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フランス留学、大変記 #2。 次女はなぜ「パリ症候群、のようなもの」になってしまったのか。話はまず、そのあたりから。


こんにちは、ツーさんことカスガイツトムです。会社員を長く務めてます。ゆで卵が大好物です。

空港で回想ひとつ

大学生の次女と乗り込んだベトナム航空機は、ハノイ経由でほぼ15時間、ようやくシャルル・ド・ゴールに到着しました。現地時間は朝の5:00というわけで、人混みもなくすんなりと税関通過となりました。

う〜ん、これがパリ空港なんですね。ん、案内標識、英語と中国語だらけですよ。欧州も中華のインバウンド政策かあ。こんな風景を見るたびに、日本の国力も一段落し過ぎだよな、なんてことを思います。ま、その人口を考えれば仕方ないですよね。まずは、ボンジュール!

シャルル・ド・ゴール空港

半年で一時帰国したその訳は

次女がリヨン留学を約半年でヘコタレてしまい、途中帰国(もちろん日本にです)したのがほぼ1ヶ月前。帰国後といえば、もう、わが家では次女を腫れ物を扱うかのような日々でした。今思えば。

「フランスの話題はNGにしようね」と妻が言えば、「とはいえ、フランス抜きでは会話の糸口が見つからんなあ」と、わたくし。冷蔵庫はチーズやらクラッカーやら、案外冷静な次女のフランス土産で満杯です。自然、食卓は連日、マシッソヨ〜、ではなく、メルシーで、セボ〜ンな品々で賑わう毎日。どうにもヘンテコな気分の1ヶ月ではありました。

アイスとか、、、(リヨン旧市街)
サンドイッチとか、、カロリーが(リヨン)

パリ症候群にも色々あるかと思いますが、ウチの次女の場合は、とても分かりやすい症候群でした。それは、、、ぽっちゃり、ちょっと太ったかな、え〜、どんどん体重増えてるんですけど。もう、嫌、こんな生活、留学生仲間とも会いたくない! という心象プロセス。そう、おデブ恐怖症だったのです。

実は次女、5年ほど前の高校生時代にも南仏・モンペリエにホームステイ留学したことがあるのですが、その際、1年で15kg太ってしまった黒歴史と言いますか、トラウマがあるのです。(思えば、塩をすり込んだのは妻だったと思います。帰国早々のJK次女に対して、「なんか特殊メイクみたいで、見事な太りっぷりね〜」なんて口にしてしまったのですから。)

今回、いわばリベンジ的に再挑戦した大学(リヨン)留学でも、次女は1ヶ月、2ヶ月と経つにつれ、またも(順調に)体重が増え続け、、、おまけに仏語の授業(その宿題の量が凄かったのだとか!)も容赦なかったようで、もう半ばウツ状態。リヨン←→東京、家族での緊急zoom会議の結果、留学半年にして帰国することになったのでした。一番辛かったのは、もちろん次女でしょう。

親子で「こころの旅」だね

そうしてああして帰国から1ヶ月、ある計画が湧き起こりました。こういう展開が、ツーさんファミリーは得意です。再リベンジ訪仏、そう、わたくしと次女で、「ぽっちゃり娘、養成の街」となったモンペリエ、リヨンを辿ろうという試みです。

決定打は次女の変心でした。
云わく。
「大学寮の荷物は全て引き払ったけど、リヨンの友達に預けたものもあるし、まだお別れの挨拶ができていない人もいるし、、、昔お世話になったホストファミリーにも会いたいな。一回戻るのもいいよね、パパも一緒に来れば」

バルセロナにも寄りました

なんちゅう前向き、ポジティブ思考。そうなんだよ、娘よ。
リベンジ留学を半年で失敗したからと言って、落ち込む必要などまったくない、実はこの父さんも会社ではいい歳こいて失敗ばかりなんだ。

ツーさんは1週間の休暇をとりまして、許された期間は7泊8日。

父さんは何があっても、お前を応援してやるぞ! お前が傷心した南仏の街を訪れてもみたいぞ。ワインとメシも美味そうだしな。そんなわけで、今回、次女とフランスニ人旅が決まったのでした。
ルートは、パリ→フォンテーヌブロー(日帰り)→バルセロナ(スペイン)→モンペリエ→リヨン→パリ。
南仏がメインなので、バルセロナも入れてみました。

さて、どうなることやら。別稿「娘(長女)とのインド旅」(全7話)は、リアルタイムの日記でまとめましたが、こちらの訪仏記「こころの旅」は、頭の中のゴム消しを熟成させて書き始めております。
ご興味のある方は、どうぞお付き合いいただけますと幸いです。

(#2 了)



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