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『コンドル』ミステリ・オタクのロバート・レッドフォードがCIAに立ち向かう! 町山智浩単行本未収録傑作選15

文:町山智浩

初出:『映画秘宝』2013年7月号

「CIAの陰謀だ」
 筆者が子供の頃、大人たちはやたらとそう言った。
 具体的には、1963年、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領暗殺はCIAがやらせた、と言われていた。ゴ・ディン・ジエムは社会主義の北ベトナムに対抗するためにアメリカが擁立した大統領だが、横暴な独裁で国民の支持を失った。困ったアメリカは軍部を操ってクーデターを起こさせ、ジェムを殺した、というのだ。
 そんな話は数え上げたらキリがない。1951年、イランの選挙で選出されたモハマンド・モサッデク首相は石油の国有化を宣言した。それまで、中東の石油の利益は英米の石油会社に独占され、産油国はわずかな金額しか得られなかったからだ。するとCIAは53年に皇帝と軍部を使ってクーデターを起こし、モサッデグ政権を倒した。その後、皇帝と軍部は英米と手を組んで石油利権を独占し、国民は貧困に苦しんだ。それが、1979年のイスラム革命の原因になった。
 1967年、ギリシャで普通選挙によってソ連に親和的な中道政権が成立しそうになったとき、CIAは陸軍のパパドプロス大佐を後押ししてクーデターを起こさせた。大統領になったパパドプロスは、秘密警察を使って国民の監視、拷問を続け、73年にクーデターで失脚するまで独裁者として猛威を振るった。
 1970年、チリの大統領選挙で、社会主義を掲げたアジェンデ氏が勝利すると、南米に第3のキューバが生まれることを恐れたCIAは、ピノチェト将軍率いるチリ軍にクーデターを起こさせた。ピノチェトは戦車で首相官邸を攻撃し、アジェンデ大統領は死亡。反対派3万人以上を殺害して大統領の座を手にしたピノチェトは、88年に国民投票で敗北するまで、チリ国民を苦しめた。
 2009年6月、オバマ大統領はエジプトのカイロ大学で行った演説で、イランのモサッデク政権を転覆させたことを謝罪した。
 そんなCIAの陰謀を描いた『コンドル』(75年)は、40年近く経った現在観ても、何ひとつ古びていない。ジェームズ・ボンドのようなタフガイではなく、スパイですらない、末端のCIA職員がたったひとりで、世界を操る組織を翻弄する物語だ。
 映画はデイヴ・グルーシンの超クールなジャズで始まる。ジャズを使った映画って最近、減ったよなあ。
 舞台はニューヨーク。アッパー・イーストサイドのビルにある「アメリカ文学史協会」。職員たちは古今東西の書物をスキャンして保存している。よくある退屈な教育団体のようだ。ここで働く主人公ターナーは、当時の二枚目スター、ロバート・レッドフォードが演じるが、野暮ったいツイードのジャケットにジーパン、銀縁メガネにボサボサの髪、という、いかにもこういう団体の職員っぽいダサさ。モぺットで出勤するのだが、ものすごくのろいので周りの自動車を困らせている。
 ただ、ターナーはちょっと不良職員で、この朝も遅刻して、入口の警備用カメラに映る時、ふざけて毛糸の帽子で顔を隠した。すると不審に思った受付の女性が机の引き出しを開ける。そこにはコルト45オートが入っている。こんな図書館みたいな職場に銃が必要なのか?
 実はアメリカ文学史協会は、CIAの下部組織である。CIAには海外でスパイとして活動する者もいれば、当然、ただの事務職だっている。便宜上、ここでは「CIA」と書いてしまうが、この映画のセリフではほとんど「カンパニー」と呼んでいて、CIAという言葉は30分以上経たないと出てこない。
 ターナーの仕事は世界中のミステリ小説を読むこと。他の職員が弾丸を消すトリックについて論議していると、ターナーは「氷で弾丸を作れば」と推理する。ディスカヴァリー・チャンネルの『伝説バスターズ』で実験したら、氷の弾丸は発射時に木端微塵になってしまうので使い物にならないと判明したが、この当時は使えると思われていたのだ。
 ターナーは近所のデリにサンドイッチを買いに行き、店員相手に蘊蓄を披露する。「ゴッホは30過ぎて絵を描き始めた」「モーツァルトは3歳でピアノを弾いて、6歳で作曲を始めた」「ゴッホは生きてる間に1枚でも絵が売れたのかな? モーツァルトは天才だったけど野たれ死んだね」
「あんたはニューヨーク市立図書館で働いているのか?」。店の客がターナーの博識に目を丸くする。「まったくこの店は勉強になるよ」
 その間、アメリカ文学史協会に郵便配達員が訪れた。
 カチカチカチカチカチカチ!
 乾いた金属音と共に、受付の女性が椅子に座ったまま吹っ飛んだ。
 配達員がポンチョの下から出したのは、大型のサイレンサーをつけたイングラムM-10サブマシンガンだ。実際にこの映画のように音が小さい。このオフィスではコピーマシンやスキャナーがウィーンウィーン唸っているので、誰もマシンガンで虐殺が始まったことに気づかない。自分が撃たれるまでは。
 最後の犠牲者は、中国系の女性ジャニス。ターナーのガールフレンドだ。
 窓際に追い詰められたジャニスに、殺し屋を引き連れた黒縁メガネの紳士(マックス・フォン・シドー)は、静かにこう言った。
「お嬢さん、窓から離れていただけますか?」
 窓が弾丸で割れて、外に知られてしまうから。ジャニスは落ち着いてこう答えた。
「私は叫びません」
「でしょうね」殺し屋は窓に弾丸が飛ばない角度からジャニスを撃った。この辺の描写が静かだが、逆に怖い。

