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郵便ポスト#8 <小説> 全12回(予定)

目安時間: 7 分


 2001年

 この年の夏の甲子園も、C県の代表は荒川学園だった。甲子園で健闘するものの、ベスト8、準々決勝で敗退。ワシもパチンコ屋の大画面でずっと見ていたぞ。

 高校を卒業した亮一と加奈は、現役で大学に合格する。加奈は、この駅と同じ沿線にある、Nという駅が最寄りの、国立のC大学に通う。亮一も通うのは同じNという駅であったが、国立のC大学の隣にある中堅の私立大学だった。

 2001年も亮一と加奈は、夜な夜な駅のロータリーにいるワシの所へくる。一年前の夏の高校野球大会決勝で、涼一がいた市立F高校は惜しくも荒川学園に敗れた。甲子園に行ったらディズニーランドへ行ってもいいとデートの約束をしていたのだが、それでも亮一と加奈は、どういう訳か付き合い始めた。

 そして、一年経った今でも、ここへやってきて二人でワシを挟むように寄りかかり、様々な内容の話に、花を咲かせる。最後、家に帰るときの「チュ」もそのままに。

 恋は盲目っていうだろ、毎回、ワシが赤い顔で激昂しているなんてことは、二人にとっては気にすることではないらしい。

 そして夏のある日、二人のアルバイトの話になった。

「やっと来週で夏期講習が終わるよ。」

 加奈は、小・中学生を対象とした学習塾で、講師のアルバイトをやっている。授業の多くは、ひとクラス、五人から十人の高校受験を目指した中学生が中心らしい。

「夏期講習って、やっぱ忙しいの?」

 そう加奈に聞く涼一だったが、そんなことに興味があるようには、聞こえなかった。

「一日で授業四コマだよ。四コマまでって約束なのに、この間なんか無理矢理、五コマ連続で授業入れられたし。今日だけって言われて仕方がなくやったけれど、あれはキツかった。終わったらお腹ペコペコ。」

「休憩ないの?」

「授業と授業の間で十分ずつあるだけ。」

「何それ、十分って何も食べられないっしょ。」

「無理無理、トイレ行ってお茶飲んで、次の授業の準備したら、あっという間に終わる。その間に、塾長から突然、生徒への連絡事項、追加されたり、生徒は生徒で、この間のプリント無くしたから、ちょうだいとか言われると、もう、無理。逆に授業やっている時間の方が落ち着く。」

「倒れるって。」

「大体、最大で一日四コマのはずなんだけれど、その場合は空きの時間帯でコンビニとか行けるんだよね。誰か講師が一人体調崩して、その代講を頼まれると、もうアウト。一応、ちょっとしたチョコレートみたいなお菓子は用意されているけれど、最後の方なんてそんなの何の足しにもならないよ。」

「そりゃ、キツイな。やめちゃえばいいじゃん。たかがバイトなんだし。」

「あのね。たかがバイトって言わないでよ。一応、これでも教職目指しているんだからさ。全く関係ないわけではないの。」

 ほう、先生だと。夢があることはいいことじゃ。ワシは大いに感心した。

「で、リョウちゃんはどうなの。相変わらず野球を観ているだけでお金貰えるんでしょ。」

「お前、バカにしているだろ。ただプロ野球観ているだけじゃなんだよ。こっちは。試合の三時間前に球場入りして、掃除とかしっかり準備して、お客さんを迎え入れる。試合が終わったら、今度はすぐに帰られるわけではないの。やっぱりお客さんが、スタンドにそのまま捨てていくゴミを集めて掃除しなければいけない。試合がちょっと長引けばあっという間に、終電、マジ大変。」

「Cマリーンズなんて、球場はいつ見てもガラガラじゃん。お客、少ないんだから掃除なんかすぐに終わるでしょ。試合中だって……。」

 亮一のアルバイトのこのくだりは、もう何回も聞いておる。そんな楽しい、野球好きには堪らない仕事があるのかと、最初聞いた時は心の底から、おったまげた。

 さらに涼一が言い返すのだ。

「試合中も大変なの。ボールの行方から、一時も目を離せないんだから。これ結構、集中力いるよ。お前には絶対、無理だね。」

「滅多に飛んで来ないって言ってなかったっけ。」

「あっ、まあ、確かに担当が二階スタンドの端だから、外国人選手ぐらいじゃないと打球が飛んで来ないんだけれどね。でもな、絶対に飛んで来ないとも言い切れないから逆に、目が離せないんだぞ。」

