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郵便ポスト#10 <小説> 全12回(予定)

目安時間: 11 分


   1990年

 まだCマリーンズが、C市を本拠地としていなかった頃だ。

 亮一と加奈のことは、、話をしたのだが、そうするとな、この男のことも、話をしておかなければいけないと思ってな。

 亮一と加奈が、夜な夜なやってきて二人でワシに寄りかかり、二人で話をする。ワシは、自分の頭の上で繰り広げられる二人の会話を盗み聴きする。いや違う。盗み聴きではない、聞こえてきてしまうから、聴いているだけだ。

 実は、その亮一と加奈とは別に、他にも深夜の時間帯に、ワシの所へ来た奴がいた。

 日中の九時三十分、十二時、十四時三十分、十六時三十分、と一日四回、郵便物の集荷のために、赤い車がやって来る。そしてワシの後ろに停まるのだ。いつも職員は一人。ワシがこの駅の改札を正面としたロータリーにやってきてから、ずっと同じ人が毎日、同じ時間にやってきて郵便物を持っていく。

 ほれ、風でハガキが飛ばされて西口まで追っかけた話をしたろ。西口のスレンダーの彼女の所まで行った、というちょっと、彼女に馴れ馴れしい、ワシにとっては、ちょっと嫌な奴という印象のあいつじゃ。
 
 あ、いや……。

 ある日、その嫌な印象のそいつが、赤い車を運転して、いつも通りやってきた。でも、もう一人若い職員を連れてきていた。話の内容から、新人らしい。

 この場所は、ロータリーで、空いている時は作業が楽だけれど、バスとかタクシーが多いから、場合によっては、あまり長い時間を掛けて作業はできない。でも駅を利用する人も多いから、郵便物を投函する利用者は多い。といったことを、その嫌な奴が、若い奴に教えている。

 若い奴は若い奴で、社会に出たばかりという感じで、いかにも説明を聞いているその態度が若かった。

「はいっ、はいっ。」と言いつつ、姿勢は若干、前肩。首と顔も少し前に出て、全体的に猫背というか前傾。

 口をとんがらせた感じで「はいっ、はいっ。」と繰り返す。

 ワシの中から、郵便物を取り出し、赤い車に乗せる。そしてワシにとって嫌な印象の奴が運転席に乗る。口をとんがらせた若い奴が助手席に乗り込もうとする。しかし、すぐに若い奴がワシのところへ戻る。

 ワシの腹が全開だった。扉が閉まっていなかったのだ。若い奴に続いて、ワシにとって嫌な奴が降りてきた。そして若い奴の頭を、パコーンと叩いた。パコーンとな。頭を押さえる若い奴。

 そして一通り注意を受けると、反省した素振りで頭をさげる。素振りね、心の底から反省しているようには見えない。全然そんなんじゃないの。二人は車へ戻る。

 

 ・・・・・・。

 

 見たか。車道に出る柵を跨ごうとして躓きよった。顔面打ったぞ。

 あちゃー、大丈夫か。

 何事もなかったかのように髪を掻き上げる若い奴。不自然にさり気なさを装うから、余計に鈍臭く思える。それが、今の集荷担当との初めての出会いだった。汗臭いといっている今のあいつだ。

 一応、言っておくが、亮一と加奈はこの頃はまだ、ここへは来ていなかったぞ。亮一と加奈が高校生になる、もっと前のことだ。

郵便物の集荷の担当が、若い奴に替わって、しばらくしたある日の夜、終電が行った後の時間のことだ。一人の男が、ワシの所へ向かって来た。

 怪しかったぞ。足取りが覚束ないというか、ヒョコヒョコとした歩き方。そりゃ、そんな深夜でも郵便物を投函しにくる奴は、ごく稀にいることはいる。普通に歩いて来てくれりゃ、深夜でもそんなに恐いと思うことはない。でもな、覚束ない足取りでゆっくりと確実に歩いてくる。ネコ背で、首が前に出て前肩。その姿勢に見覚えがった。それに気がつくとワシは怖くもなんともなくなった。郵便物集荷担当の若い奴だったのだ。ワシの目の前で立ち止まる。夜でも顔が赤いのがわかった。ワシの赤い体が反射しているのかとも思ったが、そうではない。

