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本棚の中の聖書(後編)

手持ちの聖書を紹介する「本棚の中の聖書」ですが、(前編)では日本聖書協会の発行する協会共同訳、新共同訳、口語訳、文語訳などを紹介し、(中編)では共同訳、文語訳聖書の明治元訳、新改訳2017と新改訳、フランシスコ会訳、バルバロ訳、岩波訳などを紹介しました。

今回の(後編)では、個性的な個人訳や、聖書と呼べるかどうか微妙に感じる、少し特殊な聖書を紹介したいと思います。


新約聖書 塚本虎二訳

無教会派の聖書研究者、塚本虎二(1885〜1973)の訳した新約聖書が出版されています。最もよく知られているのは、岩波文庫版の「新約聖書 福音書」だと思いますが、それも含めて手持ちの塚本訳聖書が何冊かあるので紹介します。

新約聖書 福音書(岩波文庫)

戦前に訳者が個人雑誌「聖書知識」に少しずつ訳出していた新約聖書は、戦時中の1944年に全部の翻訳が完成しました。しかしこれはまとめて出版されることはなく、戦後に改訂して部分的に分冊発行されました。

この分冊聖書の中から、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書だけを1冊にまとめたものが、1963年に岩波書店から文庫本で出版されています。これが今でも、現役商品として岩波文庫の目録に残っているのだから立派です。

僕が持っているのは1999年の第48刷で、コート紙のカバーが付いた新装版。古書店で入手しましたが、同じものは今でも新品で購入可能です。

新約聖書 使徒のはたらき(岩波文庫)

1966年に分冊として発行された塚本訳の「使徒のはたらき」を、訳者が亡くなったあと、1977年に岩波文庫に収録したものです。コート紙のカバーが付いた新装版も出ていたようですが、旧版ともども現在は版元品切れになっています。

僕が持っているのは1977年の第1刷で、グラシン紙のカバーはもちろん帯もない、裸でボロボロの状態のものを、銀座教文館に出店されていた古書店の棚で見つけて購入しました。ボロボロではあるけれどこれは経年劣化で、状態はさほど悪いわけではありません。自分ですぐにグラシン紙のカバーを付けて、大事に保管しています。

下記の新教出版社版を購入した後に入手したので、訳文の資料として用いるなら、改めて購入する必要がなかった本です。でも本棚に揃えておきたいので買ってしまいました。

塚本虎二訳 新約聖書(新教出版社)

岩波文庫に収録されている「福音書」と「使徒のはたらき」以外の文書も一堂に集め、塚本訳新約聖書を集大成したものです。編者は塚本虎二訳新約聖書刊行会。「福音書」と「使徒のはたらき」については、岩波文庫版が底本になっています。 2011年発行。

こんなもの読まないのです。読まないとわかっていたけれど、つい買ってしまいました。

このあとも2014年に聖書知識社から、雑誌「聖書知識」に掲載されていた訳文をまとめた「新約聖書 試訳」というものが出ています。しかしこちらについては、僕は未購入です。

「聖書知識」掲載分に改めて筆を入れた結果が、分冊版や岩波文庫版だと思うので、塚本訳の最終的な形としては、新教出版社版を底本にすべきだと思っているのです。

旧約聖書 関根正雄訳(岩波文庫)

岩波文庫の新約聖書は塚本虎二訳ですが、旧約聖書は塚本と同じく内村鑑三の無教会派に属していた関根正雄(1912〜2000)が訳していいます。

岩波文庫からは分冊版が出ていますが、これだけでは旧約聖書の全訳になりません。全訳版は教文館から「新訳 旧約聖書」というかたちの4分冊で出版され、その後に合本版も出版されました。

しかしこれは値段が高くて、専門家でも何でもない素人聖書コレクターとしては、とてもとても手が出せません。

そんなわけで、僕が持っているのは岩波文庫版だけです。しかしこの岩波文庫版は教文館の全訳版より注が充実していて、資料としては優れていると、新約聖書学者の田川建三が評価してました。(田川訳については後述。)