 うむ、何回もこの話を聞いているからワシが補足しようかね。つまり、亮一は、プロ野球のCマリーンズの球場でアルバイトをしているのだ。まったく、どんだけ野球が好きなのか。首を傾げるくらいじゃ。球場で何をするのが仕事かというと、メインは、試合中、バッターが打ったボールが、スタンドに入る。よくあることだ。中継を見ていてもボールがスタンドに飛び込むと、ピイーと笛の音が聞こえる。亮一の仕事がその笛を吹くこと。笛を吹いてボールが飛んでくることを、観客に知らせるのじゃ。だから仕事として試合中、ボールから目が離せない。試合を見なければ仕事ができないの。そういうことだ。

 亮一は進学する大学が決まると、オープン戦の始まらない時期にもう履歴書を送っていた。恐らく子供の頃から、このスタジアムでアルバイトをすることを考えていたんだろう。

 亮一が今でも野球が好きなのは、この郵便ポストのワシでも知っている。それに選手としてプレーするまでの情熱はなくなってしまったことも知っている。甲子園出場をかけた県大会決勝でホームランを打つなど目立った活躍もあったが、三年の春までベンチだった。夏の大会が始まる前にレギュラーだった二年生が怪我をする。そのおかげで、どうにかレギュラーの座が転がり込んできた。一応、県大会とはいえ、決勝まで進んで、ホームランを打ったことが評価されて、大学や社会人のチームから、誘いがあったことはあったようだ。

 しかし亮一は気がついていた。自分に、そこまで上のレベルで、野球ができるほどの能力がないことを。

 少年野球で同じチームで野球をやっていた仲間が一年生からレギュラーだったり、荒川学園に進学して甲子園に出場した奴がいる一方で、自分は二年生の控え外野手。ホームランを打ったと言っても、届かなかったあのプレーがある。決勝で飛んできた浅いセンターフライ。飛びつくもあと一歩。バックスクリーンの方へ転がっていくボール。記録はエラーではないが、あのゆっくりとしたコマ送りで繰り返し再生されるシーンは、亮一にとって野球生活を終えるのに、もう十分だった。

 ワシ、亮一のこと、よう知っているだろ。これ、亮一と加奈のここでの話を、ずっと盗み聴きしていたからなのだ。

 加奈が亮一に聞いていたことがある。

「もう野球やらないの?」

「もういいでしょ。」

「野球が好きなのに?」

「本当は、大学出たら球場で働きたいと思っていた。けれど今、球場でバイトしてわかったんだけれど、逆に未練がましく思っている自分がいるんだよ。で、どこかで切り替えなきゃいけないと思うようになってさ。だから、大学四年間はここで、しっかりとアルバイトをすることにして、その後は、全く別の道へ進もうかと思っている。」

 そして、変な間が空いた。恐らく加奈とワシは同じことを思ったのだろう。

 あ、切り替えるのは今じゃないんだ。

「それとさ、去年まではプロ野球って自分より年上の人がやっていて、なんかさあ、夢の世界だった。まあ今でも夢の世界ではあるんだけれど、今年は、もう自分と同い年の奴が高卒で試合に出ている奴もいると思うとなんか複雑な気分。すげえというか羨ましいというかなんというか。」

 ワシはなるほどね、と思った。大人になる時そういうことに触れることがあるものだ。 
 いくら理想を抱いても受け入れなければいけないことがある。現実が目の前に壁となって現れる。どうするか。乗り越える。一度退く。別の道を探す。いずれにしろ、その先にあるものは同じかもしれない。それとも全く違うかもしれない。それは誰にも分からない。無事に目的地にたどり着くことができるのか。その前に、目的地はちゃんとあるのか。あったとしてもどんなところなのか。みんな、そんなことを思案しながら、前に進むのだ。行き先を求めて。

 言っておくが、郵便物はそんなことはないぞ。郵便番号と宛先を、しっかりと書いていただければ、責任もって、きちんとお届けします。

 加奈が聞いた。

「そういえば、リョウちゃんと少年野球で同じチームだった人、プロ行ったんでしょ。試合出てんの。」

「まだ。ずっと二軍だね。でも、あいつはあの頃から、体もデカくて一人別格。きっとそのうち出てくるんじゃない。なんてたって春と夏合わせて甲子園三回も行っているし、うちとの決勝じゃ、ホームラン二本打たれたし。それに高校生になって、すぐにプロに注目されていたからね。」

「なんかさ、去年の決勝、懐かしいね。あの時、ひょっとしたら本当に甲子園行けるんじゃないかと思ったもん……。」

「俺も……。」

「……。」

「……チュ。」

 あのね。だからなんで。なんでこの流れで「チュ」なの。ねえねえ。

 まあ、いいか。

 そして、ワシはその夜、また夢を見た。


<つづく>

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