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ATGと、

日本アートシアターギルド。
1962年設立。
そもそもは、川喜多かしこの「日本アートシアター運動の会」から始まっていたとは、、知りませんでした。

当初は配給だけだった。
ATGが資金提供した最初の映画は、『人間蒸発』(1967。今村昌平監督)だった。
以後、製作資金の半分を負担する、所謂ATG方式が定着していく。
折しも、大島渚や吉田喜重や篠田正浩らが松竹から出て、自分たちの独立プロを設立しての映画製作に乗り出していた。
その後、1979年に、佐々木史朗がATGの二代め社長(兼任)になって、、大学映研やポルノ映画出身の監督達を採用して、日本映画を支える人材育成に寄与した。(佐々木史郎は、アルゴプロジェクトに参加してた。)
1992年、『墨東綺譚』(新藤兼人監督)を最後に、その活動を終えた。

多賀洋介、・・多賀英典と関係あり、かな??解らなかった。

以下、ATG映画(配給だけから)作品一覧。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89%E5%85%AC%E9%96%8B%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

公開作品で。
池田敏春の「人魚伝説」 と 後藤幸一の「正午なり」もそうだった。
「正午なり」は、丸山健二原作、主演は金田正一の息子の金田賢一。
これでデビューだった。 その後はあまりきかないなぁ・・??

そういえば。
佐々木史朗がATGに関わる様になった『星空のマリオネット』監督の橋浦方人、これの後『海潮音』ともう一本あるが、、その後きかなくなってしまっている。と思う。
『青春の殺人者』がATGでの公開は、今村昌平関連だと思う。
そのスタッフ(助監督)だった、浅尾政行とか石山昭信とか、きかなくなってしまっている監督が、けっこういる。・・
後藤幸一も。?

最近は、どぉぉなんだろぉ~~?
興業形態の変化は、時代の変化でもあるんだろうな~~・・

佐々木史朗
ウイキからの情報によれば。

早稲田大学中退後、早稲田小劇場設立に参加、その後TBS 演出部勤務。
1970年、TBS と共同出資で「東京ビデオセンター」設立。
東京ビデオセンター設立7周年記念で
映画『星空のマリオネット』(橋浦方人監督)製作、これが映画に関わることになるきっかけ、だった。ATGとも。

❰『1979年からATG二代目社長を兼務し、橋浦方人、大森一樹、長崎俊一、森田芳光、井筒和幸、根岸吉太郎らの作品をプロデュースし、自主映画や成人映画出身の若手監督に一般劇場映画を撮る機会を与えた。
また、大林宣彦の「尾道三部作」初作となる『転校生』が、クランクイン一週間前にスポンサーが降りて苦境に陥った際、東宝のプロデューサーから相談を受け、松竹と日本テレビに話をつないで映画の実現に協力した。

1989年、ほかの5人の独立系プロデューサーと共にアルゴプロジェクトに参加し、邦画の新たな配給・興行体制を試みる。
1993年、プロデュース事務所「オフィス・シロウズ」を設立し、代表に就任。その後も中江裕司や李相日、沖田修一らを送り出した。』❱
とある。

そうだったのかア~~~。。!
始めから映画界じゃなかったんだねぇ。
けれど。
その『星空のマリオネット』。どうして、これだったのか 。。?佐々木史朗と橋浦方人との関係とかは、まだ良く解らない。

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