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郵便ポスト#最終回 <小説> 全12回

目安時間: 9 分

 
2019年

 2005年に、あの万年BクラスだったCマリーンズが日本一となった。その後、2010年にも再び日本一になるが、その後はまた弱いCマリーンズに逆戻り。優勝に貢献した主力選手が、次々とFAで他球団へ移籍してしまう。

 ここF市出身の山村颯太も、大きな怪我が重なる。何度か復帰するも、以前のような調子には、もう戻らなかった。若手の台頭もあり、2016年に三十四歳という若さで引退。プロの世界は厳しい。

 

 応援グッズを使わない手拍子と声で独特の雰囲気を作るCマリーンズの応援スタイルは、今では、普通に他の球団でも参考にされている。お揃いのユニフォームを着て応援することも、今では、もう当たり前。成績も振るわない。応援も真新しさもなくなると、次第に観客の数も、C市に本拠地を移してきたころとさほど変わらなくなってしまった

 

 そして、世の中も変わっていく。オフィスビルが立ち並び、この駅から通勤する人だけではなく、この駅を目的地として通勤してくる人の姿も目立つようになる。ワシは四十年という時間を感じる。夜が明ける。

 時折、2005年のパブリックビューイング、あの光景を思い出す。そして我に返る。目の前の光景を見るのだ。日常は繰り返されていく。

 そんなある日。朝のラッシュが終わり、駅周辺も落ち着き始めた時間帯。二台の白い乗用車がロータリーに入ってきた。そして前後に並んで止まった。前の車からは作業着姿の二人の男性。後ろの車からは紺のスーツ姿の二人の男性。

 全部で四人が集まり話し込む。作業着の一人が手に持つ図面を中心に改札や駅前広場、様々なポイントを指差す。

 

 何かの工事がまた始まるのかもしれん。図面を指差し、ワシを見る。ワシを見て改札を指差す。交番を見てワシを見る。駅の反対側の西側の話をしているのか若干、西側の上の方を差し、「向こう側」というニュアンスが感じられた。 

 さらに西側を差す手を、東の方へ仰ぐ。まあジェスチャーを解釈するに「向こう側からこちらへ」という感じだろう。

じっくりと話し込む感じで、図面の内容をチェックする。図面を持たないもう一人の作業着がこっちへ歩いてきた。他の三人がワンテンポ遅れて歩いてくる。ワシの前で止まる。スーツ姿の二人の男性と作業着姿の二人の男性にワシは囲まれた。図面を持たない作業着の男性がメジャーを取り出し、ワシの足元から距離を測る。チョークで地面に印を付けた。

 スーツ姿の二人の男性はそんな作業を腕を組み、見つめる。時折、駅を利用する人の流れを確認するかのように、またいろんな所を指を差す。三十三階建てのビルを見上げたかと思うと、今度はパチンコ屋を指差し、右手を出して、拳を少し捻る。もう一人が首を振り、スロットのボタンを押すジェスチャーをした。そして二人で大笑いをする。ワシにはどうしてもその光景が呑気過ぎて。腹正しかった。

 作業着の男性が、ワシの写真を撮る。もう一人がチョークで印を付けた地面を指差す。その状態でもう一度写真を撮る。他にも駅の改札、ロータリー全体、駅前広場といろいろな所から写真を撮っていた。

 もう、ワシを中心に写真を撮っていることは、明らかだった。

 この場所に来て四十年。もちろん、そろそろだろうなとは、覚悟はしていたさ。それが現実のこととして、起ころうとしている。

 駅舎が建て替えられ、線路が高架になる。駅前にロータリーが出来て広場が整備される。違法駐輪の問題は相変わらずでも、店の数、種類が増え、街並みがきれいになる。三十三階建てのビルなんてもうSFの世界の話だと思っていた。

 年賀状やクリスマスカードをワシに投函した野球少年はプロ野球選手に成った。ワシを挟んで寄りかかり、夜な夜なデートを繰り返した若者二人は、結婚して子供が出来た。単なる郵便物の集荷の仕事をしていた若者は、なんと今の仕事を辞めて、今度の市長選に立候補するらしい。最近では、仕事前の朝の時間帯にワシの隣に来て、幟を立て、この駅を利用する人に深々と頭を下げ挨拶をしている。本格的に決心したようだ。そんな姿勢がおじいちゃんと一緒だ。おじいちゃんから孫だぞ。若さをアピールしてな。感慨深い。