以下のリストが、僕が持っている関根訳旧約聖書です。これで岩波文庫版の関根訳は網羅しているはずです。すべて古書店で手に入れて、購入順もバラバラですが、とりあえず初版出版年順に並べておきます。

旧約聖書 創世記

これだけはコート紙のカバーが付いた新装版です。岩波文庫版の関根訳聖書としては初版1956年で一番古いのですが、1967年に一度改版された結果、品番が若くなってしまいました(青 801-1)。

僕が持っているのは1988年の44刷です。これはまだ新品で購入できます。

旧約聖書 サムエル記

昭和32年(1957年)第一刷で、僕が持っているのは昭和48年(1973年)の第六刷です。現在は版元品切れ。

旧約聖書 エレミヤ書

1959年第1刷発行。僕が持っているのは1976年の第8刷です。現在は版元品切れ。

旧約聖書 イザヤ書 上

昭和36年(1961年)第一刷。手持ちは昭和49年(1974年)の第七刷。現在は版元品切れ。

旧約聖書 イザヤ書 下

昭和40年(1965年)第一刷。持っているのは昭和49年(1974年)の第七刷。現在は版元品切れ。

旧約聖書 エゼキエル書

昭和38年(1963年)第一刷発行。僕の手持ちは昭和49年(1974年)の第六刷。現在は版元品切れ。

旧約聖書 十二小預言書 上

昭和42年(1967年)第一刷。持っているのは昭和49年(1974年)の第六刷。現在は版元品切れ。

旧約聖書 十二小預言書 下

昭和42年(1967年)第一刷。これは上記「上巻」の翌月に出たようです。僕の持っているものは、昭和48年(1973年)の第四刷。現在は版元品切れ。

旧約聖書 出エジプト記

昭和44年(1969年)第一刷。手持ちは昭和48年(1973年)の第六刷。現在は岩波文庫から、カバー付きの新装版が出ています。

旧約聖書 ヨブ記

手持ちは昭和46年(1971年)の第一刷です。現在は岩波文庫から、カバー付きの新装版が出ています。

旧約聖書 詩篇

昭和48年(1973年)第一刷。昭和49年(1974年)第三刷を持っている。版元に在庫があるので、現在でも新品で手に入れられます。

新約聖書 前田護郎訳

無教会派の新約聖書学者・前田護郎(1915〜1980)が、新約聖書を訳しています。僕が持っているのは以下の2冊です。

世界の名著 12 聖書(中央公論社)

新約聖書から、四福音書、ロマ書、ピレモン書の訳が収録されています。ただしこれについては、別項目として後述します。

新約聖書 前田護郎訳(中央公論社)

昭和58年(1983年)に出版された、前田護郎訳新約聖書の全訳版です。訳者は1980年に亡くなっているのですが、訳と注の原稿や一部の校正は既に完成していたことから、関係者が残りの仕事を引き継いで完成にこぎ着けたそうです。

僕は上記の「世界の名著」は持っていたのですが、全訳があることを知ってどうしても欲しくなり、ネット通販で古書を購入しました。背表紙が日焼けしていましたが、他の状態はさほど悪くありませんでした。ハードカバーの上製本です。

詳細な注が入っているのが特徴です。

中公版が絶版になった後、2009年に教文館から「前田護郎選集 別巻 新約聖書」として新装版が発行されています。僕は未購入です。

世界の名著 12 聖書(中央公論社)

中央公論社が出した「世界の名著」シリーズの12巻として、旧約聖書の一部と新約聖書の一部を収録した巻が出ました。昭和43年(1968年)初版。箱入りハードカバーで、この巻の責任編集者は前田護郎でした。

この巻には「聖書の思想と歴史」と題した前田護郎の解説的エッセイに続き、中沢洽樹(1915〜1997)の訳した旧約聖書の以下の書が収録されています。

  • 創世記

  • 出エジプト記

  • イザヤ書

  • 伝道の書

これに続いて、前田護郎訳で新約聖書の以下の書が訳出されています。

  • マタイ福音書

  • マルコ福音書

  • ルカ福音書

  • ヨハネ福音書

  • ローマ書

  • ピレモン書

「世界の名著」シリーズは、今でも古書店でバラ売りされているものを安く手に入れることができると思います。日焼けなどはあっても、おそらく状態はそれほど悪くなっていません。僕が持っているものには、付録の月報も付いていました。

