現実感欠如感覚・・?

私は、幼児期体験(生母死去&継母)で現実から逃避して内向し(現実に向き合うことをせず)、ほぼそのままで歳くって来てしまっている、と思っているわけだけど。
&、現実感欠如感覚、というべき感覚は、歳くってきて、いつの間にやら、すっかり薄弱になっている。完全になくなってしまったわけじゃないけど。
そのせいだろう、けっこう不思議に思うことが多くて、映画とは?という思いもそうだと思う。
高校生までは東京がとても遥か遠い場所と感じていて、高卒で実家を離れて上京したが、東京は異界の世界だった。
駅周辺しか知らず、面としての位置関係が解らず、東京は人が住み暮らす所とは思えなかった。、ましてや外国は尚更。遥か彼方の異界そのものだった。
そうして、いつの間にか歳くっていた。

私は、、今では頭頂部分が薄くてずいぶんと長いこと坊主頭でいるが、いったいに、いつ頃からそうなったのか不確かだ。
昔の写真を見て、おそらく2000年頃からだろうとの推測はできるだけ。
それと同じで、現実感欠如も、いつ頃感じなくなっていったか、明確には出ない。今でも、その感覚がすっかり払拭されているわけでもない。
そんな、ズルズルと引きずったままで、来てしまっている。

現実感の欠如、というか、
自分の現実を認めたがらない、現実認識からの逃避というべきで。
解っちゃいるけど・・ってエやつ。

六歳の頃までは生母に育てられていたわけだからその記憶がもっとあっても良さそうなのに、後妻がきてからのその後がひどかった(と思っている)から、その欠如感覚がひどくて、その穴埋めがいっこうにできてない。
そもそも、生母が死去した現実を、私はどういうことで認識したのだろう・・?
その年、私は六歳だったから、何らかの記憶があってもよさそうなのに・・
その頃の前後、全く思い出せない。
後妻がきてからからの小学生時代のことが殆ど思い出せないし、生母が亡くなるまでの生母と過ごしたはずの記憶がない。
・・ない、というか、
蓋をしてしまった。
両親に誉められた記憶もない。しかるに、自己肯定感が低い。

と。
ないことに拘ってもしょーがない。
今、あるものに眼を向けよう!!、と思っている。


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