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映画フィルムの歴史、から

映画の歴史関連で。フィルム、の歴史。

『ビジュアル博物館 第34巻 映画』 より。
1992年12月18日、初版。同朋舎出版・発行
著者、リチャード・プラット
監修、ロンドンM.O.M.I映像博物館

『映画の誕生とその生い立ち、撮影現場の様子やスタッフの役割、創られていく過程などを、魅力的で解りやすい写真で解説する「よくわかる」映画の図鑑』、です。
映画誕生の前、『光と影』と題し幻燈機から始まり、 四章め『フィルムとは?』
ここに、フィルムのサイズが現在の、8.16.35.70.ミリになった要因が書かれてあった。

最初のフィルム?は、フィルムそのものではなかった。

『フランスのルイ・ル・プランス(1842~1890)が、1888年につくった自作カメラに一巻きの感光紙を装填し、リーズ橋の人や車の往来を撮影した』 ものだそうだ。
つまりは紙だった、わけだ。

で。トーマス・エジソンも初めは感光剤を塗ったドラムで映画撮影を考えた、が、彼の助手のウィリアム・ディクソンが、ジョージ・イーストマンがコダック・スチールカメラのために作ったフィルムを用いることを提案、採用。。

ディクソンは7.6ミリのフィルムを縦に切り、その端に穴をあけて、自作のキネトグラフ・カメラでフィルムを均一に巻き取れるようにした。

ジョージ・イーストマンは1889年に柔軟なフィルムを発売していた。35ミリロールフィルム。(それ以前の写真はガラスの乾板、または感光紙を使っていた)

この、ジョージ・イーストマンが開発したフィルムは、写真のガラス乾板の大きさに基づいていた。
手に入る大きな窓ガラスから始めて、それを何度も半分に切って必要な大きさのガラス板を作った。

したがって、今日用いられているフィルムサイズは、1885年当時の、(イーストマンが住んでいた)アメリカのロチェスターの家窓の大きさに基づいている、ことになる。・・!!だそうです。

ちなみに。
9.5ミリフィルムはフランスのパテ商会のもの。17.5ミリフィルムはフランスのシリウス社発売。28ミリフィルムもフランスのパテ社。
16ミリフィルムが登場したのは1923年、アメリカのコダック社より。 この本によれば、『可燃性の35ミリフィルムを半分に切って使うのをやめさせるために、35ミリの半分じゃなくて16ミリが選ばれた』とある。・・!

選ばれた、わけね!

1930年にフランスのパテ社は、17.5ミリフィルムで、コダック社の16ミリと市場を競うことになった。

1965年日本の富士フィルムがシングル8発売(8ミリフィルム)。他国を圧しこれがグローバルスタンダードとなった。少なくとも家庭用において。
もちろん、16や35ミリフィルムは依然あった。

映画館で上映されていた映画のフィルムはほとんど35ミリ、だろう。

これは、どれも同じ幅で統一標準化されており、スプロケットホール(フィルムを送るための穴)のサイズも形も同じ。だが、一コマのサイズ、形、間隔はフィルムを撮影するカメラによって異なる、、そうだ。

結局、フィルムサイズは1885年頃のアメリカのロチェスターの、家の窓ガラスの大きさに基づいている、そうだ、てぇこといいたかっただけなんだけど(*^_^*)

NY州のロチェスター、は、オンタリオ湖岸、バッファローとシェラキュースの間、でした。

なお。年代(とフィルム発売会社、特に17.5ミリフィルム)、情報元によって違いあるものあり、要継続調査、であることをお断わりしておきます。m(__)m  

それから。「映画フィルムの歴史」で検索してみたんだが。。ざっとだけど、、このフィルム幅に関するものが見あたらなかった。。?

国立映画センター・フィルムアーカイブとか、フィルムとディジタルとの保存方法のこととかがほとんどで。

9.5ミリフィルムとかなんて、もうほとんど埋没してしまっているみたいだ。 

&富士フィルムはフィルムの製造販売をやめてしまっているし、コダックは2012年に経営破綻(その後再建)してるし。なので、こういうことも調査継続必要。 

現在、ほとんどの映画館(少なくともロードショー映画館。名画座ではなくて) では、ディジタル上映になっている、様だ。?2010年代あたりから。  

そもそも、若者たち(特にZ世代←生まれた時からネット環境ありの)は映画館へ行くのか?

これも関心あり。                      

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