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なぜか興行的に失敗した名作映画たち

先日、クリスマス映画の代名詞とも言われる名作「素晴らしき哉、人生!」のトリビアを探していた際に、この名作映画が公開当時、興行的に失敗したという情報を見つけて驚いてしまった。

そこで今では名作として評価が固まりつつあるのに、公開当時は興行的、批評的、もしくはその両方で失敗した映画って結構あるのでは?と思い立ち、調べてみることに。当時当たらなかった理由や後になぜ再評価されたのか、についても面白いのでまとめてみました。

「素晴らしき哉、人生!」

1946年公開。製作費300万ドル以上と言われる作品ですが、映画は公開当時黒字どころか配給会社RKOに52万5000ドルもの損失を与えたとか。

その時点ですでに3度もアカデミー監督賞を受賞していたフランク・キャプラ監督が、「スミス都へ行く」でタッグを組んだジェームズ・ステュアートと再び組んだ映画が「素晴らしき哉、人生!」。キャプラ監督の全盛期はこの作品で衰退し始めたとも言われているようだけど、一体なぜ当時の観客に受け入れられなかったのか。

1946年は前年に第二次世界大戦が終結し、多くの兵士たちが帰国して映画館に押し寄せた年。アメリカの映画業界全体で言えば人口の約60%が毎週映画館に通い詰めていたという異常な年で、多くの作品が高い興行収入を叩き出した年にもかかわらず、この作品が失敗した理由を考えてみたが、やはり「アメリカの良心」とも言われたジェームズ・ステュアートが演じる「普通の男」である実直な主人公を描いた本作の物語が、戦争に勝った当時のイケイケムードのアメリカにとって時代遅れと思われたのかもしれない。

ちなみにこの年の興行収入1位はまさに戦後の帰還兵を描いたウィリアム・ワイラー監督「我等の生涯の最良の年」、2位は南北戦争終結後のテキサスを舞台にした西部劇「白昼の決闘」、3位は伝説的なエンターテイナー、アル・ジョンソンの半生を描いた伝記ミュージカル映画「ジョルスン物語」。当時のアメリカの観客が映画に求めていたものがなんとなく伝わってくる。

そんな興行的に失敗した「素晴らしき哉、人生!」が今ではクリスマスの定番名作映画の地位を確立した理由の一つが著作権だ。

当時のアメリカでは映画の著作権は公開されて28年間+更新手続きを行えば追加の28年、合計56年間保護されるというルールが存在していた。本作の権利は他の多くの映画の権利と共にまとめて買収が繰り返され、その結果多くの事業者の手に渡り、公開から28年後の1974年にこの権利を保有していた会社NTA(ナショナル・テレフィルム・アソシエイツ)の事務的なミス(おそらくあまりに大量な映画の権利をまとめて買収していたため、ほとんど個別に把握できていなかったことによるうっかり失効なのでは)で作品の著作権が更新されずに失効してしまい、実質的にパブリックドメインに

これを機に1980年代、アメリカでは大手TV局だけでなく放映コンテンツのための予算が少ない小さな地方局までもがクリスマスの風物詩として毎年本作を放映し始めたことで本作は再評価され、現在の定番クリスマス映画としての地位を確立したと言われてます。ちなみにその後、NTAの後継会社リパブリック・ピクチャーズは1993年にこの映画の原案となった フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンによる短編小説「The Greatest Gift」の映画化権を所有していることを理由に映画の権利ごと取得し直すことができたため、現在では本作は実質的にパブリックドメインではなくなっているのでご注意を。(日本版のWikipediaにはがっつり「パブリックドメイン」って書かれてるけど、誰か修正しとかないとヤバい気がする…)

「ショーシャンクの空に」

1994年公開。映画ファンのみならず、多くの人々のお気に入り映画トップ10に必ずと言ってもいいくらいランクインする問答無用の人気作。そんな「ショーシャンクの空に」も公開当時そこまでヒットしなかった映画の内の一本。製作費2500万ドルとも言われる本作が公開当時に稼いだ金額はわずか1600万ドル。赤字中の赤字。スティーヴン・キング原作なのに。

この理由についてはよくわからないタイトルのせい(アメリカ人にも馴染みのない「ショーシャンク」という言葉は言い間違えられ、「なんとかシャンク」だの「ショーなんとか」だの言われてたらしい)とも言われているが、大きな問題は競合映画が強すぎたこと。

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