毒親育ちはやっぱり毒親になるのか?

トイトレ中の長男。うんち、おしっこをもらしているのに遊び続ける。何度も何度も座るとうんちが色々なとこにつくから、うんちが落ちるから脱ごう、着替えよう!の呼びかけにも全く言うことを聞かない長男。
うんちでヘンゼルとグレーテル事件の再発はなんとしても阻止したい。

最初こそ説得口調だが、全く聞く耳を持たないので、どんどんと私の声も大きくなり、脅しに変わっていく。
「あぁ、今日そこは怒らないと決めたのに。怒るんじゃない、叱るんだ、さとすんだ」
と自分に言い聞かせ30分近く説得する。
さすがに疲れた。
涙が出た。
後悔するような言葉を長男に浴びせてしまいそうになる前に私が逃げる。
トイレに籠もってリセットする。
なぜ、長男はあんなに頑ななのだろう。
なぜあんなにマイペースなのだろう。

私に似たのだろうか。

私も子供の時本当に頑固だった。
宿題を出されてもやりたくないのでやらない。
勉強も好きじゃないし、楽しくないし、やりたくないのでやらない。
忘れ物もよくして怒られた。けどまた懲りずに忘れる。
とりあえずやりたくないことは本当に怒られてもやらなかった。

頑固というよりは、事の重大さがわかっておらず、宿題はやるもの、勉強もするものという意識が全く無くて、忘れ物をしてもなんとかなったし、人を怒らせてもいけないということもわからず、怒られてもなんか響かなかった。
自分のことなのに、全て他人事な小学生だった記憶がある。だから怒らせても響かない。

今思うとちょっと発達障害っぽかったな。

そんな私を育てるのはさぞかし大変だっただろう。中学生の時、母は私の誕生日を忘れていた。「今日誰かの誕生日じゃない!?あっ!〇〇様!(皇室の方のお名前)」
娘の誕生日は忘れているが、皇室の方の誕生日は覚えている。
当時の私は本当にショックだった。
今まで誕生日といってもプレゼントが貰えたらわけではなかったが、忘れられたことはなかった。
やっぱり生まれてきちゃいけなかったんだ、うまれて来なければよかったと思った。

大人になって思うけど、たぶんあれはわざとな気がしてならない。
日々の私の反抗、癇癪に母も何か仕返しをしたかったに違いないと思う。

だって私はどうしたって自分の子供の誕生日は忘れられない。毎年子供の誕生日を楽しみに、どんなに直前に酷いイタズラをされても子供にはお母さんにしてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとうと感謝をするのだ。

娘の誕生日におめでとうも言わず「産んでくれてありがとうは?」
って言ってくる母親なのだ。絶対わざとに違いない。頼んでいない、そもそも子供のときからずっと死にたいです。

あんな母親には絶対ならない!

でも最近癇癪も強く、暴力的で全く人の話を聞かない長男を育てていると、つらすぎて逃げ出したい、もう嫌だ、一緒にいたくない、自分は息子を本当に愛しているのだろうかと思ってしまうことがあるのだ。

そんな時、母も私を育てながらこんな風に思ったのかな…とか感じてしまう自分が本当に嫌なのだ。

長男が親になった時に、大切に育ててもらったな、愛されていたなって感じてもらえる親になれるのだろうか。
蛙の子は蛙なのか。。





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