昔は「教養」のために文学全集などを購入するブームがあり、その中でこうした本も売れていたのです。でも購入者の多くは、買っただけで読まなかったのでしょう。そのため状態の良いものが、そのまま古書市場に出てくるわけです。

「世界の名著」は僕が持っている箱入りハードカバーのあとに、「中公バックス 世界の名著」という軽装版のシリーズが出ました。「聖書」はその13巻として出ていますが、本文の内容はおそらく同じだと思います。(僕は持っていません。)

この中の旧約聖書の部分については、中央公論社から中公クラシックスの1冊として、2004年に新書サイズの新装版が出ています。新約聖書も出すつもりだったのかもしれませんが、中央公論社の倒産でこのシリーズ自体が中断してしまいました。(現在は中央公論新社から電子書籍版が出ています。)

中公クラシックス版の旧約聖書はAmazonにかなり辛辣な評が載っていたりするのですが、原本の出版年が古いので、それを最新の翻訳聖書と比較して良いとか悪いとか論じても意味がないような気がします。

ニューバイブル 新約聖書 泉田昭訳(日本国際ギデオン協会)

キリスト教伝道のために、世界中のホテルや病院に聖書を寄贈している国際ギデオン協会という組織があります。「ニューバイブル」はその日本支部が2006年から配布している日本語訳聖書で、訳者は泉田昭(1931〜2021)という福音派牧師です。

ギデオン協会の聖書はさまざまな訳が使われているのですが、聖書の印刷配布に際しては、訳文の著作権使用料を日本聖書協会や新日本聖書刊行会に支払わねばなりません。その費用を節約するために、泉田牧師の個人訳が選ばれた……という話を、以前どこかで目にしたことがあります。

僕は最近どこかの教会を訪問したとき貰ったのですが、本文が泉田訳だとわかったときは大喜びしました。ギデオン協会の聖書は非売品なので、こうした機会がないと手に入れられないからです。

サイズは文庫サイズで、紙表紙の軽装版。本文428ページ。文字はこのサイズの聖書の常で小さいのですが、フォントがゴシック体、インクがブルーブラックというのは珍しい仕様だと思います。

新約聖書 田川建三訳(作品社)

現代日本の聖書読み(?)が一度は通る「田川建三ブーム」の中で、僕も著者の本を何冊か購入して読みました。その結果、当然のように購入したのが「田川訳新約聖書」です。

分冊発行されてすでに全巻の訳が終わって完結していますが、僕は最初の2冊だけ買って息切れし、その後、本文の訳だけまとめたものを購入しています。

もともと「訳と註」は全6巻の予定だったのです。それが途中で全8巻に変更になったのです。ここで僕は、ちょっと心が折れました……。

でも、いずれ全巻揃えたい聖書ではあります。

新約聖書 訳と註 3 パウロ書簡 その一

2007年8月発行の第1刷。新約聖書から真正パウロ書簡とされる、テサロニケ一、ガラティア、コリントス一、コリントス二を収録しています。

これを手に取って驚いたのは、その膨大な註のボリュームでした。総ページ数はノンブルを振ってあるページだけで572ページですが、そのうち83ページで本文の訳は終わってしまい、残り400ページ近くが本文の註や解説にあてられています。

じつはこの註こそが、田川訳の魅力なのです。

聖書記者(この巻ならパウロ)や教会の護教的な聖書解釈の通説を批判したり、既存の聖書訳をこき下ろしたり、他の聖書学者の説を木っ端微塵に論破粉砕したりする様子は、読んでいて痛快です。

著者のファンはこういうのを「田川節」と呼ぶわけですが、凸凹の道を巨大なブルドーザーが地ならししていくような爽快感があります。乱暴すぎるような気もしますけれど……。