 そしてワシだ。ワシの横のチョークの印は、ワシの引退の印。形あるものいつか壊れる。

 そうそう四十年といえば、大学を卒業した新入社員は、定年を迎える頃だ。きっとワシも定年退職ということなんだろう。

 まだワシの横にどんな若者が来るのかはわからない。どのくらいの引き継ぎ期間があるのかもわからない。

 ワシに何がどれだけできるのかはわからないが、ワシの知っている限りのことを伝えよう。仕事だけではない。この街のこと、そしてこの街で生活している人たちのこと。

 パソコン、インターネット、メール、スマホ、SNS。それらが普及して郵便物 の傾向は確かに変わった。でもワシのいるここに限って言うと、人口も増え、オフィスも増えたことで、むしろ四十年前よりも、郵便物の量は今の方が多いかもしれない。

 そうだな。もしかしたらワシよりも体格のデカイ若者が来るかもしれないな。何てことを考える。

 ワシも道を後進に譲らなければいけない。移動することは悲しいことではない。寂しくなんかない。四十年前だって酒屋から駅前のこの場所に移ってきたではないか。始めてのことではない。 

 ちょっと体に茶色い錆や汚れが目立つようになっているかもしれない。ちょっと体の塗料が剥がれている部分もあるかもしれない。でも、それは長年、一つの道を進んできたという証だ。寂しくない。寂しくなんかない。

 ワシはこのあと、どうなるんじゃ。取り外された赤い郵便ポスト。汚れているとは言ってもまだまだ元気。どこか別の場所で働かせてもらえないだろうか。野球場の近くがいいかもしれんな。Cマリーンズでもジャイアンツでもいい。一度でいいから、実際の歓声を、生で聞いてみかった。

 Oh~♪ ソウタ~♪ ソウタ~♪

 俺たちと~ 共に~ Oh~ ソウタあ~♪

 オーッ、ソ~ウタッ!  ってな。

 その日からワシは仕事に集中できなかった。集荷の時間はさすがに気が紛れたが、それ以外の時間は、余計なことを、つい考えてしまう。 

 スクラップって痛いんだろうか。痛いとか感覚あるのか。形が変わっても意識はあるのか。今、自分が感じている意識。どうなってしまうんだろう。恐いかと言われれば恐い。

 もしも生まれ変わることができたら、なんて考えても無駄なことは、ワシだって分かっているさ。

 そして日にちの感覚がなくなった。一週間ぐらい経っただろうか。終電が行った後の夜中だった。駅前広場、ロータリーには人も車もない。白いワゴンとクレーンを備えたトラックがやってきた。トラックの荷台にモスグリーンのシートに包まれた大きな四角いもの。赤いのがチラッと見えたんじゃ。こいつだ。どんなやつだろうか。いいやつだといいな。まあ、どうでもいいか。赤い郵便ポストなんて、みんな一緒。

 まさか夜中にやるとは思っていなかったが、よく考えれば、そりゃそうだ。昼間だと作業している間も郵便物を投函しようとする人はいるわけで、利用者に危険といったご迷惑をおかけしてしまう。

 突然、やってきた死刑執行。何も悪いことしていないのに。定年退職じゃ。花束ぐらいよこせ。

 ワゴンから三人の作業員が降りてくる。それとトラックに一人だから全部で四人。図面を見てワシの足元から距離を測る。白いチョークで改めて地面に印をつける。そして別の作業員がドリルで地面に穴を掘る。アスファルトの下の土が出てくれば、さらに穴を掘り下げる。木枠で囲う。そこにワシの後任を設置するんじゃ。

 白いワゴン車に乗ってきた作業員の一人がモスグリーンのシートに包まれた四角いものにクレーンを引っ掛けた。クレーンを操るトラックの運転手に、合図を送る。ゆっくりとクレーンのワイヤーが張る。クレーンが上に動くとモスグリーンの四角いものが少しだけ浮き上がる。