●コードネーム「コンドル」

 職場に帰って来たターナーは、惨劇を見て、ビルから逃げ出し、公衆電話から電話する。警察ではない。
「コードネームは?」
「コンドルだ」
 そこは世界各地で窮地に陥ったCIA職員を助ける「パニック・センター」。
「僕以外、全員皆殺しにされた!」
 ターナーの叫びを聞いても落ち着いているパニック係員を見て、観客は察する。こいつは襲撃を知っていた、と。
 しかし、なぜ、平和に本を読んでいるだけの部署を全員抹殺しなければならないのか?
 CIAが派遣した「清掃員」が現地で証拠を隠滅し、報告する。
「冷たいモノ(死体のこと)が6つしかありません!」
 1人逃がした! こうしてCIAによる、コンドル狩りが始まる。
 敵はまず、ターナーの親友サムをエサにする。狭い路地で手を振るサムに近づいたターナーはサイレンサー付の銃を持って隠れていた刺客に気づき、コルト45で撃ち倒して逃げる。瀕死の刺客は気を失う前に、立ち尽くすサムを始末する。
 誰も信じられない。ターナーは行きずりの女性キャシー(フェイ・ダナウェイ)を銃で脅して人質にし、彼女のアパートに隠れる。
「僕はCIAの職員だ」
 ここで初めて、CIAという言葉が登場する。
「君の写真かい?」
 キャシーは写真家だった。その写真は、枯れ木、誰もいない公園、ベンチ……。
「なんて孤独な写真なんだ」と言いながらターナーは微笑む。「でも、いい写真だ」
 キャシーは気づく。彼が凶悪な犯罪者などではなく、何かの事情で逃げている善良な男だと。まあ、ハンサムなロバート・レッドフォードだからねえ。
「コンドルはアマチュアです。だから行動が予測不能なんです」
 殺し屋のリーダー(役名はジョベール)がCIAの幹部らしき男と路上で会話している。他の人が近づくと、2人はさっと言葉をフランス語に変える。ジョベールはヨーロッパ人で、CIAに雇われた殺し屋。007のせいで、スパイは自分で人を殺すように思うが、ちょっと考えると公務員が直接、殺人をするわけがない。バレたら大問題になってしまう。実際はこういう汚れ仕事はその道のプロに外注するわけだが、当時、それをはっきり映画で言ったのは『コンドル』が最初だったのではないか。
 ターナーはテレビでニュースを見る。アメリカ文学史協会皆殺し事件は報道もされない。サムが射殺された件は、「保険会社の職員」が撃たれたことになっていた。CIAは警察をもコントロールして事件を握りつぶそうとしている。すると、サムの奥さんも危ない!
 ターナーが1人でサムのアパートを訪ねると、夫人は何も知らずに夫の帰りを待っていた。
「今すぐ逃げるんだ」
 無理やりサムの奥さんをエレベーターに押し込むと、代わりにエレベーターを降りて来たのは、ジョベールだった。
 2人はここで初めて会ったが、ジョベールがサムの奥さんを殺しに来たのは明らかだった。ジョベールは写真でターナーを知っている。2人は同じエレベーターに乗るが、他に客がいるので、どっちも手が出せないまま1階までゆっくり降りていく。この緊張感!
 マックス・フォン・シドーは『エクソシスト』(73年)で、バチカンからアメリカに呼ばれる悪魔祓い師を演じたが、ここではヨーロッパからアメリカに呼ばれた殺し屋。ところがあまりに静かで礼儀正しいので、殺し屋というより死神のようだ。人々に死をもたらす死の天使。
「お先にどうぞ」ターナーはジョベールを先にビルから出すと、若者たちに小遣いをあげて、自分の周りに盾のようにして歩かせる。スコープをつけたモーゼルM96を構えて待ち伏せしていたジョベールはがっかり。
 次々と襲うピンチを、ターナーはギリギリのところで機転を利かせて生き延びる。CIAの幹部たちは「奴はいったいどこで実戦経験を積んだんだ?」と不思議がるが、それはターナーが10年以上、ひたすら古今東西のミステリ小説を読みまくった蓄積のおかげなのだ。氷の弾丸は使えないにせよ。要するに『コンドル』はミステリ・オタク対プロ軍団の対決だからこんなに面白い。
 ターナーはキャシーの部屋に帰り、2人はその日、会ったばかりなのに恋に落ちてベッドイン。
「あなたのこと、あまり知りたくないわ。長生きしそうにないから」
「その予想、裏切ってあげるよ」
 このころのフェイ・ダナウェイは輝くように美しい(実際に反対からライトあてて輪郭を光らせている)。今は整形を繰り返しすぎてカマキリみたいな顔になってしまったけど。レッドフォードも皺で干し物みたいだから本当に悲しい。
 2人が結ばれた翌朝、訪ねて来たのは郵便配達員。もちろん殺し屋だ。観客は知っているが、ターナーは知らないから、部屋に入れてしまう。ポンチョからイングラムを出した!
 その瞬間、ターナーは煮えたぎったコーヒーをぶっかける。殺し屋は銃を落としたが、今度はカラテで襲ってくる! 2年前の『燃えよドラゴン』からクンフー・ブームは続いている。乱闘の末、ターナーはコルト45で殺し屋を仕留めて、復讐を果たす。