「は、はじめまして、わ、わたくしは、こ、この春から、こちらを担当することになりました、な、中村と申します!」

 ワシは、酔っ払いと犬が嫌いじゃ。細かい描写は、イメージに合わないので割愛させて頂くが、奴らは、人の足元で好き勝手に、シーシー、ゲロゲロと攻撃してくる。ワシは便所ではないので、どうぞよろしく。で、酔っ払いの中村君、用件はなにかな。

「わ、わたくしは、今日は職場の先輩である貴方様と、お酒を飲みたいと思いお誘いしに参りました!」

 へっ、それってワシのことかい。ていうかあんた、すでに飲んでいるでしょ。中村君の顔が一瞬だけ真顔になる。でも、あっという間にくずれる。

「あのさあ、俺が挨拶してんだからなんか返してよお〜。いくら先輩でも冷たいっすよ。それとさあ、一日中、こんな駅前で立たされてさあ、しかも毎日っしょ。寂しくないの?楽しいの?何が楽しいの?楽しくないっしょ。楽しいわけないよねえ。一日中、郵便物集めで車で動いている俺がつまんないんだもん。なあ。」

 こいつワシに絡んどるよな。赤い郵便ポストのワシにだよ。だから酔っ払いは嫌いなの。

「あのさあ、なんか言えよ。ああ、先輩、ひょっとしてよっぱらってんすか。顔赤いっす。酒弱いんすね。」

 いや、だからワシは飲んでないって。中村君だったよね。中村君が飲み過ぎだから。早く家へ帰りなさい。

 というか早くどっか行けよ。

「先輩さ、どうせ、この後、用事ないんでしょ。もうひょっとつきあってくだへえよ。」

 もうひょっとって、君ね。あ、いや、だから君のことは覚えたから。いや、むしろ知っていたし。名前は知らなかったけれど、今、覚えた。中村君でしょ。新しい郵便物集荷の担当の中村君。うん、覚えた。だから、鬱陶しいから、今日は帰ってええええええ。

「よし、俺、酒買ってきます。先輩も飲みますよね。俺、奢っちゃいます。」

ええええ、いいよ。何が、よし、だよ。ワシはただの郵便ポスト。お酒なんか無理!

「ちょっと、コンビニ行ってきます。まだ寝ないでくださいよ。絶対に、寝ないでくださいよ。」

 行っちゃったよ。マイッタ。どうすんべえ。神様、どうか歩かせてください。どうかワシに喋らせてください。どうかあのKOBANの人を、ここへ連れてきてください。そして、中村君をKOBANへ連れて行ってください。それで、名前、住所、電話番号、年齢、職業を聞いてもらって、ワシに替わって保護しちゃってください。もう二度と先輩とは言わせないんだから。ふん。

 中村君がコンビニへ行っている間、いつもの深夜の静かな空気を、少しだけ感じることができた。

 奴......、ワシのこと先輩って言っていたな。先輩って言われちゃったよ。そうか先輩か……。先輩と、言われたの初めてだよな。一応、同僚ということだもんな。ひょっとしてあいつ、ワシを物として見ていないのか。もちろん人としても見ていないだろうけれど。面白い奴だよな、変だけれど。

「か、買ってきましたよ。先輩。」

 そこには、コンビニの袋を両手に持って、立っている中村君がいた。

 って、なんで両手なの。赤い郵便ポストのワシを相手にお酒を飲むにしては、そんなに買う必要ないだろう。言ってしまうと中村君、キミ、一人の分があればいいでしょ。何を考えているの。

 中村君はワシのすぐ前に座りんで胡座をかいた。何も敷かずに地面の上に直に。

「いろいろ買ってきましたよ。先輩何を飲みますか?ビール、チューハイ。カップ酒でよければ日本酒もありますよ。僕はチューハイいただきます。さ、遠慮しないでどうぞ。」

 遠慮しないでとか言いますけれど、ワシはただの赤い郵便ポストなの。どうぞお構いなく。

「僕が決めていいですか。ビール開けちゃいますね。」

 うわ、待て待て。開けちゃだめ、開けちゃ、あ、開けちゃったの。って、お前が飲むんかい。そのまま、ビールお前が飲むなよ。さっき僕はチューハイいただきます、て言っていたでしょう。で、そのままビールをワシの頭に置かないでよ。な、何で置くの?

