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映画カメラマン、ハスケルウエクスラー

1926.2.6. イリノイ州シカゴ出身。
『ウ゛ァージニアウルフなんか怖くない』(66)と『ウディガスリー/わが心のふるさと』(76)で、二度のアカデミー賞撮影賞受賞の、映画カメラマン。

1966『バージニアウルフなんかこわくない』、1967『夜の大捜査線』、68『華麗なる賭け』、
'73『アメリカングラフィティ』
75『カッコーの巣の上で』、76『ウディガスリー/わが心のふるさと』、78『帰郷』、88『カラーズ/天使の消えた街』、
96『狼たちの街』、など。 以上、劇映画の撮影。

アメリカを代表するリベラルな映画人として有名。政治色ある映画を、ドキュメンタリー映画も含め、多く手懸けている。
『バージニアウルフなんかこわくない』で、望遠レンズや手持ちカメラを駆使し、リチャード・バートンとエリザベス・テイラーの演技を臨場感溢れる映像で捉え、その斬新な映像表現によりアカデミー賞撮影賞受賞。

その他にも、
・・ジェームズ・ウォン・ハウの助手を努めた『ピクニック』('55)では、ラストシーンに大規模な空中撮影をおこなった。(ピクニックはアカデミー賞作品賞ノミネート映画)
・・追加撮影を担当した『天国の日々』(78。音楽エンニオ・モリコーネ、主演リチャード・ギア)では、撮影監督ネストール・アルメンドロスがアカデミー賞撮影賞受賞。
・・『ブレードランナー』(82)では、駆け出しだった、姪のダリル・ハンナを撮影した。(スタッフには彼のクレジット名はなし)
・・『カッコーの巣の上で』では、撮影以外にも脚本や演出補佐においても貢献していたが、製作者であるソウル・ゼインツやマイケル・ダグラスから突然解雇された。 当時ベトナム戦争反戦活動に関わっていたなどの憶測が上ったが、真相は不明。
・・2003年、国際撮影監督協会は、映画撮影史上、最も影響力あった人物に選出した。
ウ゛ィットリオ・ストラーロ、ジェームズ・ウォン・ハウ、コンラッド・L・ホール、フレディ・ヤング、ゴードン・ウィリス、ジョーダン・クローネンウェス、ウ゛ィルモス・フィグモント、グレッグトーランドらと並んで。

なかなか凄い人だったんだなぁ、と思ったわけでした。

『夜の大捜査線』に関しては、前記した。

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*ウ゛ィットリオ・ストラーロは、『地獄の黙示録』(79)『レッズ』(81)『ラストエンペラー』(87)と、三度もアカデミー賞撮影賞受賞。他、ベルトリッチ監督との仕事が多い。

*コンラッド・L・ホールは、『暴力脱獄』(66)『明日にむかって撃て』(69)『マラソンマン』(76)、そして『アメリカンビューティ』(99)と『ロードトゥ・パーディション』(02)で二度撮影賞受賞。

*フレデイヤング
ロンドン出身。
1962年『アラビアのロレンス』
1965年『ドクトル・ジバゴ』
1970年『ライアンの娘』で、アカデミー賞撮影賞受賞三度。

*ゴードン・ウィリス
『ゴットファーザー』(72)『大統領の陰謀』(76)『カイロの紫のバラ』(85)『推定無罪』(90)

*ウ゛ィルモス・スィグモンド
『スケアクロウ』(73)『未知との遭遇』(77。撮影賞受賞)『ディアハンター』(78)『天国の門』(80)『イーストウィックの魔女たち』(87)『マーウ゛ェリック』(94)

*グレッグ・トーランド
『嵐ケ丘』(39)で撮影賞受賞。『怒りの葡萄』(40)『市民ケーン』(41)

*ジョーダン・クローネンウェスは『ブレードランナー』の撮影カメラマン。

ジェームスウオンハウ
(中国広東省台山市出身)
に関しては、改めて別記したい。ヘンリー小谷と共に。


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