 一人の作業員がクレーンを操る男に合図を送るとクレーンが一度止まる。別の作業員が荷台に乗り、クレーンが四角いものにしっかりとかかっているかを確認した。そして合図を送ると再びクレーンが動き始める。そのクレーンが動く機械音、やけにはっきりとワシに聞えてくる。

 昼間の重機の音は、他にも様々な音に紛れる。人の声、車のエンジン音、スーパーやパチンコ屋の音楽や呼び込みの声。ホームに入る電車の音。この駅を颯爽と通過する特急電車の音。しかし、夜中の作業で今聞こえてくるのはクレーンのエンジン音と作業員のやり取りの声だけ。

 さらにクレーンが上がると四角いものは縦に起き上がった。その状態で再び作業員が、クレーンがしっかりとかかっているかを確認した。モスグリーンのシートで覆われた四角いものがゆっくりと釣り上げられる。

 四角いもの自体の重さで、あまり揺れることなく浮かぶ。クレーンがターンした。そしてゆっくりとワシの方を向く。ゆっくりとゆっくりと、四角いものが降ろされてくる。作業員は右手を上げ、手首で仰ぐ。その仰ぐ右手が指令となり、位置を微調整しながらさらにゆっくりとゆっくりと、ワシの横へと近づいてくる。

 ワシはゆっくりと近づいてくる後任の郵便ポストの足を見た。少し細く頼りなく見えたが、暗い夜中だからと思い、あまり気にしなかった。

 そしてワシの横に掘られた穴に足が収まった。郵便ポスト自体の重さで、ある程度は、どっしりと安定はするが、作業員は郵便ポストの上を抑え、グラグラと動かないことを確認した。合図をすると手が空いている作業員が、スコップを手にして、掘り出された土を、郵便ポストの足元へ戻す。そして踏み固める。さらにコンクリートを流し込み、しっかりと固定する。

 気がつくと東の方が少し明るくなっていたかもしれない。最期の夜明けか。作業員が、流し込んだばかりのコンクリートを木で覆う。

 そして、モスグリーンのシートを取り除いた。

 しかし、その瞬間、ワシには目の前の光景が、すぐに理解できなかった。
 
 

 おったまげたぞ。おったまげたんじゃ。

 

 ワシに口があったら塞がらないほど。ワシの足が固定されていなかったら、卒倒したかもしれん。おそらく四十年ぶり。あのワシよりもひと回り細くしたスレンダーな彼女が横にいる。状況が飲み込めず呆然としていると作業員のうちの一人がワシの頭をポンと叩いた。

 

「今日から二人体制だってよ。」

 

 な、なんと。ふ、二人体制。西口の彼女が東口のワシの隣に来た。そして、二人体制。ワシはてっきり引退だと。てっきりスクラップだと。思いこんでいた。どうりで花束が無かったわけじゃ。

 ワシがいるこの東口から、駅の構内が見通せた。西口の前に本屋があるのが見えた。それがもう四十年前。その本屋の前にいた彼女。毎日見ておった。しかし、駅の構内の一画に喫茶店ができた。それから彼女の姿が見えなくなる。で、でだよ。それなのにその彼女が、今、ワシの横にいらっしゃる。

 

 もうデレッデレよ。

 

 彼女の澄ました横顔が、ワシのようなおっさんには、本当にもうたまらんかった。変わらん、本当に変わっていない。四十年前と変わらないこの赤。この彼女の赤に惹きつけられて魅せられた。ワシは自分が少し熱くなっていることに気が付いた。

 おそらく朝陽のせいじゃ。この朝陽は、四十年間で一番強烈じゃった。そのせいで、ワシは相当に顔が赤かったかもしれない。いつも以上に。でも、それは朝陽のせいじゃ。

 もちろん、せっかくのチャンスだから、とりあえず話しかけることにした。ふうっ、と軽く深呼吸をして、今までと何も変わらない、目の前にある駅の改札を見ながら言ってみたんじゃ。

 

 東口へようこそ。

 

 ってな。



<了>


☆JR総武線 ある駅前ロータリーにて



※この物語はフィクションです。物語に出てくる地名・人物・団体などの名称、また出来事は、実在する地名・人物・団体、また実際の出来事などとは一切関係ありません。



 














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