真相はただ一人の胸の内に…… 『落下の解剖学』
■あらすじ
フランス山岳部の山荘で、一人の男が死んだ。男の名はサミュエル。山荘の外に倒れて動かなくなっている彼を、犬の散歩から帰ってきた11歳の息子が発見したのだ。家にいたのは、妻サンドラだけだった。
当初は転落事故だと思われていたが、警察の検視によって、事件の疑いが濃厚になってくる。
サミュエルの致命傷は頭部の深い傷。倒れていた場所の近くにはこれは物置小屋があり、その壁には被害者の血が付いている。だが物置の屋根には被害者がぶつかった痕跡がく、地面に落ちた後から壁に血が飛び散ることもあり得ない。これは被害者が、転落以前に頭を強く殴られたことを意味する。
警察は殺人容疑者としてサンドラを逮捕。彼女が有名な小説家だったこともあり、事件は世間の注目を浴びることになる。無実を訴え保釈も認められたサンドラだったが、裁判では彼女に不利な証拠が次々に提出された。
事件の直前、夫婦は深刻な危機を迎えていたのだ……。
■感想・レビュー
昨年(2023年)のカンヌ映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞したフランスのミステリー映画。アメリカのアカデミー賞でも、脚本賞を受賞している。
謎解きミステリーは小説や映画やドラマの世界で山ほど作られていて、およそありとあらゆるアイデアは既に出尽くしていると思う。その中でこのミステリー映画が改めて高い評価を受けているのは、この映画が謎解きミステリーの形式で観客を引き付けながら、謎解きミステリーだけでは追えない人間の真実を描き出しているからだと思う。
主人公は小説家のサンドラだが、この映画は彼女を軸に物語を組み立てながら、彼女の内面には踏み込まない。彼女が何を考え、何を見て、何をしたのか。殺人容疑者である彼女しか知らない真実を、この映画は描かない。
映画の中で回想シーンとして描かれる場面が何ヶ所かある。だがその回想シーンも、謎解きに関わるような重要な場面になると、この映画は画面から隠してしまう。回想シーンは実は誰の回想でもなく、法廷に提示された証拠品から、その場にいる人々が想起した「あり得たかもしれない事実」の提示に過ぎない。
結局、全てはわからない。わからないが、そのわからなさを放置したままで、我々は生きていかねばならない。
弁護士のヴァンサンは、わからないものを遠ざけて生きることを選んだ。一度は受け入れようとしたが、彼の中の何かがそれを拒むのだ。だがダニエルは、わからなさを受け入れて生きるしかない。彼はその理不尽さを、自ら自覚的に選び取る。
サンドラを演じたザンドラ・ヒュラーがすごかった。下手な役者が演じれば、この役は邪悪なパワーで周囲を翻弄するモンスターになるか、それとは正反対に、運命に翻弄される哀れなヒロインになってしまったと思う。だがこの映画は彼女をそうした二分法のヒロインにはせず、両者の中間で危うい綱渡りを演じさせ、最後まで無事に渡りきらせることに成功している。
(原題:Anatomie d'une chute)
TOHOシネマズシャンテ(スクリーン3)にて
配給:ギャガ
2023年|2時間32分|フランス|カラー
公式HP:https://gaga.ne.jp/anatomy/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt17009710/
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