米国大学院で日本人と日本人以外の大学院生の処世術の違い(と言っても、個人的印象です)

最近、日本の高校生が直接、アメリカの大学に来ると言うことで話題になっていますね。
近年、中国人は、母国でお金持ちの人が多くなっているか、多くが米国の大学に来ています。
私自身は1994年にアメリカの大学院に行きました。シカゴ大学の社会学の博士課程でした。その時のことについて書いてみようと思います。
当時はまだ日本からの留学生がいました。特に、将来的にあまり儲かりそうにない分野である社会科学とか歴史、そして文学などにも日本人が来ていた印象です。それから企業からの派遣でビジネススクールに来たり、日本の象徴からも、政策大学院に来ておられました。
その人達の多くがインターナショナルハウスという寮に住んでいました。
社会学では、私の後に、2,3年は日本人が数人、留学してきていましたが、その後、日本人は来なくなったように思います。一つには、社会学という、あまり将来、儲かりそうにない分野のためにわざわざ来る人がいなくなったのかもしれませんね。
私を含め、日本人はド真面目に社会学に入ったら、社会学で博士号をとって、納得すると言う感じでしたが、他国からの留学生は、もっと柔軟な対応をしていたのが印象的です。例えば、中国人の友人たちは、1年目は社会学だが、2年目から統計学に移ってみたり、ビジネススクールに移ってみたり。
アメリカ人の場合は、やめてしまう人も多かったです。1年だけいて、社会学に見切りをつけて、ビジネススクールに移る人、ロースクールに移る人、、上にあげた中国人と同じですね。
日本人の場合は、一度決めたら最後までという感じでした。やめたり、移動したりする中国人やアメリカ人を見て、
お、シカゴ大学の社会学はあまりにも難しいので、ドロップアウトしていくのだな、、と解釈している日本人もいましたが、実際は、自由に自分の方向を決めていたのだと思います。
日本では一度、学部を決めると変えにくいのですが、そのメンタリティーをそのまま米国に持ってくるので、日本人は、社会学なら社会学で一直線でした。
当時、私はハリススクールという政策大学院のコンピュータセンターでアルバイトをしていたのですが、周りの中国人はその時に、学部に関係なく、プログラミングなどに手を出していました。私は、一直線に社会学をしていました。ある中国人の友人は、政治学部、博士課程の大学院生でしたが、修士をとってやめてしまいました。日本人的な感覚であれば、ドロップアウトとなりますが、彼は、修士までで、身に着けた統計の知識などを生かして、銀行に就職しました。気が付いてみると、大出世して、香港あたりの豪邸に住んでいます。そして、息子さんは今年からシカゴ大学1年生だったと思います。
私自身は博士号を取得することができましたが、当時やっていたことと、今やっていることがあまり変わりません。社会科学系のデータ分析です。
当時の多くのクラスメートが、ビジネス界に入って、想像を絶するような色んなことをしています。台湾の友人は、最初は大学の教授、その後は、民間の会社のコンサルタント、、そして、今は連邦政府の省庁につとめています。
 
 

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