは分からなかったが、ほんの数時間後、その答えはすぐにわかった。


 その日はCマリーンズの試合が十三時に始まった。この年から、パチンコ屋の外壁に設置された大画面モニターに、試合の様子が映し出される。ワシもロータリーにいながら野球が見られることになったのだ。野球中継を見られることは暇つぶしには本当に助かった。

 本当はジャイアンツの試合が見たかったのだが、仕方がない。隣のC市が本拠地だ。F市が応援することは同じ県として、とても大切なこと。

 1992年に本拠地としてやってきて今年が三年目。大画面に映し出される球場の観客の様子はまだまだ疎ら。しかし去年までよりは、比べものにならないぐらい席が埋まっていた。大画面に放映される、ミニ番組をはじめとした球団の営業努力の賜物だ。去年までは駅の周辺でCマリーンズの応援グッズを持って歩いている人なんか見ることは全くなかった。しかし、今年は試合がC市で行われる日は必ず一人や二人は、見られるようになったのだ。

 大画面から映し出される試合の様子、そして聞こえてくる応援などの球場の音。パチンコ屋の大画面のモニターの前で、足を止めて見上げる人。ベンチに腰掛け、じっと見る人。店の仕事をしながら、時折、試合経過を見るために顔を出す人。そして吐き捨てる。

 あっ、まあた負けている!

 ロータリーのベンチには、試合の様子が放映さえると必ず誰かが腰を下ろし画面を見ている。そんな様子をワシも試合を見ながら様子を窺う。試合も終盤八回の裏、一対六で敗戦が濃厚。

 ツーアウトでCマリーンズのピッチャーが左バッターに投げた初球だった。左バッターがカット気味に三塁方向へファウルを打った。画面が切り替わり、三塁側レフトよりの内野自由席へと打球が高く飛んでいく。

 そこには、球場全体だと空席がいっぱいあるにも関わらず、たくさんの招待された少年野球のちびっこが、それぞれのユニホームを着て観戦していた。飛んでくるボールを指さす少年。逃げる少年。少し離れたところで持ってきたグローブで捕ろうと追いかけようとする少年。打球はそんな野球少年たちの所へ落ちる。

 驚き逃げる少年達の中で、なんと素手でキャッチした少年がいた。顔を背けながら体が逃げながら両手を差し出し、スポッと手に包まれた。ホームチームの敗戦濃厚の球場が一気に大きな歓声に包まれた。カメラが寄る。大型画面のパチンコ屋のモニターにも、驚いだ満面の笑顔でガッツポーズする少年が、はっきりと映し出された。ユニホーム姿の野球少年に混じる、一人の私服の少年だった。
 

 夕方、颯太少年の母親が運転する黒い軽自動車がロータリーにやってきた。改札から出てきた颯太少年を迎える。少年野球チームの二人の大人に深々と頭を下げる母親。颯太少年が手に持つ、プロ野球の硬式ボールを目にし、颯太少年の母親は驚く。

 興奮気味でその時の様子を再現し、説明しようとする颯太少年。合わせるかのように興奮した様子で話をする二人の大人。母親は颯太少年の頭を抑え、改めて一緒に深々と頭を下げる。

落ち着いた表情に戻り、二人の大人の表情から「とんでもないですよ、いいんですよ、これぐらい。」という気持ちが伝わってくる。

 二人の大人は颯太少年の顔を見て、腕立て伏せとランニング、そして素振りのジェスチャーをした。颯太少年は大きく頷く。さらに二人の大人は、何かを書くジェスチャーも付け加えた。きっと「勉強もな」ということだろう。

