『魂の民主主義』
読めば読む程おもしろい!知的興奮あり!
『魂の民主主義』
星川淳 著
築地書館刊、2005年6月29日初版発行
第1章「平和の白い根」 では、ピースメーカーによるイロコイ連邦の建国物語と、今も存続する母権民主制のあらましを紹介。
第2章「生命と自由と幸福を求めて」 では、コロンブスのアメリカ“発見”から十八世紀末の合州国成立にかけて、北米とヨーロッパを行き交った知と情念の相互作用が、先住民とどうかかわったかを振り返り、アメリカ建国のインディアン・ルーツに迫る。
第3章「臣民から市民へ」 では、現存するイロコイ人の肉声をまじえつつ、新生アメリカ合州国がどんな自由と民主主義を育ててきたかに目を凝らす。
第4章「真珠のワンパム」では、“押しつけ”といわれる日本国憲法誕生のドラマから、戦後六十年で私達が受け取ったもの、受け取らなかったものを読み解き、二十一世紀の日本と世界にふさわしい生き方を問う。 結びでは、残る課題を描き出した後、一人ひとりが新しいピースメーカーとして歩きだすところで終わる。
アメリカ合州国憲法が、アメリカ先住民の部族社会、イロコイ連邦の社会制度から多くの影響を受けて成立されたものだということは、だいぶ前から知ってはいたけれど、・・
それがアメリカ建国よりも前からの歴史に裏打ちされていたことや、
そこにもりこまれた「自由と平等」の民主主義の精神は、アメリカ建国独立宣言からさらに170年たった1946年、日本国憲法にも及んでいるのだが、さてその日本国憲法成立に隠されたドラマがあった、
そういったことどもは、まことに興味深い。
日本国憲法は、そのイロコイ連邦の社会制度からすれば、いわば孫娘にあたるといってもいいようだ。
(日本国憲法成立のドラマについてはここでは略す。またあらためて)
アジア人とアメリカ先住民の人種的共通性を持ち出すまでもなく、私達はインディアン達と精神的に触れ合う感覚を古くからもっていたと思うのだが、
私達日本人が、世界の平和に果たす役割は私達が思っている以上に大きいものがある、そんな思いをあらためて感じたしだい。
……………
日本国憲法はアメリカからの押してつけだったと思われるだろうか?
私は実はそう思ってました。が、しかし、そう単純なものではなかったみたい。事実は私には判りません。ただこの本にはこういったことが書かれてあったということを書きます。
【何かが押しつけになるかプレゼントになるかは、受け取り方しだいだろう。(略) もし押しつけというなら、当時GHQが進めたすべての改革を否定しなくてはならない。 また、アメリカの強要を問題にするのなら、のちに対ソ冷戦体制への移行にともない、新憲法の戦力不保持条項や国民感情を踏み躙って再軍備へ向かわせた経緯などのほうがずっと露骨だ。
そして、いわゆる押しつけ論ではあまり触れたがらないが、連合国側は日本政府に対して、新憲法施行後一年めに再検討し、必要なら改正するよう奨励していた事実がある。ところが、時の政府はまったくこれにのらなかった。】
【日本が二度と軍国化の道を歩まないために、大日本帝国憲法と天皇制からなるシステム全体、つまり日本側が国体とよんでいたものを変えて民主化しなければいけないことは、アメリカをはじめ連合国の総意だった。
天皇制を存続させることは、アメリカ政府内でかなり早い段階から肚をくくっていた。 (略)
にもかかわらず、降伏要求の中で天皇の扱いをあえて玉虫色にしたのは、天皇の戦争責任を追求し天皇制廃止を主張していた、オーストラリア、ニュージーランド、ソ連、中国、などの国々や、米議会の一部の支持を失わないためだった。】
あとは、民主的な憲法を定着させることだが、マッカーサーは、終戦後二ヵ月たらずのうちに二つのルートで、日本人自身による改正案づくりを促していた。
ところが、・・・
とにかく、一種の軍事電撃作戦としての、GHQの日本国憲法の草案づくりがはじまったのだった!
【1946年 2月4日から12日にかけての九日間、GHQの第一生命ビル六階で、マッカーサーと腹心コートニー・ホイットニー准将のもと、21人の男女がほとんど缶詰状態になって、日本国憲法草案をまとめあげた】
そこで、作者はこのスタッフたちの多くが1930年代のニューディール政策の落し子だったことを述べ、共和党最右翼に属するマッカーサーと、新しく民主国家の誕生に手をかそうと理想に燃え立ニューディーラーたちとの、不思議な取り合わせは、イロコイ連邦の〈平和の白い根〉が廃墟の日本にとどく好機だった、と書いている。
【仕上がった草案をみせられた日本側は、彼らのめには進歩的すぎる内容に驚き、とまどい、抵抗し、最後には渋々受け入れる。
優柔不断の閣僚たち、英語と日本語の翻訳問題、日本側の意図的曲解などの山々を乗り越え、現在の姿が完成する。】
【改憲を口にする人の多くが、憲法とは国民が政府をコントロールするための指示命令文書であるという近代法の基本を忘れ、憲法に「愛国心を書き込め」とか「権利ばかりで義務が足りない」とか、本末転倒の主張をしている。
(略)
改憲論のもう一つの問題は、それを強く主張する人たちが、もともと大日本帝国憲法の改正に反対だった人たちと人脈や思想が通じる点だ。
民間私案の一部を除き、GHQが日本政府筋の改正案に匙を投げたのは、戦前・戦中の軍国体制で弾圧されたリベラル派とされる人々でさえ、明治憲法下の「国体」にこだわり続けていたからだ。】
【日本の一部エリート層にとって、戦前・戦中・戦後の区切りはあってなきがごとしで、人によってはいまだに敗戦も認めたくない悔しさが覗く。改憲論がそうした後向きの怨念に動機づけられているかぎり、自他に莫大な惨禍をもたらした戦争から本当には学べそうもない。学ぼうとしないことは一見、戦没者や戦争体験を賛美するようでいて、じつはすべての犠牲者を侮辱するに等しい。】
【〈大いなる平和の法〉の系譜からいえば、イロコイ連邦の娘にあたる合州国は武器を手放さなかったことで道を踏み外し、一度は武器を手放した孫娘の戦後日本も、ヤンキーママの暴走に引きずられかねない。
二十一世紀こそ、武器を置いて地球大の協議の火を囲み、〈グッドマインド〉を磨きあうことが必要だ。
それには、平和の法を受け継ぐ祖母と孫娘が手を携え、放蕩娘を理知と話し合いの道、平和と共存の道に引き戻す工夫が求められる。】
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