●「そうか、石油か……石油だな?」

 もう我慢できん! 最大の防御は攻撃だ! ここからターナーの逆襲が始まる。当時はまだインターネットやパソコンはないが、彼がするのはハッカーの手口だ。電話会社に潜り込んで、交換機から直接電話をし、50の回線を連結させて居場所を逆探知させない。そして逆に敵を追い詰めていく。俺たちを殺そうとしたのは誰だ? なぜだ?
「お前はいったい誰だ?」
 CIA幹部アトウッドの豪邸に忍び込んだターナーは、家の主に向かって問う。
「なぜ、俺たちを殺そうとした?……ヴェネズエラの本がそんなに重要なのか? アラブの推理小説が……そうか、石油か……石油だな?」
 やっと虐殺の目的が明らかになると思ったら、銃を持ったジョベールに中断される。
「ここまでは素晴らしかったよ、コンドル君。でも、君がここに来るのは予測できた」
 銃を捨て、観念するターナー。しかしジョベールが撃ったのはターナーではなく、なんとアトウッドだった!
「なぜ? CIAは彼を?」
「依頼を受けたとき、私は理由は質問しない。知りたいのはいつ、どこで、誰を、それだけだ。ただ、きっとアトウッドはCIAにとって厄介者になったんだろう」
「次は僕を始末するのか?」
「え? 君の殺しを依頼したアトウッドは死んだので契約は解除された。今は君を殺す依頼を受けていないよ」
 とはいえ目撃者であるターナーは消す必要があると思うが、どうもジョベールは本気で彼が気に入ったらしい。
「君は優秀だ。私と一緒に働かないか?」
 ヨーロッパに逃げたほうがいい。君を救いたい、というのだ。
「アメリカに住んでいると、こんなことになるだろう。ある晴れた日、君の前に車が止まり、ドアが開き、君が信頼する人が現れ、乗るように誘うだろう」
 そして、ターナーはこの世から消えるだろう。
「私の仕事は平和だよ。どんな政治的立場にも与さない。信じるのは自分だけだ」
「でも、僕はアメリカに生まれた。ここを離れたくない」
「残念だ」
 優れた者同士だけが感じる友情。最も憎むべき殺し屋が、最も愛すべきキャラクターに大逆転する脚本のマジック!
 でも、まだ謎は解けてない。アメリカ文学史協会はなぜ抹殺されたのか?
 マンハッタンの世界貿易センタービルのツインタワーにはCIAのニューヨーク支局がある(ことになっている)。そこに出勤する支局長ヒギンズ(クリフ・ロバートソン)にターナーが近づく。
「銃を持っている。このまま歩け」
「どこに行くんだ?」というヒギンズの問いには答えず、逆にターナーが質問する。
「アメリカは中東を侵略するのか? その計画があるのか?」
「それはない」ヒギンズはあわてて否定するが曖昧だ。「その、シミュレーションをするんだ。もし攻め込んだらどうなる? 兵士の規模は? 損害は? 現政権を転覆させるために最も安価な方法は? それを研究することで我々は給料もらっているんだろ?」
 実際、ターナーも中東侵略についてのレポートをまとめて提出した。それはアトウッドの考える計画とそっくりだった。
「アトウッドはそれを本当に実行しようとしたんだな?」
「馬鹿げてる。議会の承認を受けられるわけがない」と言いながらヒギンズも中東侵略への欲望を隠せない。