 母親は「本当にそうなんですよ。」と言う顔に変わる。二人の大人は両手をグーにして

「がんばれよ。」と恐らく言った。頭を下げ「じゃあ。」と別れる。颯太少年はまだ興奮気味に硬式のボールを母親に見せる。黒い軽自動車に乗ってもやり取りは続いていた。

 こんな表情は、颯太少年が父親と母親と三人でジャイアンツ戦を観に行った時のこと以来、久しぶりの表情だった。ワシは無性に嬉しかった。



 次の日、颯太少年は、大阪の父親に送るために、ワシの所へハガキを持ってきた。Cマリーンズの球場が印刷された絵葉書だ。



 こんちは、父ちゃん元気ですか。

 昨日、シャークスの監督さんに誘われて、初めてCマリンズの試合を観に行きました。

 ジャイアンツ戦とも雰囲気がちがって面白かった。

 あとね、なんとそこでファールボール捕っちゃった。スゴイっしょ。



 でっかいボールのイラストが描かれていたぞ。

 ワシが知っている限り、颯太少年はその日と、もう一日だけ遊びに出掛けている。つまり二回だけだ。それ以外で出掛けたのは恐らく塾だけだろう。その年の夏の終わりに、颯太少年の父親を一度だけ見かけた。それが遊びに出掛けたもう一日。黒い軽自動車に乗り、塾用のカバンではなく、野球少年が使いそうな黒いリュックの方を背負い、車から降りてきた。若干、嬉しそうに、その日も改札へと向かった。

 母親の方を振り返ることはなかった。母親はいつもとは勝手の違う、少し不安そうな表情で颯太少年を見送った。

 そして夕方、颯太少年が改札から姿を現した。後ろからついて歩いて来る男性がいる。それが久々に見た颯太少年の父親。颯太少年は駅のロータリーを見渡す。母親の運転する黒い軽自動車を、探しているようだった。

 久々の家族三人が揃う。颯太少年もさぞかし嬉しいだろう。でも肝心の母親がまだ来ていない。うむ、普段、颯太少年の送り迎えでは決して遅れることがないのだが、珍しく来ていない。人を待たせるような母親ではないはずだが。

 颯太少年が父親に何かを確認する。そして向かったのが今ではほとんど見かけなくなった公衆電話。メールなんかもまだまだ普及していない。パソコンに詳しい一部のマニアがやり始めたかどうかの時代。携帯電話もまだまだ。1994年とはそんな年だ。最近のようで昔だ。

 おそらく家にいる母親に電話したのだろう、父親と駅に着いたことを知らせたのだ。公衆電話から父親の元へ戻る。話をする二人。

 父親は颯太少年の肩を優しく撫でた。そして父親は自分の肩を回して見せた。それを真似する颯太少年。腕立てのジェスチャー、素振りのジェスチャー。颯太少年は真似をする。

 軽いバッティングのジェスチャーが、やがて本気のバッティングフォームになる。バットも持たずに。右バッターの状態で左足を踏み込む。そこで一旦動きを止め、父親が「そうではない、こうだ。」と駅の改札の前で即席の打撃指導が始まった。

 幸せそうな顔をしていた。本当に嬉しそうに見えた。大阪にいる父親と久々に会って、野球の打撃を教えてもらっている。そりゃ、そうだろう。父親と息子の貴重な有意義な時間。誰にも邪魔はできん。ワシも目を細めるばかりだった。

 二人は誰にも邪魔されずに父と子の時間を過ごした。駅の改札の前で、身振り手振り交え、野球のバッティングフォームについて語り合った。息子が構えれば、父親が修正し構え直す。その父親のフォームを見て大きく頷く。二度三度やり取りを繰り返した。

 しかしそんな貴重な父と子の時間も必ず終わりがやってくる。終わりのきっかけがロータリーに現れたのだ。

 クラクションが鳴り颯太少年は、黒い軽自動車に乗って走ってくる母親を見た。「あ、来た。」という表情になり颯太少年は母親の元に駆け寄る。助手席のドア越しに運転席の母親を見ながら、右手だけ改札前の父親を指す。母親が笑顔もなく改札方向を見る。続けて颯太少年が改札の方を見た。

 父親の姿はもうそこにはない。貴重な父と子の時間がすでに終わっていた。

 しばらく父親がいたはずの改札とその周辺を見回していたが、颯太少年は、母親に促され、黒い軽自動車の助手席に乗る。走り出す車の中で、ずっと改札のあたりを見続けていた。

 その時の颯太少年の姿が、今でもワシは忘れられない。



<つづく>

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