父と母と

今日何気にYouTube見てたら、どう言うわけかおすすめに昭和の歌が出てきたんですね。もちろん昭和の人間だし昭和の歌は好きなんですけどね。

で、その中に鶴田浩二さんのサムネの動画が出てきたんです。

でね、父に似てるんですよね。父は結構男前で、写真でしか知らない娘が、おじいちゃんイケメンだったんだねと言ったこともありました。
イケメンでもあるのですが、それと同時に相当の放蕩息子的なところもあって、母は苦労してきたらしいです。これは聞いた話なんですけどね。
母と喧嘩して母を追い出したことも数知れずで、母は追い出されるまま私と手を繋いで父が寝るまで外を歩いてたのを覚えています。
怒り出すと手がつけられず、寺内貫太郎(知ってます?)さながらにちゃぶ台をひっくり返していましたね。
ただ、一番末っ子として女の子の私が生まれてからはとてもおとなしくなったんだとか。
だから、私はもちろん怒った父をよく知ってはいるのですが、私に対しては本当に優しい父でした。もちろん暗い押入れに入れられた記憶もあるし、お玉で一発頭をこうスコーンと叩かれた記憶もあります(笑)。

でも、父のことは大好きでした。どこに行くにも一緒で、車の運転が達者な父と父の用事を足しに出かけてもいました。

話がそれましたね。

母は私が使わなくなったiPad miniで塗り絵をしたりソリティアをしたりして、元気な頃からもよく遊んでいました。またYouTubeもよく見てて、鶴田浩二が好きだと言って私が探してプレイリストを作ってあげたりしてました。
そして、家で寝込むようになってから、ソリティアや塗り絵はあまりしなくなったのですが、横になりながら動画が見たいと言って鶴田浩二の歌を流してました。

母は、父が若い時のヤンチャなところだけでなく、父の事業の失敗や手形詐欺にあうなどで、父と共に苦労をしてきた人です。むしろ苦労させられたと言った方が正しいかもしれません。
でも、その母が体調を崩した時に見たいと思ったのが鶴田浩二か・・・

今思うとですが、イケメンだった父を思い出してたのかなんてね・・・勝手に想像してます。

父は50代後半に病でこの世をさりました。
そして父より三十数年も長生きした母は、仏壇にお花を供えたりお膳を準備するたびにこう語りかけていました。

「父ちゃん、私に自分の位牌を守らせるために長生きさせてんのか・・・」

母が亡くなってから私が仏壇に手を合わせる時、たまにこう語りかけてます。

父ちゃん、年取った母ちゃんに驚いてない?年取ったなぁって言ってるでしょ?

両親の遺影は父との年齢とバランスがとれるようにと70代ごろの写真が選ばれたのですが、仏壇には私の記憶に一番近い父と母の写真を飾っています。

父の生きた年月よりも私は数年長生きしています。それはそれで不思議な感覚なのですが、目指すは母より長生きすることかな。

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