 たまにいるんだよね。ごみ箱がないからって、ワシの頭の上にペットボトルを置き忘れたかのように見せかけながら、捨てていく人。それを片付けるのが、中村、お前だろ。なんでお前がワシの上に缶ビール置くの。

 あれっ、結局、チューハイも開けているし。ワシは、君が口を付けたビールかい。まあいいけれどね。あ、胡坐かくのね。ワシの目の前で。真顔かい。

「先輩、この仕事、何年やってんすか。相当なベテランすよね。錆とか汚れ、うすくなったペンキ。地味にカッコいいっす。マジで。オレ、なんか楽そうだからという理由でこの仕事始めたんすけれど、結構つらいっす。毎日、何かしら怒られて、まあ、なかなか覚えられない俺が悪いんですけれど、そこ、そんなにしつこく注意しなくてもいいじゃん。とか、そんなに、きっちりやらなければいけないんすかとか、内心では思っちゃって。オレ、先輩だから言っちゃいますけれど、本当は、違う仕事がしたかったんすよ。」

 あれか、夢がかなわず、途方に暮れて安易に選んだ仕事が、この郵便物集荷の仕事だと。お前が何と言おうと、内心でなんと思っていおうと、楽そうに見えるかもしれないけれど、ワシにとってこの仕事は誇りなの。

 誰が何と言おうとな。

「先輩、なんか言ってくださいよ。ビール飲んでくださいよ。オレの驕りっすよ。飲んでください。全然、飲んでないっすよね。飲んでないのになんでそんなに顔赤いんすか。」

 もう顔が赤いことはほっといて。

「先輩、えらいっすよ。文句ひとつ言わずにずっとここのポジションで毎日、寒くても暑くても、晴れても雨や雪でも、ここでじっと自分の仕事をしている。かっこいいっす。」

 だから、ワシはただの赤い郵便ポスト。

「じいちゃん……、俺のじいちゃん、昔、F市の市長だったんです。知っていますか。中村義男。もう死んじゃいましたけれど。」

 中村義男……。君は、あの中村義男の孫か。知っているぞ。この駅前広場で何度も選挙カーに乗って演説をしていたぞ。それに朝のラッシュ時だって、時間を見つけてワシの隣に立ち、この駅から出かけていく人たちに深々と頭を下げて挨拶をしていた。

 時には笑顔で「頑張ってください」と声を掛けられたり、時には市政に関して文句を言われる。それを頷きながら黙って、意見として聞こうとしていた。

 ワシは朝から市長って大変だなと思っていたんじゃ。他にも政治家が駅前で挨拶をしている人を見かけることはあっても、大抵の人は選挙期間中だけ。選挙が終わってしまえばもう来ない。だからすぐに忘れてしまう。

 でも中村義男は、当選して、選挙に関係ない時期でも、ワシの隣で市民に挨拶をしていた。だから、はっきりと覚えている。

 そうだ、そうだ。中村義男も朝、ここへ来てまず、やることがあった。それが買ってきた缶コーヒーを開ける。飲む。置く。ワシの頭の上にじゃ。挨拶をしている間中も、ワシの頭の上に置いたまんま。たまに。そのまま忘れていくから、時には困った存在でもあったんだよね。だから余計に覚えている。君、あの中村義男の孫かい。

「じいちゃんが市長ということで、学校で揶揄われもされた。

『よ、市長の孫!』

『中村市長、市民が困っています』とか言われながら、ランドセル持たされたりしてさあ。」

 いじめか?

