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南紀熊野。映画『火まつり』

南紀は、私の好きな場所なのだった。
本宮町には何度も行っているし、田辺は南方熊楠や植芝盛平先生の出身地だし(墓地がある高山寺へも行った)、十津川街道走ったり、三重県側から本宮へ行った時山道の北山村経由で行ったこともあった。

2017年4月、再び、南紀を訪ねた。
三重県熊野市や和歌山県本宮に住み着いた旧友を訪ねる、一週間程の車移動での旅だった。
その時、新宮の熊野速玉神社や神倉神社や磐座神社や那智の滝をめぐった。
神倉神社へ行った際、当然?
映画『火まつり』を連想した。

映画『火まつり』。1985年、シネセゾン配給。
シネセゾン&プロダクション群狼、共同製作。
監督、柳町光男
脚本、中上健次
出演、北大路欣也、太地喜和子

この映画は、中上健次の小説の映画化だと思っていたのだけれど、そうではなかった。
1980年に、三重県熊野市二木島町で実際におきた熊野一族七人殺害事件をモデルにして書かれた、中上健次のオリジナル脚本、だそう。
後になって、中上健次は短編として小説にしているが。
柳町光男と中上健次は、1979年の『十九歳の地図』の(殊に資金面で)困難な映画化で、因縁浅からぬ仲だ。
ウイキ(検索)によれば、その熊野一族七人殺害事件に、中上健次が深い関心をよせていたようだから、中上健次の方からの企画だった様に感じるが・・?
あるいは、『十九歳の地図』の時から両者間で「またやろう!」といったものがあったのかもしれない。
ともかく、映画『火まつり』は、柳町光男と中上健次の、二度めの映画。
舞台は、三重県側だが、この映画に、和歌山県神倉神社のお灯祭りが出てくる。
神倉神社の、石畳階段でのお灯祭りのシーンは記憶ある。
けれども、正直なところ、それくらい。
この映画を観たのは、私が南紀へ行く様になるもっと前だった。
堤清二率いるセゾングループが、映像事業に積極的に乗り出して活動していた頃(1983~1990年代末)だった、はず。
その頃、私は西池袋の方のアパート四畳半部屋に住んでいて、各名画座は勿論、よく文芸坐に通っていた。
この『火まつり』は、セゾングループの配給公開だから、どこかのシネセゾンで観たのかもしれない?もう判らない。

三重県でも和歌山県でもない、正に『南紀・熊野』、中上健次ワールドたっぷり(と思える)映画、と言える。

で。
今回の検索で。「セゾングループの映像事業」も見てみた。
「関連人物」に、一瀬隆重や、中澤敏明(この人について、私の妹の旦那と同じ姓名として、以前に書いた)や、そうして黒井和男の名前を見た。
然るに。キネマ旬報は、セゾングループ内企業だった(1991~2001迄)、ことがあったと知った。。!1991年、セゾングループの出版会社SSコミュニケーションズの関連会社となった、と「セゾングループの映像事業」での「その他」の欄にあった。
お~~~~~~。。!だった。
ついでに?黒井和夫も検索して見た、ら。1977年キネマ旬報社入社、1981同社社長、1992西友顧問、セゾングループ映像担当に就任、1997キネマ旬報社長に復帰、2002年角川大映映画社長、。。!(◎-◎;)


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