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十九歳の地図

『十九歳の地図』(1979年)

紺野さんが留置所の中で歌った曲が加山雄三の「君といつまでも」だったとか、 何よりも、紺野さんが「どういう具合に生きていったらいいかわからないなぁ」、といったシーンがたまらないし、実は、私、宅配仕事やってたことあって、地図にバツくれたことあったりとか、この映画には、 とても感じ入ってしまうとこがいくつもある。。
原作は読んでないのだけど(中上健次の文体が私には・・?)、とにかく、こういうシーンを(シナリオ化し)造り上げ撮りきった柳町光男という人物は、たいしたもんだと思った。

柳町光男監督作品はけっこう観てきている。『ゴッドスピードユーBlack Emperor 』(1976)から『チャイナシャドウ』(1990)まで。
けれども、2005年の『カミュなんて知らない』以降、映画作品はない。もっと創ってほしい監督なんだが。
「本間優ニ」でも検索してみた。
彼はもはや役者はやっていないようだ。
添付した写真に関しても書いておこう。
つまり、「走る」映画。「走る」ことは青春だ。と思う。
テレビドラマの青春ものにも走るシーンは必ずあるし。『サード』しかり。
脚本家の中岡京平が監督した唯一の作品も走るやつだった。(確か題は「夜明けのランナー」?)あ~『帰らざる日々』でも永島敏行は走っていた。
だから、走っているとこの写真にした。

以下、パンフレットのプロダクションノートからの引用を書いとくけど、見てない方とかはとばしてください。 観たことありだったり、映画製作に興味関心ありの方にはおもしろいはずと思い、長めになるが引用するしだい。

パンフレットのプロダクションノートによれば。
柳町光男が小説『十九歳の地図』映画化を心に期したのは、1976年春のことだ。前作『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』を編集中のことだった。
1977年夏、原作者・中上健次より映画化権の快諾を得る。
秋、シナリオにとりかかる。同時に資金集めに奔走。
冬、主役の少年のオーデション。延べ三百数十人と面接するも決まらず。
1978年、10月に主役の少年に本間優ニ決定。11月紺野役に蟹江敬三決定、某氏が製作費三千万円の半分出資を確約、スタッフ、キャストを決めにかかる。ロケハン開始。
1979年、
1月にシナリオ決定稿、スタッフ初顔合わせ。
2月22日、クランクインの予定で新宿集合なるも、出資予定者疾走のため、むなしく解散。中止を覚悟し原作者に話したら逆に励まされーー 2.25資金不足のままクランクイン。
3.31クランクアップの予定が大幅にオーバー、予算もオーバー。4.13撮影完了。
5.20 編集完了。 6.5初号完成、試写。
6.10映画会社への配給交渉開始。
9月、新宿東映ホールとの賃貸契約成立、自主ロードショー決定。
12月1日、新宿東映ホール初日。 21日まで上映。

・原作では新宿二丁目界隈が舞台になっているが、監督はシナリオを書くにあたり北区の滝野川・王子周辺に舞台を移した。
シナリオハンティング、ロケハンに、それぞれ一ヵ月程かけている。
・主人公、吉岡まさる役の俳優選考は慎重に行なわれた。
本間優ニは初め候補になかったが、彼を超える少年が見つからず、彼に交渉したら、彼は出演依頼を拒否した。
・映画の主舞台となる新聞販売店は、北区板橋区豊島区の数百店をロケハンの結果、毎日新聞の赤羽販売店に決まった。
・マリアの部屋となる老朽アパートは、演出撮影美術製作、各スタッフが別れて都内を歩き廻ること数週間、ついに発見したのは、世田谷区下北沢の近所の住民たちからお化け屋敷と呼ばれてた練兵隊の旧兵舎。
・本間優ニは、撮影前、荻窪の新聞販売店に実習に行ったが、十日間の予定のとこを三日間で逃げ出した。
・沖山秀子が原っぱで立ち小便するシーン。 何でも本物でなければ気が済まない彼女は、本番前にビール二本と水をがぶ飲みし、スタッフ一同待つこと30分、見事に自前の小便を出してくれた。沖山秀子の面目躍如。

これまた、たいしたもんである。


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