「言っておきますけれど、いじめではないっすよ。俺も結構、楽しかったんで。給食にハンバーガ食べたいと要望があれば、じいちゃんに頼みに行ったり。溝に百円落としたと言われれば、市長の孫として溝で泥まみれになって探してあげる。駅前の自転車が邪魔だと言われれば、交番にランドセル背負ったまんま、代表して一人で文句を言いに行ったりして楽しんでいた。」

 だから、それいいように遣われているだけでしょ。

「市長の孫、と言われて気分良かった。なんか人に頼られているって感じがして。」

 まあ、本人がそう思えば、別にいいんだけれどね。公僕って言うしね。

「小六の時、じいちゃんが突然、死んじゃった。心不全で。本当、突然だった。憧れていたじいちゃんがいなくなってさ、周りの友だちも、おれがじいちゃんに憧れているの知っていたから。辛そうにしている俺にじいちゃんの話を全くしてこなくなった。それと市長の孫とか、よ、中村市長!とか言ってくることもなくなった。
 最初は、みんなが俺に、気を使ってくれているんだろうなとか思っていたんだけれど、選挙があって、次の新しい市長が決まると、もう市長の孫ではなくなって、ただの中村になっていて。それまで市長の孫と言っていた奴も俺と遊ばなくなって、困っているからと何かを頼みに来る人もいなくなった。
 俺、最初は本当に気がついていなかったんだ。市長の孫だからというだけでみんなに、いじられていたことに。元々、自分から何かをするタイプではなかったから、気が付いたら一人ぼっち。ただの中村。誰とも、関わらなくなっていた。でも、それでも、人に頼ってもらえる、という感覚が今でも忘れられなくてさ。そんな仕事がしたいと思ていたんすよ。でも、現実はこんな感じ。」

 うむ、でも、まだ若いじゃないか。

「この仕事でこの駅前へ来るようになって改めて、この違法駐輪の状態はダメっすね。じいちゃんも市民のために何とかしようとしていた。I市とも話し合っていたし、警察とも話し合っていたの俺、覚えている。F市だけが悪いわけではないっす。歩道だけではなく、車道にも溢れている自転車。車道っすよ。KOBANそこっすよ。事故が起きてもおかしくないのに、警察は動かない。スーパーは、『うちのお客だけではないから、スーパー単独では何もできない』と、言って何もしない。違法駐輪しようとしている人に注意をする警備員はいるけれど、それは決められた敷地のなかだけで、敷地以外のスペースは全然注意しようとしない。救急車通れないっすよ。自転車一台倒れたらドミノ倒しっすよ。高齢者多いとか言いながら、ずっとこの危険な状態。郵便物の集荷のためあけのために言っているんじゃないっすよ......。」

 突然、無言になり、一点を見つめる中村君。そして、さらに呟いた。

「いんなのあめっす......。みんあのためっすよ~。あ~あ......。」

 あれ? 突然、眠くなっちゃったの? 大きな欠伸して、あら? 下向いちゃったよ。ダメだ、こんなところで寝ちゃイカン。って、若干、目が潤んでいたね。

 なるほどね。君は、あの中村義男の孫かい。

 って、君が今、手に持っているのはビールかい。それに足元にチューハイとカップ酒の空き容器が転がっているけれど、あんた、それいつのまに全部飲んだの? 今、しゃべりながら飲んでいた? 全部、飲んだ? ダメでしょ。飲み過ぎ。もう、今日は帰って寝なさい。明日も仕事でしょ。はい、起きた起きた。

「先輩、ひょうはそろそろ帰りますね。本当は、朝まで付き合ってもらおうかと思ったんすけれど、あひた、ひごとっすから。」

 そうだろ、そうだろ。その方がいい。立ち上がれるかい、ワシの頭に手を置いていいから、ゆっくりと起きな ……。

 ワシの目の前を、液体がゆっくりと、流れていくのが見えた。深夜の駅前の街灯とその向こうに、わずかに見える星。そして続けて缶が落ちていく。スローモーションで。カランコロンと音が聞こえた時、ワシは頭からビールを被っていた。コイツがビールを倒しやがった。怒りと共に苦味のあるビールで、ワシは初めてビールの味を知った。

 いい奴だと思ったけれど、ワシはこいつが嫌い。二度と来るな。

「郵便物、水濡れ事故」発生っす。


<つづく>

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