箱入りハードカバーの上製本ですが、この箱がちょっと特殊で、底のない筒型になっています。この仕様は評判が悪かったようで途中で通常の箱に変更され、結果として本棚に並べたとき揃わなくなってしまいました。

箱の出口の側を手前に向けて、すべて本体の背表紙が見えるようにすればいいのかな……。まあそれは、今後他の巻も買い揃えたときに考えます。

新約聖書 訳と註 1 マルコ福音書/マタイ福音書

2008年7月発行の第1刷。総ページ数は874ページで、本文の訳は124ページまで。つまり註と解説が750ページぐらいあります。

この圧倒的なボリューム感で、僕はポキリと心が折れました。これ以降の「訳と註」には手を出せないまま、現在に至っています。

新約聖書 本文の訳

著者の「新約聖書 訳と註」が全巻完結した2017年の翌年、本文だけを抜き出して1冊にまとめたものが出ています。

「訳と註」と同じサイズの上製本と、少し小型でソフトカバーの「携帯版」が出ましたが、老眼に携帯版は辛いので、上製本の方を購入して持っています。2018年7月第1刷。

特徴としては、通常の新約聖書の文書配列とだいぶ異なります。共観福音書がマルコ先行なのは岩波訳なども同じですが、田川訳はルカ文書として福音書と使徒行伝を並べて、その後にヨハネ伝を置いています。

パウロ書簡、疑似パウロ書簡、公同書簡、黙示録などの並びは、基本的に岩波訳と似ていますが、大きく違うのはヨハネの黙示録の扱い。この聖書では、ヨハネ黙示録が2種類収録されているのです。

これは「訳と註」に詳しいのでしょうが、著者はヨハネの黙示録について、原著に後代の編集者が大幅な加筆をしたものだと考えており、しかも原著と加筆箇所は原文ギリシャ語の文体から比較的明確に区別できるとしています。

そこでこの新約聖書には加筆後の本文(一般的に知られているヨハネの黙示録の本文)の後に、加筆前の「原著」の本文が訳出されているのです。

ヨハネの黙示録の二段階成立説や、その説に基づいて原著を復元しようとすることが正しいのかどうかはわかりませんが、今後の聖書学の発展で田川説に多くの賛同者が現れるなら、通常版と原著を併行させたこの新約聖書は、歴史的な書物として高い評価を受けるようになるかもしれません。

ガリラヤのイエシュー 日本語訳新約聖書四福音書 山浦玄嗣訳(イー・ピックス出版)

新約聖書の四福音書を、生まれ故郷である宮城県気仙沼地方の方言(著者の言うケセン語)に訳したカトリック信徒の医師・山浦玄嗣が、改たな試みとしてギリシャ語本文から訳した四福音書です。分冊発行された「ケセン語訳聖書」の合本ではありません。

「イエシュー」はギリシャ語本文から音訳した「イエス」の名です。伝統的なカトリック訳ではラテン語経由でイエズス、共同訳ではイエススになっていますが、山浦訳だとイエシューになるわけです。

新約聖書の福音書には、さまざまな地方出身の、さまざまな階級の人々が登場します。それを日本語に訳す際、適切と思われる各種方言に置き換えたのが本書です。

例えば、イエシュー(イエス)と弟子たちや周囲のガリラヤ地方の人たちは東北弁を話していますが、東北弁にもさまざまな方言があるので、それを状況に応じて丁寧に訳し分けています。

イェルサレムと近郊の村の人たちや祭司は京都弁。商人たちは大阪弁。ユダヤ地方は山口弁で、ギリシャ人やローマ人は長崎弁や鹿児島弁。地の文や王族たちの言葉、説教などは、幕末期の日本語風に……といった具合です。

聖書的な専門用語もそれぞれ日本語として工夫してあるので、聖書と言うより時代小説を読んでいるような気分になると思います。ウォールター・スコットの騎士道小説「アイヴァンホー(黒騎士)」を、時代劇のような言葉づかいで訳している例がありますが、それに通じる翻訳です。

