05/04

ここ数日、母の日のプレゼントを探し続けている。一度くらいベタにカーネーションを贈ってみようかと思い花屋さんに行くも、綺麗に並んだカーネーションの前で手を組み思い悩む。母親は花が好きだが育てられない。花瓶に刺した花はそのまま枯れ、鉢植えは貰った時をピークに枯れていくばかり。花は好きだと公言しているが、手をかけるのは嫌いらしい。花は見るものだ。私が気にして手をかければ良いのだが、私も同じように花を育てられない。やっと切り花の水を替えて長生きさせることを覚えたが、少しでも生活に余裕がなくなると一切できなくなる。人のことなんてもっとできない。そんな未来が見えていながら無責任にカーネーションを贈ってもな、と花屋さんから離れた。考え込まないで適当に買って贈っとけば良いものを。色々と考え始めたら止まらなくなる。カーネーションを贈る代わりにフラワーパークに連れて行くことにして、プレゼントは何か用意しなければ。店頭に「お母さんいつもありがとう」と焼印が押されたどら焼き、印刷されたおせんべい、カーネーションで飾られたお菓子の詰め合わせ。これ作っとけば売れるだろうって感じが苦手だ。母の日という体裁を保つだけの贈り物だと思っている。正直寒い。もちろんそれを買って贈る人のことを悪いとは思わないし、むしろ便利に使えていて人生のコスパが良いなと思う。でも私はそれがなんとなく苦手で、そのせいで現在頭を悩ませている。適当に済ませられる人間でありたかった。ハンドタオル、洋服、お菓子、化粧品。色々と見るがピンとこない。ショッピングモールをぐるぐると回り一旦休戦。次の日も探しに行く。究極、何を贈っても同じような気がしてきた。それなら私の欲しい物を贈ってやろうと思い、今欲しいものの中から最適解を見つけた。よし、エプロンにしよう。一周回ってベタに返り咲いた。我が家は料理をする時にエプロンを付ける習慣がない。世の奥様方は小綺麗な格好をしている時、油ハネとかどうしているんだろうと思っていた。答えは簡単、エプロンをしている、だ。わざわざ着替えていた自分が馬鹿らしくなり、エプロンを買うと決めたのだ。例によって母親も持っていないので丁度いい。使ってほしい物を贈るのがプレゼントの醍醐味。そんな気がした。私の好きなお店にシンプルかつ可愛いのがあった。色違いのエプロン。プレゼント用と、ご自宅用で。今日もなにもない一日だった。

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