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ネパールへ。バグタプルで

前に、『僕には旅が必要だった』とか『あの感覚はもうなくなってしまった』とか題して書いたことがあった。
そう、今ではもうスッカリなくなってしまった(と思っていた)あの感覚を、私は、2019年11月に行った、ネパールのバクタプルで久しぶりに味わった。
というか、たんなる方向感覚の間違いだったか。?

道に迷ったのだ。
あの感覚がなくなってから、私は道に迷うことは、ほぼなくなっていた、はずだった。
初めての場所で、途方にくれてしまった、という感覚。自分はどこにいるのかわからない、どちらへ行ったらいいのか判断できない、あてもなくブラブラ歩きまわってみている様な楽しさもない、そんな感じ。

世界各国に、お仏舎利塔を建てている日本山妙法寺という、日蓮宗系のグループの、インドのラージギル王舎城の仏舎利塔落慶50周年記念法要に合わせて、インドとネパールでの平和行進が行われて、
私は、このネパールでの平和行進に参加する予定で、一人で向かったのだ。
なるべく安いチケットにした結果、中国成都乗り換えの飛行機。成都で約1日待機。国際空港のはずの成都空港で、その待機時間中、(私達にとっては普通の)インターネットに接続できない経験をした。
降りたカトマンズ空港は、空港ビルが改装中で、飛行機からバスへ歩いて乗って、バスからおりて、また少し歩かなければいけなかった。
そうして、カトマンズ、ポカラ、ルンビニ、と移動、またカトマンズに戻って、平和行進グループ達を見おくって、一人になって、パタンからバスで、バグタプル、ナガルコット、と移動した。
その、ナガルコットへ行く前の、バグタプルでのこと、だった。

Kathmandu南部のパタンでバスに乗って、
バグタプルの、Hospitalそばのバス停でおりて、Durbar広場の西側入り口で入場料1500R払い、Taumadhi広場の南側で宿屋を見つけて、その翌日に、東側のバス停へ、歩いて行った。
その帰り道で。東側のバス停からDuttatraya広場へ向かう途中で、迷った。
また東側の方へ出てしまったのだ。
私が、行ったのは貯め池(Pokhari)がある方のバス停、出てしまったのはその南側の方。
今から思えば、曲がる道(方向)を間違えた、と解るのだけれど。
どうして、何故に、東側の方へ曲がってしまったのだろう?
方向感覚が狂ったのは明らかだった。&どうして方向感覚が狂ってしまったのだろう?
そこが、不思議なのだ。

だからといって、もう途方にくれることはなくなっていた。
旅先での心細さはどこにも感じられなかった。

・・・・
これは、成長したってことなのだろうか。?


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