「いいか、これは単純な経済の問題だ。今は石油が不足しているが、10年後には食料やプルトニウムかもしれない。その時になって国民は我々に、戦争を求めるだろうさ」
「この国はあんたみたいな男にはいい国だな。もういい。行けよ、ヒギンズ」
 それはニューヨーク・タイムズ紙の集配所で、新聞を満載したトラックが集まっていた。
「僕は、今回の話を全部、NYタイムズに伝えた」
 当時、NYタイムズは反体制ジャーナリズムの牙城だった。
「CIAにひどいダメージを与えるぞ」
「そうなればいいさ」
「ターナー、だが、彼らが記事にすると思うのか?」
「するさ」
「なぜ言い切れる?」
 ここで映画はぶっつり終わる。新聞は、コンドルは、その後、どうなったのかわからない。レッドフォードは76年に『大統領の陰謀』で、ウォーターゲート事件を暴いてニクソン大統領を辞任させた新聞ワシントン・ポスト紙の記者を演じることになる。
 原作小説では、コンドルが嗅ぎ付けたのは、CIAがラオスでやった麻薬取引のことになっている。ベトナム戦争当時、北ベトナムから南ベトナムのベトコンに武器を運ぶホーチミン・ルートと呼ばれる経路が隣国ラオスにあった。CIAはそこを叩くために、山岳民族モン族をゲリラとして訓練したが、モン族はヘロインの原料になるアヘンの空輸に関与したのだ。この事実は『エア・アメリカ』(90年)という映画にもなっている。
『コンドル』を中学生のころに観て、ターナーとCIAの頭脳戦にはエキサイトしたが、最後の中東侵略は、とってつけたような理由、つまりマクガフィンのように感じた。しかし、今、観直してみると、これが実にリアルにアメリカのその後を予言しているのだ。
 アメリカのCIAは国防省、ネオコンの官僚や政治家はこの後もずっと中東にかつてのイランのような親米国家を作ることを夢見ていた。
 そのいっぽうで、アルカイダのテロを察知できず、2001年9月11日、世界貿易センタービルは破壊された。『コンドル』でヒギンズのオフィスがあったビルなのに。
 ブッシュ政権はテロへの報復としてイラク攻撃を計画。テロとは何も関係もないのに、どさくさに紛れてアメリカの悲願である中東侵略を実行しようとした。攻撃理由としてイラクが核開発している証拠を入手しろ、と命じられたCIAは徹底的に調査したが、得られた結論は「イラクに核はない」というものだった。ところがCIA長官ジョージ・テネットは自らの部下たちの調査結果を握り潰し、「イラクの核開発は確実」とブッシュに報告した。
 アメリカはイラクに侵攻したが、大量破壊兵器はかけらも見つからなかった。テネットは辞任した。CIAの威光は地に落ちた。
 NYタイムズは? 2002年、「イラクが核開発に使うアルミ管を購入」という記事がNYタイムズに掲載された。チェイニー副大統領はその記事を根拠にイラク攻撃を正当化した。ところが、実はその記事は、チェイニーの首席補佐官スクーター・リビーがNYタイムズの女性記者ジュディス・ミラーにリークしたものだった。つまり自作自演だったのだ。後にNYタイムズはその記事が間違いだったと認め、ミラーを解雇したが、イラクで10万人以上死んだ後だった。

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