訳文は原文ギリシャ語から訳されていますが、それだけでは意味が通じにくいところは著者が補っています。その場合、補った部分がわかるように何文字分か字下げしているのは、訳者としての著者の誠実さだと思います。

僕が持っているのは2011年の第1版第1刷です。

リビングバイブル(いのちのことば社)

専門的な言葉を使わず、聖書を初めて読む人でも意味がわかる現代語に訳すという意図で刊行されたのが、1971年にアメリカで出版されたリビング・バイブルです。いのちのことば社からは、その日本語訳が出ています。

これまで紹介してきた聖書が(実態はともあれ)ヘブライ語やギリシャ語の聖書原文からの翻訳なのに対して、リビングバイブル日本版は英語版からの重訳になります。

原本である英語版リビングバイブルも他の英語訳聖書から日常語にリライトしたものですから、日本語版は重訳をさらに重訳したものと言えます。そんな成り立ちですから、僕はリビングバイブルを「もっとも聖書に忠実な聖書物語」だと考えるようにしています。

日本語版の新約は1975年、旧約は1978年に初版が発行され、現在も発行されている「聖書」です。初版から何度か版が改められていますが、僕は以下の2種を持っています。

新版 リビングバイブル 旧約

1983年初版、1993年新版初版とあるものを持っています。旧約新約の分冊になっているものの旧約編です。

新版 リビングバイブル 新約

1984年初版、1994年新版再刷というのを持っています。これは上記の旧約と同時に、古書店で手に入れたのだと思います。

リビングバイブル 新約 NEW VERSION

巻末の説明や奥付を見ると、これは「リビングバイブル 新約」の第4版という扱いになっているようです(初版は1995年、第2版は1984年、第3版は1993年)。第4版は2011年発行。新書サイズのカジュアルスタイルです。

この時は新約しか発売されなかったリビングバイブルですが、2016年に旧新約の合本と新約の新版が出ました。

聖書 新世界訳(ものみの塔聖書冊子協会)

キリスト教系の新宗教団体である「エホバの証人」が使っている、独自訳の聖書です。僕が持っているのは、1985年の日本語版で、底本は英文新世界訳聖書(1984年改訂版)だそうです。つまり重訳です。

この聖書の最大の特徴は、他の聖書では「主」と訳されることが多い神の名を、「エホバ」という固有名詞にしていることです。じつは他の日本語訳聖書でも、文語訳は旧約聖書の中で神の名を「ヱホバ」と訳しています。「エ」と「ヱ」の違いはありますが、英語の「Jehovah」を日本語に訳したものです。

「エホバ」表記が悪いわけではありません。今でも格調高い英訳聖書として親しまれているKing James Versionも、旧約には「Jehovah」を使っています。しかしそのKJVでも、新約聖書に「Jehovah」は登場しません。もともと原本であるギリシャ語の聖書に、該当する神の名の記述がないからです。

もともと原本になかった「Jehovah」を新約聖書に登場させたのには、エホバの証人なりの言い分があります。しかし現在ではこれが、新世界訳聖書と他の聖書訳の最大の違いになっていることは確かです。

新世界訳はこれ以外の箇所でも、教団の教義に合わせて訳を調整しているようです。そのため初めて聖書を読む人に、この訳はお勧めしません。

もちろんエホバの証人の信徒がこの聖書を読むのは自由なのですが、それ以外なら、ある程度聖書を読むのに慣れた人が、エホバの証人の聖書解釈を調べるために他の訳と付き合わせながら読むものがいいと思います。

新世界訳聖書は他の聖書と同じくたびたび改版されていて、僕の持っている1985年版は古すぎるようです。いずれ機会があれば、新しい新世界訳を手に入れたいと思っています。(路上伝道している証人にお願いすれば、譲ってもらえるかなぁ……。)


僕が持っている日本語聖書は、だいたいこれでおしまいです。

手持ちの英訳聖書が何冊かあるのでそれも紹介しようと思いましたが、かなり長くなったのでここで一度切り上げます。英訳聖書については、また別の機会にご紹介できればと思います。

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