山本兼一(垣根涼介から)


たまたま、160回直木賞候補作の中に、垣根涼介の『信長の原理』があったのを知った。

私としては、垣根涼介に受賞してほしかったとの思いがわいた。

そんなことがあり、秩父のブックオフで『光秀の定理』を見つけて、改めて読んだ。『光秀の定理』との題になっているけれど、その定理の出所となっている、破戒僧の愚息、と新九郎に、より近しい思いを感じて、このような人間を登場させた垣根涼介(の小説)を、また一段と評価した。


そうして、山本謙一の『信長死すべし』をまた読み出した。



山本謙一。

この作家(の小説)との最初の出会いは、なんだったろう?

もう記憶が曖昧だ。『火天の城』だったかもしれない。?

ともかく。山本謙一にはまって、山本謙一の小説を全部読んだ。

私の印象の中では、山本謙一の小説は織田信長との因縁が深い。

いささか、記憶が曖昧になってしまっているのだけれど。

『弾正の鷹』の鷹匠、『雷神の筒』の鉄砲鍛冶師、『いっしん虎徹』の刀剣士(刀鍛冶師、研ぎ師、目利き者、刀剣商など)、もちろん『火天の城』の大工石工、など、総ては織田信長と関連している。

そうして、『信長死すべし』だ。

もちろんそれだけでなく、『神変役小角絵巻』や『命もいらぬ名もいらず』などもある。けれど。



山本謙一は、織田信長に並々ならぬ関心を持っていた、と思う。

しかり。

私は浅学にして詳しくは知らないのだけれど。山本謙一を通して知る織田信長は、まさに非凡なる傑物人だったと思える。

何よりも、帝王になろうとしたのだった。然るに、帝(天皇)との対立は避けられないことだった。

例えば、徳川幕府は。朝廷を縛り付けることはしたけれど、徳川家将軍自身が帝王になろうとはしなかった。

けれども、織田信長は違っていた。そうして、朝廷(時の帝、おおぎまち天皇)とぶつかることになった。然るに。かの、本能寺の変の、背景、を描いている。



  追伸

垣根涼介の『信長の原理』(直木賞候補作だった)を読み出している。そうして、織田信長に私もけっこうな関心を持った。『信長の原理』に関して。続く。





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